【芸能】 在日韓人の北朝鮮送還問題を扱った映画「かぞくのくに」、「キネマ旬報」ベストテン1位[02/02]

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28<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
新潟日赤センター爆破未遂事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%BD%9F%E6%97%A5%E8%B5%A4%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E7%88%86%E7%A0%B4%E6%9C%AA%E9%81%82%E4%BA%8B%E4%BB%B6
新潟日赤センター爆破未遂事件(にいがたにっせきセンターばくはみすいじけん)とは、
中国地方各地における韓国工作員による密出入国と1959年12月4日に企てられた新潟県での
暗殺・爆破テロ未遂事件。

事件の背景
朝鮮戦争が膠着状態となり、1951年7月から休戦会談が開始されると、韓国大統領・李承晩は1952年1月18日
に李承晩ラインを宣言し、竹島を占拠するとともに対馬は韓国領であるとして日本に「返還」を要求するとともに
日本の漁民数千人を抑留し、第一大邦丸事件のような日本人殺害事件も引き起こした[2][3][4]。
後述の事件当時も日本人は韓国に抑留されている状態であった[5]。韓国では休戦後も国土が荒廃したままで、
経済活動は衰退し、世界最貧国となっていた[6]。また、韓国政府は朝鮮戦争中には共産主義者との関係を
疑われた韓国民を裁判なしで数十万人虐殺していた(保導連盟事件、居昌事件など)。

一方、北朝鮮は、1955年に在日朝鮮人が極左急進主義を弱めて設立した在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)
と緊密な連携をとるようになった[7](朝鮮総連の前身の在日本朝鮮人連盟は日本国内にておこなっていた
大規模な武装闘争(日本の裁判所や検察庁へ襲撃など[8])などで解散させられている)。また、北朝鮮は
共産圏諸国の支援を受けることによって復興を遂げつつあり、在日朝鮮人にも在日朝鮮学校への支援などの
資金援助をおこなった[7]。韓国政府は北朝鮮に対し教育費の援助を止めるよう抗議を行ったが[9]、
韓国政府自身は支援を行わず、在日本大韓民国居留民団(現:在日本大韓民国民団)からの抗議を
受けて支援を行ったものの、その額は北朝鮮の10分の1にとどまった[10]。

1945年9月2日 - 1952年4月28日、連合国最高司令官の指令により多くの密入国者や犯罪者の在日朝鮮人が
韓国に強制送還される(大村収容所だけでも3633人)[11]。自ら帰還を希望した在日朝鮮人140万人は
日本政府の手配で帰還する[12][13][14][15]。

1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約発効のより日本国主権回復。以後、韓国政府は日韓政府協定が
結ばれていないとして在日朝鮮人の引き取りを拒否[11]。

1956年、北朝鮮の金日成国家主席は朝鮮労働党第三次大会で在日朝鮮人学生を衣食住・学費の全てを無償
で北朝鮮へ受け入れると発表し、在日朝鮮人の帰国を呼びかけた[10]。声明を受けて、日本国内では朝鮮総連
は帰国促進運動を繰り広げた[16]

1959年2月13日、石橋内閣は「在日朝鮮人の北朝鮮帰還問題は基本的人権に基づく居住地選択の自由という
国際通念に基づいて処理する」とした閣議了解を行った[17]。

1959年8月、韓国の李承晩大統領は「日本は人道主義の名の下に北朝鮮傀儡政権の共産主義建設を助けよう
としている」と非難し、予定されていた日韓会談の中止を指示した。

1959年8月、カルカッタで日朝赤十字社間で帰還協定が締結。在日本大韓民国居留民団は韓国政府の意向で
北送反対闘争委員会を結成[16]。

1959年8月25日、在日本大韓民国居留民団員たちが日本赤十字本社に乱入[16]。

1959年12月14日、北朝鮮への帰国船の第一陣が出発する。北朝鮮へ帰国した朝鮮人には、韓国政府による
済州島4・3事件や麗水・順天事件などの虐殺を逃れて日本に密入国した韓国人などがいた[18]。
2928:2013/02/02(土) 15:29:58.19 ID:Odrz7E4a
韓国工作員のテロ計画

