● 過 去 に 悪 用 さ れ た 例 1954年(昭和29年)
(韓国併合1910年〜期間35年、終戦は1945年8月15日、韓国建国1948年8月13日・北朝鮮建国1948年9月9日、
朝鮮戦争勃発1950年6月〜)
一時期 小さい子は気の毒だからと認めた結果、あっちを認めたならこっちも認めろと、
前例に使われ集団密航が急に増えたそうです。
●議事録より引用
昭和二十九年 衆議院会議録情報
第019回国会 法務委員会 第4号
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/019/0488/01902030488004c.html (朝鮮人の)小さい子供は気の毒だからいい、あるいは夫婦であればどつちか
一人はひとつ認めてやろうということになりますと、一時そういう時期があつた、
お話のような基準で一時やつたことがございました。
その際に結果として現われましたことは、女と子供の集団密航が急にふえた、
それはあれが許されたから、おれも許さるべきであるということで、一つの標準が
与えられますと、それを上手に使つて入つて来るということが往々にしてございますので、
実はその点につきましてはわれわれとしては非常に苦しんだのでございます。
第23号 昭和30年6月18日
第022回国会 法務委員会 第23号
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/022/0488/02206180488023a.html それで私は少し素朴かもしれませんけれども、今六十万の朝鮮の方々がいる。そしてその方々が日本の
失業状態のあおりを食って、なかなか仕事が得られない。仕事が得られないために犯罪をたくさん犯す。
これは私憎みたくないけれども、いろいろの新聞その他に出ております犯罪にとても朝鮮の人が多い。
一体そういう状態にほうっておいていいか。私ども日本人としても因るし、
あの方々も、自分の民族の間に帰ればあれだけ思い切った犯罪はないと私は信じております。
というのは自分たちの婦人と自分たちの子供には非常に親切で、そして絶対に
手をつけない。異民族である日本人にこれが襲いかかっているという傾向が明らかなのです。
日本に住まいたい者を住まわせて、韓国に帰りたい者は返す、こういうふうに参りますと事は最も簡単で、
いろいろの難問題が漸次解決をするのでありますが、問題はそう簡単でなく、極端かもしれませんけれども、
六十万と推計をせられる朝鮮人のうち、日本から母国に帰りたいという者は一人もいないといっても大した
言い過ぎではない。一方向うからは、入れれば、それこそ手段方法を選ばず、命がけでも密航をして、
方法さえつけば怒濤のごとくどんどん入ってくる。そしてこちらから強制送還をしようといたしましても、
韓国の政府がこれを容易に受け付けないというところに、人道問題だけでは解決しない大きな国と国との
外交問題と申しますか、もう入国管理局だけでは手に負えない大きな外交問題となってここに横たわっておるのは、
私が申し上げるまでもなく、御理解をいただいておると思うのであります。ですから、要するに、こちらは国際的な
いわゆる紳士としての態度をもって韓国に接しましても、韓国の方は、紳士的でないとは申しませんが、
御承知の通り李承晩ライン、その他漁船の拿捕の問題、こちらから、密航した者を密航したという確証をあげて
韓国に申し入れましても、その送還を容易に受け付けない、こちらは向うから出てきた者を受け入れっぱなし、
不法入国であろうが何であろうが、返すことができないで、大村収容所にはますます人員がふえていく、
それをみな国費で、国民の血税で養ってやらなければならない、その取扱いについても、きわめて懇切丁寧に
しなければ、人権じゅうりんというような問題まで起きてくる。これを大まかに考えますと、一体日本のために
やらなければならないのか、日本国民の血税の犠牲において、韓国人をまず第一義として大事にしてあげなければ
ならないかというようなところまで、考え方によっては行く問題であると私は思うのであります。
最近において法務大臣も申し上げました通り、何とかこの問題を根本的に解決しなければならないと思います。
私が政務次官に就任をいたしましてからも、一、二の有力な韓国人の団体の長の方で、私に、密入国者を
送還するとかしないとかは問題ではなくて、六十万人という朝鮮人が日本に在留して現存しているというこの現実
に立って、在留朝鮮人の問題やこれから入ってくる人々の問題について、出入国管理令というようなこまかい規則
を越えた根本的な対策を政府は立てる必要があるではないかというようなことで、非常に傾聴すべき御意見を
言ってこられた人もございます。
●在日朝鮮人はどのようにして日本に来たか?
朝鮮半島の南に浮かぶ火山島・済州島で1948年4月3日、
米軍政下で南朝鮮での単独選挙に反対した共産主義の島民が武装蜂起したことを
きっかけに、軍、警察などによる一連の島民虐殺事件が起きた。
いわゆる「済州島4.3事件」の勃発である。
朝鮮民族同士で殺しあった「4.3」事件の際、
「3万人から6万人の一般人を巻き込んだ島民が虐殺され、
4万人以上が日本に密入国して逃れたという」
(米国公文書の秘密文書を調査したブルース・カミングス・シカゴ大学教授)
◆「密航4ルートの動態 日韓結ぶ海の裏街道 潜入はお茶のこ 捕わる者僅か2割」
朝鮮南北戦争の拡大によって憂慮されることは、南鮮避難民の日本への殺到だ。終戦以来、“悩みのタネ”
となっているこの密入国は、今次の戦乱で明日にでも、どっと押寄せてくる危険がある。
(略
これら4ルートを通じて終戦後、我国に不法入国した朝鮮人の総延人員は約20万から40万と推定され、
在日朝鮮人推定80万人の中の半分をしめているとさえいわれる。
昭和25年(1950年)6月28日(水)付産経新聞朝刊
ttp://www.clash-j.net/memo/korea06.html ■「コリアン世界の旅」(講談社)より抜粋
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済州島出身の在日韓国人から、こんな話を聞いたことがある。
「朝鮮の地域差別は、日本人にはちょっとわからないと思うくらいひどいんですよ。
『陸地』でも慶尚道の人間は全羅道の人間を差別するけれど、それは『人間として』差別するんでね。
慶尚道の人間も全羅道の人間も、済州島の人間を人間扱いしなかった。
牛や豚の同類として差別したんです。
済州島ではむかし人糞をえさにして豚を飼っていたから、僕らは『くそブタ』と呼ばれていたんですよ」
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済州島
歴史的経緯から地域差別が酷く、1948年4月3日に起った済州島四・三事件では、
少なくても死亡者3万人にのぼり、それから逃れる為に、自ら日本に渡って来た
在日コリアンが居るが、その人々は、現在において、その事を隠すために、
「日本に強制連行されて来た」と偽る者も多い。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%88%E5%B7%9E%E5%B3%B6