【日本海呼称】イギリス人が韓国紙に寄稿:「韓国の『東海!』主張、本当の理由は反日感情ではないですか?」 ★2 [05/04]

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692犇@犇φ ★
【全訳の後半】

これは議論としては下手な方法であるうえ、議論に長く堪えうる主張にもなっていない。韓国が日本から
独立したのは1945年だが、(私の知る限り)この海域の呼称問題が取りざたされたのはやっと1997年に
なってからだ。すなわち、35年間の植民地統治が終わってから52年も経っているのである。

韓国側のもう一つの主張は、韓国人が「東海」という名称を用いてきたのは韓国人以外が「日本海」と
いう名称を用いるのよりも古くからだ、というものだ。「東海」という言葉が韓国の国歌の中でも歌われて
いる、という指摘もある。結構だろう。韓国人が自国の東にある海域を、自分たちの地図や本や歌の中で
どう呼ぼうと自由だ。だが、世界のほかの国々が、どうしてそれに従わなくてはいけないのか?

また、「Sea of Japan」という呼称は植民地支配の結果だという主張もある。つまり、当時韓国は日本の
統治下にあり、自らの主張が出来なかった、というわけだ。この主張は、近代以前の地図が示すとおり、
一部しか当てはまらない。「日本」というブランドは、18世紀末ないし19世紀初頭の段階で、「韓国」より
良く知られていた。日本は明治維新で近代化し、地域的・世界的な強国となった。地図の名前を書き換
えたところで、この事実を消すことはできない。

「Sea of Japan」という名称は韓国の独島(訳注:竹島のこと)領有権を脅かすものだと言っていらだつ人
もいる。この意見には先例の裏づけも論理性も無く、反論の必要すら無い。

私の見立てでは、韓国人が名称変更を望む真の理由は、単純だ。民族主義は東アジア全般において、
そしてとりわけ韓国において、強力な感情的な力である。韓国の民族主義の中核は、日本に対する
不信と嫌悪である。思うに、これこそが、「East Sea」キャンペーンの背後に潜む真の力である。

傷ついた自尊心から生じた独善的キャンペーンが、国際的支持を受けるはずもないではないか。逆に、
控えめで自制的な手法のほうが有効であろう。日本のやり方は、もっと攻撃性を抑えたものである。
韓国政府はIHOに16人の代表団を送り込んだが、日本政府は9人だけだ。Googleニュースで検索して
みると、韓国発の報道は30件以上ヒットするが、日本発のニュースは1つだけだった。

韓国の製品や大衆文化は世界中でファンを獲得しているが、民族主義感情がそうならないのは確実だ。
「East Sea」問題が沈静化し、韓国人が民族主義的(nationalist)問題よりも国内(national)問題に目を
向けるようになってくれることを望む。

だが、多分そうはならないだろう。あまりに感情に捉われた状況なのが現実だ。だから、もしあなたが
世間の注目を集めることを望む学者や、スタンドプレー好きの議員や、自称「広報の達人」や、狂信的
民族主義者なら、愛国主義的憤激を解き放つ新たなキャンペーンをすることをお勧めする。キャッチ
フレーズは、「『East Seaか、さもなくば戦争だ!』」でどうだろう。