対馬島は韓国土地
[2012年12月号]
http://www.econotalking.kr/xe/files/attach/images/6668/019/020/5220a8b01536fb6fee3722b9f0167f32.jpg 文/イ・ヒョンド(全仁石油株式会社会長)
去る8月23日! ソウル‘アンバサダー’ホテルで開かれた“ソウルフォーラム”でソン・ハソプ教授は「釜山
(プサン)から直線距離で49.5km地点に位置していて、大きさは南・北間80km、東・西間17kmの小さな島
“対馬島(テマド)”は私たちの韓国領」と強力に主張したことがある。その根拠に新羅中葉、実聖“尼師今”
の記録を調べれば韓国と日本の土地でそれぞれ生活苦で困難を経験した賎民が一人、二人と対馬島に
渡っていって漁業を生計として定着し始めると、当時の新羅政府から彼らに穀物と財物を送って見守り
保護すると、これに対し感泣した定着民らが毎年朝貢を捧げて新羅を祖国として仕えてきた。その後、
高麗朝第13代・宣宗(ソンジョン、在位1083-1094)、在位11年には‘対馬島州’に高麗国の官職である
“勾当官”という官位を与えて実質的に高麗国に服属させてしまった。朝鮮朝3代王の太宗大王(テジョン
デワン)は「対馬島は耽羅(済州(チェジュ))より小さい島で本来から私たちの土地だ」と宣言したことが
あって、後に続いた世宗大王(セジョンデワン)時代にはしきりに私たちの海岸線を侵攻して穀物と婦女
子を略奪して行ったりした、彼らを懲らしめるために軍師を送って完全焦土化させてこれを掌握し、私た
ちの干渉と保護を受けるようにしたし、再び16世紀朝鮮朝中宗大王(チュンジョンデワン)の時に製作され
た“東国輿地勝覧”には明確に“私たちの土地”と記録されていて、その当時に日本外務省が認めた八道
総図にも“対馬島は朝鮮の土地”と表記されたのだ。そしてその後日に金正浩(キム・ジョンホ)が描いた
“大東輿地図”にも対馬島は朝鮮領土と明らかに表記されて描いている。
◆李承晩大統領、返還声明発表
1806年、ある‘オランダ’人が日本に行って、当時日本人“林”が描いた原本地図一枚をヨーロッパへ持
っていったが、その後1832年のフランス版に“対馬島は韓国領”と明るい色で鮮明に描かれていた。再び
1855年に英国で製作された地図にも日本各地方を区域別に番号を付けていたが、対馬島はその区域
番号が抜けていて‘韓国領土’だという事実をはっきりと証言している。後に続いて1864年に米国“ペリー
艦隊”が日本現地を一つ一つ偵察して測量して作成されたという米国の‘アジア地図’にも“韓国領”と鮮
明に色彩で区分された。解放以後1948年8月18日の大韓民国政府樹立以後、“李承晩(イ・スンマン)大
統領”は談話を通じて「対馬島は私たちの土地だから速く返還しろ」と声明を発表し、1949年1月7日の
年頭記者会見でも「対馬島(ツシマ)はかなり以前から我が国に朝貢を捧げてきた私たちの土地だった
のに、壬辰倭乱を起こした日本が武力で強制占領したが、決死抗戦した対馬島の義兵がこれを撃退し
たし、その義兵の戦績碑が今でもあちこちに残っている」と強調した。また、1870年代に不法的に奪った
対馬島を日本は「ポツダム宣言でこれまで不法に所有した領土(対馬島)を返還する」と記者たちに明確
に明らかにしたことがあった。その後、11日後の49年1月18日に私たちの‘制憲国会議員’31人の名前
で「対馬島返還要求決議案」を国会に提出したことがあって、1951年4月27日、韓国政府は米国務部に
送った文書に「韓国は日本が‘対馬島’に対するすべての権利、呼称、請求を放棄してその土地を返す
ことを要請する」と書いたことがある。そして6・25韓国戦争(朝鮮戦争)以後に米軍が作った‘航空防御
地域’にも“対馬島は韓国領土”と鮮明に描かれているのだ。
(
>>2以降につづく)
ソース:経済風月(韓国語) 2012.12.19 17:15:49
http://www.econotalking.kr/xe/index.php?document_srl=69871&mid=specialist_2010 (
>>1のつづき)
◆対馬島取り戻し運動本部作ろう
このような歴史的なすべての情況で見る時に“対馬島はまちがいなく韓国の土地”という事実が明らか
で、本土との距離上で見ても韓国と対馬島は50km以内なのに比べて、日本本土と対馬島の間は150km
も離れていて、彼らの先祖の大部分が過去の新羅と百済人の血が流れているという事実がこれらすべ
てのものを証明している。これまで何の根拠もないごり押し主張で“独島(トクト)は日本の土地”と不当な
理由を上げてきた日本の論理に比較すれば、この‘対馬島’こそ歴史的に距離上でどれだけ明確な私
たちの土地であることか! 必ず独島を意識したのではなく、“対馬島は明らかな韓国の土地”と強力に
主張して「対馬島取り戻し運動本部」を作って私たちの奪われた土地の取り戻しに総力を傾注しようと
天下に訴えるのだ。同時にこの機会に今更のように明らかにしておくことは、過去の満州領、私たちの
鴨緑江(アムノッカン)の向い側、その肥沃な土地・間道(カンド)と北間道(プッカンド)一帯を再び取り戻
してくる運動も、やはり少しずつ推進していくべきだと主張する。済州島(チェジュド)の南側の‘干潮’時
だけ見え隠れする想像の島“離於島(イオド)”が自分たちの土地だとして時々一回ずつ気分悪く主張し
た巨大な中国にも今この機会に手厳しい一針を加える必要があると考える。
(おわり)