【グローバルアイ】李明博大統領、すでに頬を殴ったのなら
「(党の)中に残ってもシベリアにいるのと同じだが、(党の外に)出ても寒いだろう」。5年半前の07
年3月、忠清北道(チュンチョンブクド)地域の高速道路サービスエリア。当時ハンナラ党の大統領
候補だった李明博(イ・ミョンバク)大統領が党内のライバルだった孫鶴圭(ソン・ハッキュ)候補に
ついてこう述べた。07年大統領選挙戦の序盤を揺るがした有名な‘シベリア発言’だ。
当時、李候補は忠清圏の拠点地域を訪問中だった。地方へ出張に行けば高速道路のサービスエ
リアに好んで立ち寄る李候補は、この日も同行記者2人とお茶を飲みながら問題の発言をした。こ
の発言の10日後、孫候補は「私はシベリアに行く」と言って未練なく党を離れた。
2012年セヌリ党の党内選挙は完全な興行惨敗に終わったが、5年前は全く違った。李明博−朴
槿恵(パク・クネ)の激しい先頭争いの中、党内選挙は序盤から熱くなった。孫候補は李−朴候補
のために苦戦を強いられた。実力と商品性に比べ、成績(支持率)が上がらなかった。孫候補は自
分の不振が2人の有力候補の派閥づくりのためだと失望感を表した。それでなくとも離党を悩んで
いるところだった。シベリア発言は泣きたがっていた孫鶴圭の頬を殴ったようなものだ。当時、李候
補は「オフ(レコ)を要請したが、記者がそのまま書いてしまった」と驚いた。一方、発言を報道した
記者2人は「李候補はいかなる条件も付けずに発言した」と語った。
とにかく8月の選挙で李候補は朴候補をわずかな差で抑え、ハンナラ党候補に確定した。そして同
年12月、大統領職をつかんだ。
支持勢力が重なる孫候補が最後まで党に残っても李大統領が選挙で勝てただろうか。シベリア発言
は離党をそそのかす意図的な発言ではなかったのか。青瓦台(チョンワデ、大統領府)を出入りした
時期、李大統領に直接尋ねたことがある。李大統領は「シベリア発言を意図的にするはずはない…
おそらく孫候補が党に残っていても結局は私が勝っていたはずだ」とだけ話した。
過去の話を取り出したのは、李大統領の電撃的な独島(ドクト、日本名・竹島)訪問と天皇関連発言
に日本の政治家が‘泣きたいところに頬を殴られたような’態度で対応しているからだ。支持率下落
に苦しんでいた自衛隊員の息子の野田佳彦首相は、待っていたかのように独島領有の野心を表し
ている。
妄言製造機の石原慎太郎東京都知事は「李大統領は大統領の器ではなかった」と非難し、「厳しい
時期に売春は非常に利益になる商売だ。(従軍慰安婦は)自ら商売を選択した」という妄言を吐いて
いる。若い極右主義者の橋下徹大阪市長も領土と慰安婦問題を右翼商品化している。
すでに頬を殴ってしまったのなら、李大統領は5年前よりさらに徹底した論理と覚悟で武装する必要
がある。誰が大統領になるかというよりも、はるかに重要な国の領土と名誉、歴史の真実がかかった
難しい戦いが始まったからだ。
ソ・スンウク東京特派員
ソース:中央日報日本語版 2012年08月28日09時43分
http://japanese.joins.com/article/335/158335.html?servcode=100§code=140 http://japanese.joins.com/article/336/158336.html?servcode=100§code=140