【朝鮮新報】川崎で「慰安婦」李容洙ハルモニの証言を聴く会証言は私の命と同じー9/27]

このエントリーをはてなブックマークに追加
30<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
従軍慰安婦「李容洙」証言の変化
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n116357
1.1944年夏、友達が家に誘いに来てついて行くと、軍服みたいな服を着た男がおり、ワンピースと赤い靴をもらって感激してついて行く。(「写真記録 やぶられた沈黙」1993年)


2.一九四四年、私が満十六歳の秋のことです。川のほとりで見かけた日本人の男の人が立っていました。国民服に戦闘帽をかぶっていました。
赤いワンピースと革靴の入った包みをもらって、幼心にどんなにうれしかったかわかりません。
もう他のことは考えもしないで即座についていくことにしました。(「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」1993年10月)


3.1944年のある夜、韓国の故郷から日本軍により誘拐され、日本軍の性奴隷として足かけ3年間従事慰安所に送られた時はわずか数え年16歳であった。(英文中国日報 1998年8月23日)


4.14歳で銃剣をつき付けられて連れてこられ、拒むと殴られ、電気による拷問を受けて死にかけた(元「慰安婦」へ補償を〜日本共産党との会合 2002年6月26日)


5.1944年、16歳の時に「軍服みたいな服を着た男」に連行され、台湾へ。日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された。(「消せない記憶」〜京都での市民集会李容珠 2004年12月4日)


6.16歳でわけが分からないまま連行され、1944年ごろ、旧日本軍に拉致され、台湾で約3年間従軍慰安婦(京都新聞(2004年12月5日)


7.女性が片手で私の肩を抱いて、もうひとつの手で口を塞いで私を連れて行きました。その時、私は韓国の年齢で16歳でした。(証言集会〜同志社大学(2005年4月21日)


8.韓国の大邱から15歳ごろ連行された。(朝日新聞 2005年8月11日)


9.15歳で韓国・大邱の家から軍人に拉致され、台湾まで連れ去られ、敗戦で解放されるまでの3年間の経過を証言した。(「埼玉上田知事発言に元慰安婦が抗議」JanJan 2006年10月13日)


10.1944年の16歳の時に台湾に慰安婦として連行され(中央日報「米議会で初の‘慰安婦聴聞会’韓国・オランダ人女性3人が証言」2007年2月16日)


11.15歳の時、家で寝ているとき小窓をたたく音に目を覚まし(イヨンスさいたま公聴会(2007年2月23日)


12.15歳のとき、小銃で脅され、大連から、台湾に連行され新竹海軍慰安所で特攻隊員の慰安婦とされた。(JANJAN「米公聴会でも証言した李容洙さんが、埼玉で再び「証言・告発」2007年2月26日)