【歴史】魏に朝貢したのは、遼東・朝鮮を支配する公孫氏が滅ぼされた翌年だった…「三国志」を冷静に見つめた卑弥呼の国家戦略[1/28]
「来年は日中国交正常化40周年。国民感情の改善を図っていきたい」。昨年11月、中国を訪れた玄葉光一郎外相は
温家宝首相らと会談し、友好関係をアピールした。しかし会談に合わせるかのように、中国艦艇6隻が沖縄沖の公海を航行。
硬軟織り交ぜた外交戦略が垣間見えた。
歴史の節目を迎えた両国関係は、はるか1800年前、日本が倭(わ)と呼ばれていた時代にまでさかのぼる。それは近年の
発掘調査で明らかになってきた。
女王・卑弥呼(ひみこ)が君臨した邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で1年前、
卑弥呼の宮殿かと話題を集めた大型建物跡から約3千個の桃の種と、土から桃の花粉を検出。建物周辺に桃の木が植えられ、
「桃源郷」をイメージした宮殿だったことが分かった。
桃は古代、仙人の食べ物とされ、中国の宮殿には桃園があったという。纒向遺跡の大型建物跡も、中国の宮殿を模倣する
ことで威厳を示そうとした可能性が浮上。そこには、卑弥呼のしたたかな国家戦略があったと見ることができる。
卑弥呼が活躍した2〜3世紀、倭は北部九州と畿内の2大勢力をはじめ、東海や出雲(島根)などが台頭した群雄割拠の
時代で、邪馬台国もその一つ。魏志倭人伝では卑弥呼は諸勢力が「共立」した女王とされ、政権基盤は決して盤石ではなかった
ようだ。
そこで、卑弥呼が頼ろうとしたのが中国の威光だったと見るのは、近藤喬一・山口大名誉教授(72)=東アジア考古学=だ。
当時は魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)がしのぎを削り、魏の曹操(そうそう)や蜀の劉備玄徳(りゅうびげんとく)ら英雄が覇を競った。
中でも優位にあった魏を、卑弥呼が外交相手に選ぶことは十分あり得た。
魏に朝貢した「景初3(239)年」は、卑弥呼が東アジア情勢を見極めていたことを示す重要なカギといえる。この前年、中国・
遼東半島から朝鮮半島北部の豪族で、倭と中国の交渉窓口だった公孫氏(こうそんし)が魏に反旗を翻して滅ぼされた。
「卑弥呼にとって公孫氏の滅亡は決して対岸の火事ではなかった。今度はいつ自分が攻められるか危機感をもったに違いない」
と近藤氏。中国に恭順の意を示すため朝貢したのは、公孫氏滅亡の翌年だった。「外交はひとつ間違えば国の存亡にかかわる。
卑弥呼はそれを知っていた」
■ ■ ■
景初3年は、日本の古墳から出土する銅鏡「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」の銘文に刻まれるなど、邪馬台国
ロマンのシンボルだ。魏志倭人伝は、魏が鏡などを下賜して「国中に示せ」としたと記す。政権に不安のあった卑弥呼は、中国皇帝
の権威を帯びた鏡を配ることで、国内統治を図ろうとした。三角縁神獣鏡は瀬戸内や日本海側で多く出土しており、大陸への
重要な海上ルートを確保した証しともいわれる。
三角縁神獣鏡は中国で出土していないことから、魏の下賜品ではなく日本製との説もあり、考古学界最大の論争となっている。
しかし近藤氏は「倭人伝に詳細に記された鏡が発掘で見つかっている。魏との関係は無視できない」とする。
東アジア情勢を敏感に察知し、中国の権威を内政に利用した卑弥呼。現在の「弱腰外交」に通じるようにも見えるが、自らの
国力と大陸の脅威を冷静に見据えた厳格な政治判断があった。近藤氏は言う。
「なぜそんなことをしたのか。国を造らなければならなかったからだ」
◇
尖閣問題など日本の外交力が問われるなか、連載最終章として外交史を踏まえた国のあり方を考える。
ソース(MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120128/wlf12012808000002-n1.htm 写真=3世紀の東アジアの勢力図
http://sankei.jp.msn.com/images/news/120128/wlf12012808000002-p1.jpg 写真=卑弥呼の鏡といわれる三角縁神獣鏡=奈良県天理市の黒塚古墳
http://sankei.jp.msn.com/images/news/120128/wlf12012808000002-p2.jpg
2 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:07:06.58 ID:E8QI7ZOx
まもなくチョンが沸きます
嘘に注意しそのまましばらくお待ち下さい。
司馬仲達=カエサル
卑弥呼=クレオパトラ
いい加減、劉備玄徳はやめようよ
ジャイアント馬場正平とか、アントニオ猪木寛至とか、ジャンボ鶴田友美とかって言わないでしょ?
