【日韓歴史】 韓半島支配を主張する日本、「墓」のせいで偽りばれる〜百済古墳の被葬者、日本の傭兵にすぎなかった★2[01/10]

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621白馬青牛 ◆RYwvsC45ZhAa
>>619の補足。
まあ、海外へ売られたんは、九州人が多かったけぇ盗人で
名を馳せるようになるわいのう。
http://archive.2ch-ranking.net/history2/1338728823.html
「おい戦友、堪忍やぜ。俺を恨むなよ。恨むなら、うちの親分を
恨めよ。警備に立ったら、日本兵やからとて油断するなよ。これも
訓練の一つだ。こんど来たときゃァ、素直に盗らせてくれよな」
まさに説教強盗も顔負けである。
工藤軍曹の話。「昨夜、道端に輜重の兵隊が脳天を割られて、
血だらけで倒れていた。もういまごろは死んでるじゃろう」
手口から見て、犯人はどこの部隊か、おおかたわかるような
気かした。まさに「ああ壮烈!ドロボー部隊」と辻参謀が戦記に
川口支隊(福岡124i)をドロボー部隊と書いた気持ちもわからぬでもない。
泥棒は日本兵だけでなく、高射砲の印度兵もまた同じであった。
暗闇の中で、変な日本語で、
「ヘイ!マスター、ドロボーか、ワタシモドロボー、ナカヨクネ」
「おう、ユー・インドか。うまくやれよ。」
まあ、九州兵とインド兵に規律を求めても無理じゃ。
隙さえあれば、味方の物でも盗むけんのう。
まあ、ガ島じゃあ東北や北海道の兵士も多かったけぇ、
そりゃあ盗り易かろうて。
福岡百二十四連隊は、ビルマでも当然他部隊の
糧まつを襲うた。祭兵団のを。『百二十四連隊の一部が襲った。
彼らは、軽機を擬して、糧秣の譲渡を強要した。
集積所の警備兵たちは言った。
「お前らの兵団のものでは無い。我々の部隊の者に渡すのだ。
彼らはお前らの撤退を援護するために戦っている。絶対に渡す
ことはできない」と。ーしかし襲撃者たちは、ききわけてはくれな
かった。彼らは威嚇射撃をつづけながら、集積されてあった糧秣を
、ほとんど奪い、分配し、渡河地点へ向けて去っていったのだ。
 おかげで我々の前線は、さらにその疲労と困憊の度を深める
だろう。絶望ーというよりほかはなくなった。』