水説:石を積む者、崩す者=倉重篤郎
きわどい言いぶりだった。「ベトナム人は反韓(国)的な人が多い。
なぜなら、ベトナム戦争で(韓国軍に)ベトナム人を多数殺されたからだ。そのベトナム人に聞かれたことがある。
『韓国人に謝られたらどうしたらいいか。日本人は謝るのに慣れているから教えてほしい』と……」
11日開かれた両国識者による「日韓未来対話」で、日本側座長の小倉和夫氏(74)が半分冗談としながら踏み込んだ。
「謝られた側は、その先どういう対応を取るか、未来をどうするかを考えなければ歴史問題を議論する意味がない」とまで付け加えた。
被害者としての歴史認識にこだわる韓国への皮肉なのか、謝罪外交にきゅうきゅうとする自国へのやるせなさなのか。
いずれにせよ、駐ベトナム、韓国大使を務めたアジア通・元日本外交官のなかなか思いのこもった発言だった。
韓国側出席者のある女性国会議員は、民主化運動で投獄・水拷問を受けた体験から入り、
それが日本の植民地支配時代に同じ獄につながれた人々の歴史と重なるとの自らの原点を明らかにしたうえで、
靖国集団参拝を取り上げ「韓国人の傷口に塩をすり込む」と批判した。
その一方で、テレビで流れる日本アニメにはついつい家族で感心して見入ってしまう、とも語った。
双方から10人ずつ、政治家、学者、記者ら両国関係のウオッチャーたちが交互に発言、会場からの質問にも応じ、インターネットで生中継した。
過去にこだわる韓国側に対して、未来も並行して語ろうという日本側の行き違いが目立ったが、聞き応えのある本音トークもあり、
政府間外交を補う民間外交の試みとしては成功した、といえる。
歴史認識問題というのは、賽(さい)の河原の石積みに似ていると思う。関係改善を願う者たちが地道な努力で積み上げたものが、
一部政治家のうかつな言動で一気に崩される、その繰り返しの歴史でもある。特に安倍晋三政権下、そのネタは尽きない感がある。
ただし、今回韓国側と対話を共催した言論NPO代表・工藤泰志氏(55)は、タフな論争仕掛け人である。
尖閣問題で火を噴いた日中間の懸け橋として2005年に「東京?北京フォーラム」を創設、
年1回双方の識者たちが本音をぶつけ合う論争の場を提供し続けている。
今回の日韓版はその実績の延長にあり、この民間対話の枠組みを東アジア全体に広げたい、と意欲的だ。
積む者あれば、崩す者あり。どちらにより覚悟があり、継続性があるか。歴史が評価するだろう。(専門編集委員)
http://mainichi.jp/opinion/news/20130515ddm003070130000c.html