在日朝鮮人帰国事業担当の日本側要員の暗殺[1]。
日本赤十字社の破壊[1]。
新潟港に通じる鉄道線路を破壊[1]。
韓国民団にKCIAの工作員を偽装入会させ、日本側の警戒を受けずに政財界へ浸透する。


新潟日赤センター爆破計画発覚

1959年12月4日、警視庁外事課は新潟県新発田市内のバーで密談を行っていた工作員2名に任意同行を求め、
新発田警察署で取り調べを行った。工作員の鞄の中からは雷管を装てんした4本組のダイナマイト3束の計12本
が発見され、爆発物取締罰則現行犯で逮捕された。さらに、新潟駅では工作員が駅に預けたガソリン1?缶4本を
隠したウィスキー箱が発見され、工作員たちは新潟日赤センターを爆破しようとしていたことが判明した[25][26][27][28]。
また、この工作事件は韓国代表部(領事館)の金永煥三等書記官と来日中の韓国特務機関の幹部が指揮をとって
いたことも明らかにされた[22]。この時逮捕された工作員は、日本国籍を取得した在日韓国人と在日義勇兵として
朝鮮戦争に参加した韓国治安局所属の在日朝鮮人である[22][5]。日本国籍を取得している在日韓国人は事件前
には、新聞記者と称して日本赤十字社本部の周辺に入り浸っており、日本赤十字社からは出入り禁止とされていた[5]。
事件発覚後、警察は次々と韓国の工作員を摘発した。この爆破未遂事件は日本社会に衝撃を与え、韓国政府や
在日大韓民国居留民団に対しての日本世論が硬化した[29]。

李承晩
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/07/Rhee_Syng-Man_in_1956.jpg/469px-Rhee_Syng-Man_in_1956.jpg



【韓国】在日朝鮮人の北朝鮮帰還阻止 元工作員7人に補償金…密航して日本当局に逮捕・収監[04/20]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1334933096/
30<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/02/02(土) 15:30:37.57 ID:Odrz7E4a
朝鮮
ttp://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/7712/antij_kore.html
1952〜1965年、南朝鮮統領李承晩が「一国の領海は干潮時の海岸線より三海里を限度とする」という当時の
国際法上の慣行を無視して朝鮮半島周辺200マイルを領海とすることを一方的に宣言し、公海上に引いた
「李承晩ライン」を根拠として日本漁船の拿捕を実施し、乗組員を最長13年間に亘って抑留。

 南朝鮮が「李承晩ライン」廃止までに日本に与えた損害
  抑留者:3,929人
  拿捕された船:328隻
  死傷者:44人

1953年1月12日、南朝鮮統領李承晩が公海上に根拠もなく引いた「李承晩ライン」内に出漁した日本漁船の徹底拿捕を指示。

同2月4日、漁船に偽装した南朝鮮船第一・第二昌運号(乗組員12人に加え、憲兵1、特務隊員1、情報隊員1、
警邏5人乗組)が公海上で操業中の第一大邦丸を銃撃し、漁労長瀬戸重次郎(34)を射殺(第一大邦丸事件)。
→南朝鮮は漁船員を脅迫して「領海侵犯した」という嘘の調書に捺印させ、これを根拠として「済州島から脱出
するのを追跡し銃撃した」と虚偽の説明を行い、「日本漁船の李承晩ライン侵犯に対する警告」と正当化を
図るも、公海上で操業中の銃撃と判明。朝鮮沿岸封鎖護衛艦隊司令官グリッチ少将が公海上で一般人を
射殺した南朝鮮軍を非難。

同2月7日、南朝鮮が竹島の「領有」を宣言し、翌年これを占拠。

1957年、南朝鮮政府が、1956年に日本に密入国した南朝鮮人の強制送還を拒否するとともに、「李承晩ライン」内
で不法拘束した日本人漁師解放の交換条件として密航南朝鮮人を「日本国内で釈放せよ」と要求。


