老生、久しぶりに亡母の実家先を訪れた。四国の山奥。
親戚の当主とともに墓参をしたが、驚いた。当主の話によると、墓石が5基、盗まれていたのである。
江戸時代の墓石の場合、角柱の石塔とは限らず、仏像を模しての人物像(光背(こうはい)や後背はあったり
なかったり)を彫った場合がある。それが長い年月を経ると、顔のあたりがしぜんと風化して、ちょっと見には石仏の
ような感じとなる。それら祖先の墓石が引き抜かれ、無残にも台座と基石とだけが残っていた。
無名の、美術的にはなんの価値もない墓像を、多分、仏像と偽って売り払ったのであろう。
その乱暴さを見て、私は直感的にこれは外国人の仕業と思った。もちろん日本人にも悪人はいる。しかし、仏教や
墓石に対する悪業になんのためらいもないという日本人はほとんどいない。仏罰を恐れるからである。
朝鮮半島の場合、李氏王朝(1392年)から日韓併合(1910年)に至る約500年間、仏教は排斥され、
山寺としてわずかが生き残ったにすぎず、仏教は人々になんの影響も与えていない。
報道に拠(よ)れば、対馬の観音寺の本尊が韓国人によって盗まれたのみならず、向こうの僧侶が対馬に来て、
長年、観音寺がその本尊を〈保管〉(〈拝礼〉ではない)してくれたことへの感謝の気持ちとして、観光土産のおもちゃの
仏像を渡そうとしたという。民度が低いのである。
朝鮮も中国も墓は盛土(もりつち)の墳形式なので墓石への特別の思いはない。盗んでも平気だろう。
古書店の話では、ここ数年、日本にある中国版漢籍の価格が急騰。中国の成り金が買いあさったからである。
彼らは、己の客室に漢籍を並べたがった。虚栄である。自分らは読もうと思っても読む力はない。
この種の成り金こそ美術品めかした盗品の絶好の売り捌(さば)き先であろう。もっとも、ここ半年、買い控えつつ
あるという。中国経済の退潮がここに見てとれる。バブル期の日本の美術品高買いが思い出される。
中国や韓国の治安の悪さは大昔からそうである。中国の場合など、軍よりも公安のほうが名実ともに中心である。
中国古代、行政組織を体系化した『周礼(しゅらい)』という儒教古典がある。そこでは公安に権力を与え、盗や賊
(殺人者)が武器を持っていたときは「之(これ)を殺すとも罪なし」とし、逮捕現場での殺害を認めている。
こうした〈力には力を〉という方式だけでは、いつまでたっても公安的国家から抜け出せない上、その公安が上から下まで
汚職にまみれているのだから、どうしようもない。
時間はかかるが、やはり道徳教育に依(よ)るほかない。順法だけではだめなので、順徳という根本を日本も忘れては
ならない。
『荀子(じゅんし)』彊(きょう)国篇に曰(いわ)く「人にして生を貴(たっと)び安きを楽しむを知り、礼儀(道徳)を
棄(す)つるは、之を辟(たと)(譬)うるに是(こ)れなお寿(ながいき)せんと欲して[自分の]頸(くび)を刎(は)ぬるがごとし。
愚かなることこれより大なるはなし」と。(かじ のぶゆき)
msn産経ニュース: 2013.4.28 03:16
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130428/crm13042803170001-n1.htm