【日韓露】日本がサハリンで韓国人虐殺=露政府報告書[08/14]

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199<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
【日露】サハリン在留邦人 終わらぬ苦難[06/06]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1118069088/
サハリン在留邦人 終わらぬ苦難
 終戦時まで日本領土だったロシア・サハリン州(旧樺太)南部には「帰りたくても帰れなかった」約二百二十人の
日本人が今も残っている。朝鮮人と結婚していた日本人女性は戦後の引き揚げ対象から外され、差別を避ける
ために、日本人であることを隠す苦境に身を置いた。戦後六十年、深い傷は癒えていない。 (藤原正樹)
 五月十八日、サハリン在留邦人で一時帰国していた木村文子さん(71)=シャフチョルスク(旧塔路)在住=が、
北海道函館市で叔母と五十七年ぶりに再会した。親族が判明したのは今年二月。肉親と生き別れになっていた
木村さんは「会いたかった」と繰り返しながら叔母と抱き合った。
 木村さんは一九三四年、函館市で生まれ、祖父と母親らとサハリンに渡った。母親は朝鮮人と再婚し、木村さん
は十八歳で、朝鮮人の電気技師と結婚、三男一女をもうけた。母や義父、夫は他界し、叔母は四八年に日本へ
引き揚げた後、音信不通になっていた。

■通知外されて… 存命者は約220人
 終戦時、南サハリンと千島列島には、日本人が約四十万人、朝鮮人が約四万三千人いたとされる。四六年十
二月、「ソ連地区引揚米ソ協定」が結ばれ、日本人の大半は帰国した。が、朝鮮人の妻や養子になっていて引き
揚げ通知の対象から外され、「残留が確認された日本人は推計四百−五百人」(厚労省中国孤児等対策室)。
うち七割が女性といわれる。残留邦人を支援するNPO法人「日本サハリン同胞交流協会」(東京都渋谷区)は、
現在の在留邦人は「百人以上が亡くなり約二百二十人」という。
 木村さんのように、韓国・朝鮮人と結婚した日本人女性は多い。樺太は終戦後の八月二十二日まで、旧ソ連軍
との地上戦にさらされた。ソ連兵の性暴力を恐れ、韓国・朝鮮人との結婚を急いだ例もみられる。
 永住帰国している須田百合子さん(69)=北海道江別市=は「終戦後、敗戦民族として自信を失った日本人より、
朝鮮人の方が生活力があった。長女を年長の朝鮮人に嫁がせ、家族を養ってもらう日本人が多かった。生きて
いくためには、選択肢はなかった」と振り返る。終戦後、反日感情が高まり、残留邦人は激しい差別にさらされた。
 須田さんは塔路で生まれた。朝鮮人夫妻に里子に出され、「金順愛(キムスウネ)」名で育てられた。十五歳で
写真店を経営する十一歳年上の朝鮮人と結婚。「生粋の朝鮮人と結婚したと思っていた」夫が、須田さんの素性
を知ってから激しい暴力が始まった。「『日本人妻で恥をかく』とむちゃくちゃな乱暴を受けた。翌年生まれた長男
にも日本人の血が入っていると暴力を振るった」
 ユジノサハリンスク(豊原)に今も残る加藤波子さん(75)は、七歳年上の朝鮮人に「結婚しなければ兄貴を殺す」
と包丁を突きつけられ、十七歳で結婚したという。永住帰国している近藤孝子さん(73)=東京都三鷹市=は加藤
さんと親交があった。「波子さんの夫は子どもにアイロンを押しつけて大やけどを負わせたあげく、売り飛ばして
しまった」と振り返る。
(略


サハリン在留邦人 終わらぬ苦難(東京新聞特報6/6)
http://www.asyura2.com/0505/war70/msg/1087.html
200<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/08/15(水) 01:44:27.61 ID:iXQGgVjU
『置き去り―サハリン残留日本女性たちの六十年』  吉武 輝子(著) 海竜社
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4759308792/250-6225082-6668210

