【日韓歴史】 韓半島支配を主張する日本、「墓」のせいで偽りばれる〜百済古墳の被葬者、日本の傭兵にすぎなかった★2[01/10]

このエントリーをはてなブックマークに追加
619白馬青牛 ◆RYwvsC45ZhAa
971 :白馬青牛 ◆RYwvsC45ZhAa :2013/01/12(土) 00:03:15.04 0
>>965-966
他板スレもコピあったけど、倭の傭兵云う云い方は甘過ぎるし、
兵は奴隷と事実ゆうたらええのに。列島の奴隷を連行した軍人奴隷の
遺跡じゃと。日本も近世まで奴隷が兵士の構造で世界と変わらんのに。
http://tokyo-sansenkai.net/bekkan/nanyakanya/20031130-51.htm
「中南米や中近東、インドネシアにフィリッピンに現在見られる誘拐・
人質は、日本にも日常的にあった。遠い話ではない秀吉の頃、戦国時代
には身の毛のよだ奴隷狩りまであった。
薩摩軍が豊後で捕虜にした人々は、肥後の国に連れていかれ売られたが、
その年、肥後の住民はひどい飢餓と労苦に悩まされ、己が身を養うこと
すらおぼつかない状態にあったから、彼らをまるで家畜のように高来(
たかき、島原半島)に転売。その高来から上海に人身輸出。時の上海には
日本人奴隷の市がたっていた。
1598年のイエズス会による奴隷売買者破門令の決議は、こう告発した。
日本人が無数の朝鮮人を捕虜として日本に連行し、ひどい安値で売り払って
いる、とくに長崎一帯の多くの日本人は、ポルトガル人に転売し巨利をあげ
ているが、そのため日本各地を廻って朝鮮人を買い集め、また朝鮮
戦場に渡り、自ら略奪した、と。
 またイエズス会の1598に出された破門令決議書はいう。海外に流れた
日本の若者は、鉄砲や槍をもって戦争に奉仕する「軍役に堪える奴隷」
「軍事に従う奴隷」として珍重されたと。耳が痛いが日本人の好戦性が
指摘されているのか。そして、そうした東南アジアに暮らす日本人奴隷の
日常を、少年は瓢盗となって略奪を働き、少女は不品行に身を委ね、初め
からアジア漂白を志して奴隷となり、解放後にも放浪を続ける者が少なく
なかったとも。」
 海外へ売られた日本人も、奴隷兵じゃし、近代の徴兵制は、自国国家に
よる自国民奴隷兵を創ったに過ぎんのに。日本列島内じゃ
原住民の蝦夷の浮奴買いで、奴隷確保した連中を兵としただけのこと。