日本人が忘れてはいけない歴史 
李承晩ライン 〜侵略、殺戮行為を正当化する韓国の思考〜
ttp://blog.livedoor.jp/lancer1/archives/50327395.html
これは国際法無視もはなはだしい韓国の暗黒の歴史の一ページです。この結果、多くの日本漁船が韓国に
不当に武力攻撃され、328隻が拿捕され、漁民44人が死傷しました。しかも、拿捕された日本の漁民を解放
する条件として韓国が出してきた要求は、収監されている凶悪犯を多数含む、大量の在日韓国人犯罪者を
無条件に釈放することと、在日韓国人全体に在留特別許可を与えることでした。
31<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/02/02(土) 15:31:29.14 ID:Odrz7E4a
昭和二十九年 衆議院会議録情報
第019回国会 法務委員会 第4号
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/019/0488/01902030488004c.html
(朝鮮人の)小さい子供は気の毒だからいい、あるいは夫婦であればどつちか
一人はひとつ認めてやろうということになりますと、一時そういう時期があつた、
お話のような基準で一時やつたことがございました。
その際に結果として現われましたことは、女と子供の集団密航が急にふえた、
それはあれが許されたから、おれも許さるべきであるということで、一つの標準が
与えられますと、それを上手に使つて入つて来るということが往々にしてございますので、
実はその点につきましてはわれわれとしては非常に苦しんだのでございます。


第23号 昭和30年6月18日
第022回国会 法務委員会 第23号
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/022/0488/02206180488023a.html
それで私は少し素朴かもしれませんけれども、今六十万の朝鮮の方々がいる。そしてその方々が日本の
失業状態のあおりを食って、なかなか仕事が得られない。仕事が得られないために犯罪をたくさん犯す。
これは私憎みたくないけれども、いろいろの新聞その他に出ております犯罪にとても朝鮮の人が多い。
一体そういう状態にほうっておいていいか。私ども日本人としても因るし、
あの方々も、自分の民族の間に帰ればあれだけ思い切った犯罪はないと私は信じております。
というのは自分たちの婦人と自分たちの子供には非常に親切で、そして絶対に
手をつけない。異民族である日本人にこれが襲いかかっているという傾向が明らかなのです。
日本に住まいたい者を住まわせて、韓国に帰りたい者は返す、こういうふうに参りますと事は最も簡単で、
いろいろの難問題が漸次解決をするのでありますが、問題はそう簡単でなく、極端かもしれませんけれども、
六十万と推計をせられる朝鮮人のうち、日本から母国に帰りたいという者は一人もいないといっても大した
言い過ぎではない。一方向うからは、入れれば、それこそ手段方法を選ばず、命がけでも密航をして、
方法さえつけば怒濤のごとくどんどん入ってくる。そしてこちらから強制送還をしようといたしましても、
韓国の政府がこれを容易に受け付けないというところに、人道問題だけでは解決しない大きな国と国との
外交問題と申しますか、もう入国管理局だけでは手に負えない大きな外交問題となってここに横たわっておるのは、
私が申し上げるまでもなく、御理解をいただいておると思うのであります。ですから、要するに、こちらは国際的な
いわゆる紳士としての態度をもって韓国に接しましても、韓国の方は、紳士的でないとは申しませんが、
御承知の通り李承晩ライン、その他漁船の拿捕の問題、こちらから、密航した者を密航したという確証をあげて
韓国に申し入れましても、その送還を容易に受け付けない、こちらは向うから出てきた者を受け入れっぱなし、
不法入国であろうが何であろうが、返すことができないで、大村収容所にはますます人員がふえていく、
それをみな国費で、国民の血税で養ってやらなければならない、その取扱いについても、きわめて懇切丁寧に
しなければ、人権じゅうりんというような問題まで起きてくる。これを大まかに考えますと、一体日本のために
やらなければならないのか、日本国民の血税の犠牲において、韓国人をまず第一義として大事にしてあげなければ
ならないかというようなところまで、考え方によっては行く問題であると私は思うのであります。
最近において法務大臣も申し上げました通り、何とかこの問題を根本的に解決しなければならないと思います。
私が政務次官に就任をいたしましてからも、一、二の有力な韓国人の団体の長の方で、私に、密入国者を
送還するとかしないとかは問題ではなくて、六十万人という朝鮮人が日本に在留して現存しているというこの現実
に立って、在留朝鮮人の問題やこれから入ってくる人々の問題について、出入国管理令というようなこまかい規則
を越えた根本的な対策を政府は立てる必要があるではないかというようなことで、非常に傾聴すべき御意見を
言ってこられた人もございます。