【国内】60年前の竹島渡航・調査で韓国人滞在報告も対応を取らなかった日本政府【12/20】

このエントリーをはてなブックマークに追加
81<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
物語の舞台は自由党の吉田茂を首班とする第5次吉田内閣(1953年5月21日 - 1954年12月10日)の時代である。

1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発した。
1952年1月18日に韓国大統領李承晩は一方的に日本海・東シナ海に軍事境界線
(いわゆる李承晩ライン) を設定し、竹島を自国領に組みいれた。
1953年2月4日に公海上で日本の漁船第一大邦丸が韓国漁船を偽装した警備艇から銃撃を受け、
漁撈長瀬戸重次郎氏 (34) が被弾して死亡した (*1)
旧隠岐高の実習船が竹島調査に出向いたのは1953年6月24日である。
この約1箇月後の7月27日に朝鮮戦争の休戦が成立した。
自由党政府ならびに、保守合同後の自由民主党政府は韓国に李承晩ラインの撤去を要求したが、
韓国利権にどっぷりつかった歴代政権は解決に熱意がなかった (*2)。
第1次佐藤内閣の時代、1965年6月22日に日韓基本条約が締結され、李承晩ラインは廃止された。

*1 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%A4%A7%E9%82%A6%E4%B8%B8%E4%BA%8B%E4%BB%B6
*2 http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/korea/1285484744/797-806