【日韓】 大国から小国に墜落する日本に翼はない〜ソウル大、ソン・ホグン教授[09/04]

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1蚯蚓φ ★

1980年代中盤の留学時代、東アジア関連講義は人気絶頂だった。アジアの4頭の竜が新興
産業国として浮上してきたのもそうだが、太平洋時代の編隊長格である日本のためだった。講義
の助教だった筆者は担当学生らとの1時間の討論のために夜を明かさなければならなかった。3
0分程度の要約講義で弱点を見せては傲慢なあの米国の秀才らに恥をかかされるのが常だった。
緊張した台本暗唱が日本から韓国に移るころある学生が手を挙げた。「韓国はどこにあるんです
か?」 えっ? こともなげな思いがけない質問に台本は乱れた。呆然とする韓国人助教を米国の
秀才らはおもしろそうに眺めた。彼らに帝国日本はあったが植民地韓国はなかった。

2年前の夏、外国人の大学生と同じテーマで討論する機会があった。全く変わった東アジアの
地図を物静かに説明すると欧州から来たとみられる学生が手を挙げた。「韓国は日本より大きい
国でしょう?」。えっ?それは本当に聞きたい言葉だった。事実の通りに答えはしたが、その学生
が底知れず愛らしく見えた。とにかく30余年ぶりに世界の人の認識がそのように変わっていると
いう証拠だった。世界の主要空港と都市にサムスンとLGの広告が輝き、キム・ヨナが世界を熱狂
させたおかげだった。国連事務総長、世界銀行総裁が韓国人で、米国の一流大学に韓国人学生
が毎年200〜300人ずつ入学し、世界の隅々を韓国人が行き交っているのでそうした認識に根
拠がないわけではないだろう。私を含む既成世代の脳裏には「日本は大国」という不変の命題が
刻印されている。ところで果たしてそうだろうか。領土紛争に出た最近の日本の政界とメディアの
動きには大国らしい面貌は全く見られない。
(中略:>>2-5のあたり)
日本は先進国であることに間違いない。この断片的エピソードが日本の学問水準をおとしめる
ならば理屈に合わない話だ。小さくて堅実な素粒子が互いに結びつききめ細かく組まれた社会が
日本だ。日本の力はそこから出てきた。自己献身的、自己完成的な小人たちがひとつになれば大
人になるということを体得した日本人たちはそれを可能にする最上の象徴体系を創案した。天皇
制がそれだ。天皇制は素粒子の糾合を一糸不乱な宇宙として作る神話であり宗教だ。それで“天
皇陛下”のために大東亜戦争を起こしたし、“天皇陛下”と叫んで散華した。終戦後戦犯を免れた
“天皇陛下”象徴体系は日本の経済奇跡で復活した。しかし経済的成功は危機意識を失わせ、危
機意識の喪失はその象徴体系を腐食させた。

1989年1月、裕仁天皇が逝去した当時、米国の社会学者ノーマ・フィールドは「絶望の慟哭」と
「希望の序曲」が交差する日本の二重的集団心を目撃した(パク・イヨプ訳「死んでいく天皇の国
で」)。前者は小人になるかも知れないという恐れを、後者は本来の位置、真の小人から始めよう
という叫びだった。両者とも大国幻想に苦しめられていたのだ。日本は本来小国だった! 天皇が
「万世一系」の頂点に立つと大国幻想にとりつかれた日本人たちが海を越え韓半島と中国大陸で
疾走したのだ。だから領土占領と徴兵、徴用、軍慰安婦強制動員は幻想の中で起きたことになる。
われわれにとって痛恨の歴史は彼らには幻想だった。

だから5000万韓国人の神経を逆なでする居直りのような質問が可能だ。証拠を出してみろ? 
証拠を出せというのは姑息な人の話法だ。大人ならば自らしたことを恥じ入る。国際司法裁判所
に提訴する? 36年間領土をじゅうりんしたなら、うつ伏せになっているのが大国の正道だ。8月
29日、102年前に韓国を不法併合したその日、日本議会は岩島の独島(ドクト、日本名・竹島)を
持って行こうと日章旗の前で全員起立した。枯れていく大国幻想の中で敢行した小国の偏屈な団
結だった。すべての墜落するものには翼がある。歴史を冷酷に眺める集団知性が翼ならば、大国
から小国に墜落する日本は翼がない。ところで、ところでです、韓国は大国的なのか?

宋虎根(ソン・ホグン、ソウル大学社会学教授)

ソース:中央日報<【コラム】墜落する日本、翼はない>
http://japanese.joins.com/article/794/158794.html