【日韓】 日本にある大伽揶の痕跡〜未開だった倭国に先進文物伝えた大伽揶人の気性[12/15]

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1蚯蚓φ ★
http://www.imaeil.com/news_img/2012/local02/20121212_171050002.jpg

1千500年余り前、大伽揶人らはとても遠い倭国まできて何をしたのだろうか?彼らが当時未開だ
った日本の土地に文物を伝え交易した事実は誰でも十分察することができる。記録もなく伝えられ
る話もない。残っているのは古い墓だけだ。日本で5世紀中後半の古墳を発掘すれば例外なく大
伽揶人の遺物が大量にあふれ出る。

パク・チョンス教授(慶北(キョンブク)大考古人類学科)は日本列島の大伽揶の重要遺跡だけでも
27県、70カ所に達すると言う。当時、辺境地を除き人口がある程度ある所には大伽揶人の跡が
発見されている。大伽揶人らが倭国を自分の家のように往来したことは明らかだ。優れた文化的
素養を持つ彼らがこちらで何をしたのか、どのように暮らしたのかその痕跡を探してみた。

■四国は中間寄港地
日本へ行く航海ルートの出発点は大伽揶が制海権を掌握した蟾津江(ソンジンカン)下流の慶南
(キョンナム)河東(ハドン)だった。そこから釜山(プサン)近海をすぎ本州と九州の境界である関
門海峡を通過し海岸線にそって航海する。瀬戸内海を経て大和政権がある関西地方(大阪とその
近隣地域)に向かった。瀬戸内海は最も大きな島の本州と小さい島の四国の間を分る幅が狭くて
小さな島が点点とある平和な感じを与える小さい海だ。

小さい木船に身を任せ数千里の旅行をしてきた大伽揶の旅行者らは目前にせまる四国島に自然
に上陸し旅行の疲れを取ったろうし、一部は長く留まったりもしただろう。大伽揶の旅行者なら、誰
でも訪れたと見られる場所が現在の愛媛県今治市と松山市の海辺だ。この話を証明するかのよう
に今治市の海辺から4キロ離れた低い丘陵地にあるか唐子台遺跡から大伽揶産特有の脚のあ
る皿2点が発掘された。

「カラコダイ」という名前から分かるように大伽揶人らの集団居住地だった可能性が高いところだ。
隣接した朝倉村にある樹之本古墳と城ケ谷古墳では各々首の長い長頚壷とふたのある脚皿、首
の短い壷が出土した。首の長い壷は首の部分に三重の波紋とやわらかい曲線の胴が特徴の美し
い土器だ。光山郡芝山洞(チサンドン)32号古墳から出たものと同じ形だ。朝倉美術古墳館学芸
員、窪田利子(54)氏は「昔はこの村に港があったし交通が便利で暮らしやすく豪族がたくさんいた
と伝えられる。ここの地理的特性上、航海者などが下関を通過したら一番先に見る港だっただけ
に、伽揶人たちがこちらの豪族と文物をやりとりして交流をしたでしょう」といった。
(中略:>>2-5あたり)

1千500年余り前、日本列島のあちこちに鉄、土器、文字など先進文物を伝えてその威勢をふるっ
たと考えると胸が満たされる。大伽揶人らは優れた文化力だけでなく挑戦精神まで持った偉大な
人々だった。

日本、愛媛県=パク・ビョンソン記者

ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [伽揶文化の世界化]F日本で探した大伽揶の跡〜未開だった倭
国に先進文物伝播した大伽揶
http://www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=65668&yy=2012
2<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/12/15(土) 15:37:40.02 ID:emVp6FdA
>>1の中略部分

■伽揶人の集団居住地発見
今治市、松山市など愛媛県のあちこちで大伽揶人の遺跡が発見されている。現在まで愛媛県で
伽揶産土器が発見された場所だけでも14カ所だ。愛媛県埋蔵文化財センター岡田敏彦(58)調査
課長は「5世紀の墓を発掘すれば日本様式でない土器がしばしば発見され、新羅産1点を除いて
は大部分が大伽揶産」といった。(中略)

さらに興味深い点は松山市近隣で伽揶人の集団居住地が発見された事実だ。1990年代後半、高
速道路の工事中に200世帯余りの集団集落跡を発見したが、そのうち10世帯で伽揶産土器破片
が大挙出てきたという。その土器破片はボックスに入れられ愛媛県埋蔵文化財センターに所蔵さ
れている。愛媛県教育委員会専門学芸院トミタ・ヒサオ(45)氏は「まだ本格研究に入る段階ではな
いが、伽揶人の集団居住地が確認されたことは初めて」としながら「大伽揶出身の技術者らの集
落だった可能性が高く、そうでなければ政治的理由でこちらに集団移住したかも知れない」とし
た。

松山市近隣で驚くべきことに韓国式御輿の跡も3カ所も発見されたという。日本に散在した大部分
の大伽揶と関連する古墳と同じように、こちらも予算問題によって3カ所全部試掘調査しただけで、
発掘はしなかったといった。オカダ課長は「予算が確保されれば優先順位で発掘を始める計画」と
明らかにした。だとしても大伽揶人らの偉大さは消えない。

以上