【日韓】片山さつき氏「日本は韓国の反日ロビイストのような他国の足を引っ張る卑怯な手でなく、クールジャパンで対抗」[05/22]
マーティン ・ ヘーゲレ氏
http://www.euronavi.net/de/liga/news_bn0411.htm > ドイツ1のスタージャーナリストである彼を凌ぐスポーツ記者は、この世には2人といないだろう。
欧州で最も著名なスポーツ記者、マーティン ・ ヘーゲレ氏 ( ワールドサッカーダイジェスト8月4日号 )
http://sylphys.ddo.jp/upld2nd/gamble2/src/1277273988550.jpg (引用者註・日本が韓国と2002年ワールドカップを争っていた1995年のこと)
訪問した東京と広島で両手に余るほどのお土産(ボールペン、キーホルダー、ワッペン)を貰った。
品物にはすべて「World Cup 2002 in Japan」と印刷されていた。
一方で、同じ招待旅行でも韓国を訪れた記者は、日本とはまったく違う物をプレゼントされていた。
ボールペンやキーホルダーなんてものじゃない。
高価な品々はもとより、連日のパーティーと酒盛り、挙げ句の果てには女性まで用意されていたのだ。
すべては招致活動を指揮していた鄭夢準(チョン・モンジュン)氏の指示だった。
彼らはこうやって海外記者の歓心を買おうとしたのだった。
わたしはこういう汚い手段を徹底的に憎む。ジャーナリストに対する行為で、もっとも卑劣なものではないか。
アルコールで酩酊させ(女性提供の事実で)相手を脅迫する。
わたしが長年、アジア・サッカー界でもっとも権力を持つ人物を国際的メディアで批判し続けてきたのも、
ここに理由がある。
鄭夢準はこういうことがあって、わたしをソウルでのワールドカップ開会式とFIFA総会から閉め出そうとした。
彼はフランツ・ベッケンバウアーとDFB(ドイツ・サッカー連盟)会長に、わたしの取材を禁止するよう要請する
書簡を送った。
しかし、ベッケンバウアー氏もDFB会長もこれを一蹴。
逆に、鄭夢準に警告を送ったのだが、わたしとしては彼との対決はむしろ望むとことでも あった。出るところに出て
争えば、鄭夢準がいかなる手口でサッカー界の権力を握ってきたか、白日の下に晒すことができたからである。
(「正当理論」第110回「架け橋」より)
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「在日韓国・朝鮮人に問う」 佐藤勝己 1991年 亜紀書房
〔佐藤氏は金嬉老事件の裁判で特別弁護人をつとめた(1968年春、在日コリアン金嬉老が借金の取り
立てのトラブルから暴力団員を射殺、静岡県寸又峡の旅館に立てこもり、宿泊客を人質にして民族差
別の不当性を訴えた事件)〕
誤解を恐れずにあえて書くと、今になって振り返ってみると、はじめて、庶民つまり「原コリアン」
に会ったのである。なぜ「原コリアン」かというと、彼は正直に自分の感情を表明する。そして、
自分の不利になるようなことは、事実であっても断固として認めようとしない。しかし、相手側の
非は、どんな小さなことでも針小棒大に言い立てる… 次に目立つことが大好きだ。天才的とも
思える組織能力、つまりある特定の人に狙いをつけたらあらゆる方法で接近を図る。看守に贈り物
をし、相手がそのワイロを受け取る。それを逆手にとって次ぎ次ぎと要求をエスカレートさせていく。
彼の独房の中は、写真で見る限り書斎のようであり、料理する出刃包丁まであった。その結果、
一人の看守を自殺に追いやってしまうのだが、これらのことは筆者にとってはまさに驚きの連続
であった。