>>386 韓国人で「愛国心」を持つ人はとても少ないです。
「国民国家」というのは、人々が共有するものとしてはかなり高度なものです。ただし、それを安定的に
持つことができれば、1+1が3になるように国力は非国民国家と比べものにならぬくらい増大します。
だから途上国は必死に人民に国家意識を植え付けようとします。中韓北はそれを「反日」でやろうと
しています(あと北の場合は金日成の「国父化」による疑似家族国家作りです)。
ヒントになるかもしれないので、以前投下したカキコから一部を再投下。韓国人の「愛国」がごくごく
少数の例外を除いて、愛国とは似て非なるものであるとおわかりいただけるかも。↓
よくいわれるように、朝鮮人には「対等な他人(身内じゃないけど対等)」という感覚がほとんどありま
せん。大雑把に分ければ、彼らには「ウリ=自分(我々)」と「ナム=他人(敵)、もしくは絶対の
無関心」しか人間関係が存在しない訳です。
朝鮮人は親しき仲には礼儀なし(自分が自分に対して礼儀が不要なように)ですし、持ち物やお金も
勝手に持って行きますし、考え方も同じでないと我慢ができません。
要は「対人関係」という横軸に関して、朝鮮人はゼロ距離かグラフいっぱいに離れているかの二つしか
存在しないのです(超・厳密に言うともう少し種類は増えます。例:労働貸借関係など)。
そして過去や未来といった対人関係の縦軸でも物事を同じように考えます。秀吉の出兵によって
被害を被った(とされる)先祖について彼らが想像するとき、侍の刀で斬られている先祖の顔は自分
の顔なんです。数百年前の祖先だろうが身内(ウリ)は自分とゼロ距離なので、秀吉についてつい昨日
自分自身が被害を受けたかのように怒り、恨み、失神したり失禁したりできるわけです。