 敗戦より60年目の夏を迎え、国家から見棄てられたため集団自決したり残留孤児になったりした<満州開拓移民>
の悲劇を思い出す人も少なくないだろう。しかし、同様の悲劇が、北方のサハリン(樺太)でもおきていたことを知る
人は多くなかった。吉武輝子さんのこの新著は、その北辺の戦争悲劇に、<聞き書>という方法をもって正面から
取り組んだ労作である。
 アイヌ民族やギリヤークなど自然民族の民住地だったサハリンは、19世紀にロシアが植民地とし、20世紀初頭、
日露戦争にによって日本が南半分を領有してからは40万の日本人が暮らしていた。その中には、太平洋戦争期
に入って強制連行されたりした朝鮮人4万人あまりも含まれていた。
 そして1945年の8月、ソ連の参戦=サハリン侵攻によって、在住の日本人・朝鮮人は地獄を体験、死者はおよそ
1万人にのぼった。15日の日本降伏の後にも、ソ連軍による空爆や潜水艦による引揚船攻撃は続き、多大の死者
が出ているのは、戦争の現場とはこのようなものなのだろうと察しられて、本当に慄然とさせれる。
 そしてそういう最初の悲劇の大波が引いたあとも、もっとも弱い立場にある若い日本女性の上には、新たな苦しみ
の波が襲ったのだった。すなわち、日本敗戦により戦勝民族となった朝鮮人の中には、日本国家への反感憎悪を
近くにいる日本女性に向けて噴出させた人もいないわけではなかったからである。
 この状況において、若い日本の女性たちはどうしたか。彼女たちの多くは、生きるために朝鮮人男性の妻となり、
子供を生み、その家族愛に惹かされて、サハリンに留まり生きざるを得なかったのだた。そして吉武さんは、今は
70、80代に達した彼女たちに親しく接して、その事実と心情とを克明に記録さtれた。消滅寸前の人間体験と心情
とが、辛うじて歴史化されたことを喜びたい。
(略

05・07・10日経読書欄 評者・山崎朋子(作家)
201<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/08/15(水) 01:45:12.59 ID:iXQGgVjU
【国際】「白旗にソ連航空機が猛爆撃」 ロシアが”解放戦争”とする対日戦の現実…サハリン残留日本人、泣いて断ち切った帰国の思い
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1283428829/
 ttp://sankei.jp.msn.com/world/europe/100902/erp1009022022006-n1.htm

 戦後しばらくは引き揚げの機会はあったが、経済的理由などで戻れなかったという。

 「娘を(残留)朝鮮人に嫁がせ、その金で親を引き揚げさせた人も多かった」と魚住さん。
 「私たち親子には金がなく、帰れなかった。引き揚げる友人たちを見送り、
 同じ日本人なのにと隠れて泣いていました」と回想する。

 1946年12月には米ソ協定が結ばれて国の引き揚げ事業が始まったものの、
 ここで対象とされたのは日本人と子供のみ。40年代末までに魚住さんは朝鮮人と、
 根本さんはロシア人と結婚し、子供も生まれていた。家族と暮らすためには、
 帰国の思いを断ち切るしかなかった。

 炭鉱労働の募集などでサハリンに渡っていた4万人ともされる朝鮮人も戦後、韓国への帰還の
 道は閉ざされた。残留日本人は「お前らはなぜ自分の国に帰らない」とロシア人にいじめられた上、
 反日感情を強めた残留朝鮮人との複雑な関係も乗り越えねばならなかった。それでも魚住さんは7人、
 根本さんは3人の子供をサハリンで育て上げた。

 残留日本人やその子供たちで構成されるサハリン日本人会の白畑正義会長(70)によると、
 十数年前には300人ほどいた会員が今では約200人。ソ連解体後に日本や韓国での永住を
 選んだ人もいれば亡くなった人もおり、45年9月2日までに生まれた「1世」は95人ほどに減った。
202<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/08/15(水) 01:49:59.86 ID:iXQGgVjU
第65題在日一世の家庭内暴力

 在日一世の家庭内暴力(夫による妻への暴力)はすさまじいもので、日常的に在日と
接しない日本人にはちょっと想像ができないものがあると思う。
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuugodai


多くの在日韓国・朝鮮人二世たちは、父親から「暴力」を振るわれた経験をもっている。
http://www.modern-korea.net/column/zainichi/son.html

佐高信・辛淑玉(対談)
『佐高信の日本国憲法の逆襲 第2回 この憲法、日本人にはもったいない!』 
月刊「世界」(岩波書店)2000年2月号  

佐高  二世と三世の違いでいうと、朴慶南でも梁石日でも、父親がもの
    すごい暴君だったようですが、あなたの場合は少しは違う?
 
辛   いや、朝鮮人の親の多くは暴力的ですよ。その暴力的なものはどこ
    で培ったのかというと、儒教の文化に植民地体験が加わったことで
    す。これは朝鮮人の家だからというより、暴力はより弱いところに
    移行していくわけです。日本の社会から抑圧された朝鮮人の男たち
    は、朝鮮人の女に対してよりひどいことをする。子どもに対して高圧的
    になる。お母さんたちはそこでまた子どもを抑圧する。それがあたり
    まえだと思ってきて、初めて日本の学校に行ったときに、親に殴られた
    ことのない子がいて腰が抜けるほど驚いて、何て日本人は幸せな
    生き方をしてるんだろうと思いましたね。これは親の世代で終わって
    いるかというと違います。日本の在日社会に脈々と生きつづけている
    暴力の文化(=支配の文化)があるのです。差別と共存しているのです。


現代コリア コラム
孫正義氏と民族差別
佐藤勝巳(現代コリア研究所長)

 孫氏の場合、日本人幼稚園児が民族差別意識を持っていないと成り立たたない話だ。だが、
それを証明することは至難なことだと恩う。過去、民族差別間題に関わった私のささやかな体験
からすると、彼らが出自を隠す大きな理由は、自分の両親や祖父母などの言動が、日本人の
友達のそれと著しく違うことである。
 在日の子供たちの父母の言動は、朝鮮半島では珍しくないことであっても、日本あっては異質の
ものだ。在日の子どもたちは、いやでも自分の両親と日本人のそれと比較することになる。一例を
挙げるなら、多くの在日韓国・朝鮮人二世たちは、父親から「暴力」を振るわれた経験をもっている。
同世代の日本人の父親は、例外はあるにせよ子供に対してしばしば暴力を振るう人はまずいない。
http://web.archive.org/web/20080522041228/http://www.modern-korea.net/column/zainichi/son.html
203<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/08/15(水) 01:50:37.13 ID:iXQGgVjU
【米国】 女性の家庭内暴力被害申告、アジア系の半分以上が韓国系〜しかし申告率は最低水準[08/27]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1282964201/

26日公開された「2009LAアジア人家庭内暴力報告書」によればLA裁判所が受け取ったDV被害
のアジア女性のうち半分以上が韓人女性であることが分かった。反面、DV被害にあった韓人女
性の27%だけが警察に申告し、中国、ベトナム系など他のアジア女性に比べて申告率が非常に低
かった。

中国系DV被害女性は52%が警察に申告し、ベトナム系は49%、カンボジア系47%など韓人女性た
ちに比べて2倍以上申告率が高かった。

韓人家庭相談所キム・ソリムさんは「DV被害にあう韓人女性たちの申告率が低いのは韓人女性
が身体的な暴力だけを家庭内暴力と間違って認識しているため」であり「移民1世女性の間に家
父長的な考え方が相変わらず強く、配偶者に暴行されても申告しないことを美徳と考える韓人女
性が少なくない」と指摘した。

また、報告書によればDV被害韓人女性の29%はDV被害事実を周辺にさえ知らせないことが明
らかになり、韓人女性に対するDV被害実態が表面化せずに隠される場合が多いと見られる。
一部の相談者などは韓人女性被害者の申告が低調なのは文化的な要因だけでなく経済的要因
が大きく作用している、という意見も出ている。


【米国】 怒りを我慢できず、暴力をふるう韓人男性〜怒り調節する方法学べ[09/03]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1283527915/

怒り調節(アンガー・コントロール)プログラム公認講師のパク・ヘヨン相談者は「韓人男性の場合、
怒りを調節できない多血質気質を暴力と児童虐待として表出する場合が多かった」として「結局、
怒りを誘発する動機に接する時、これを受け入れる認識教育が不足しているため」と説明した。

パク相談者は「韓人の場合、家庭問題、職場内対人関係、各種仕事の処理で葛藤を生じた場合、
直ちにかんしゃくや怒りを認識する場合が多い」として「怒りを適切に表現する方法を習うことがで
きなければ、攻撃的な言葉や行動が簡単に現れる」と繰り返し怒り調節の重要性を強調した。