むしろ公孫氏が邪魔だったという見方の方がしっくりくるな
中原への通路が開けたということか。
7 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:14:10.78 ID:19x9mqJC
>当時は魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)がしのぎを削り、魏の曹操(そうそう)や蜀の劉備玄徳(りゅうびげんとく)ら英雄が覇を競った。
これは記者の勝手なコメントか?
字(あざな)のことくらい少し調べりゃわかるだろうに
8 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:15:00.49 ID:GgDT0JTn
>>1 > 三国志
日本で大ヒット、ロングセラーで
中国も再評価してはやりはじめたんだよな。
ま、歴オタからゲーオタまで日本では
語るとうるさい香具師ばかりだからな。
9 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:16:19.10 ID:erJBbdWa
その頃から東日本では栄えた土地は無いんだね
やっぱ津波とかおきて暮らしにくい中々栄えない土地だったんだな
10 :
橋下:2012/01/28(土) 13:16:43.27 ID:vHBFl+c+
時間のあるときに観てください。
私は5年かかって世の中の裏を知りました。
周りの人は、テレビに洗脳されていて、真実に目を向けようとしませんでしたが、 これを観て、何人もの人が気づき始めました。
→
http://www.youtube.com/watch?v=zWPAktCuzK4 ネット上では、この様な情報はたくさんありますが、このシリーズは初心者でも理解し易い。
みんなでこれを使って情報拡散することを強く願う!!
既に日本が危険な状態です・・・
11 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:17:50.65 ID:J7XEK2SG
まだマキムクが邪馬台国とか言ってんのかw
もう九州北部で決着付いてんのにwwww
12 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:18:37.45 ID:9x4NIgED
朝鮮半島跳び越して外交してたの?
13 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:18:53.63 ID:92cbO2mN
むしろ中国人が神仙世界の理想郷としていたのが、
東方海上の神仙の島国「蓬莱」で、その君主の神仙「東王父」。
また西方山上で桃園のある「崑崙」とそこにすむ「西王母」。
ちなみにそれが三角縁神獣鏡に必ず鋳造された神仙二人。
>「外交はひとつ間違えば国の存亡にかかわる。卑弥呼はそれを知っていた」
現与党は知らなかった
15 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:21:01.13 ID:Z801biUF
16 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:21:35.24 ID:92cbO2mN
西王母は1年に一度 鳳(おおとり)の稀有(けう)の背を伝って東王父に会いに行くといい。
これが七夕のルーツのひとつといわれている。
>>9 記録はないけど遺跡は結構あるから、
栄えていないというのは微妙
18 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:22:42.45 ID:77Mxntqq
>>8 最近は映画まで、ゲームのような映像で辟易する。
19 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:24:21.94 ID:92cbO2mN
東王父はまたの名を東華帝君、扶桑大帝、木公、天皇といい、
そのため日本の君主は天皇を号した。
>>5 公孫氏は呉と誼を通じて反乱を起こしていたからな。
なので、実は呉も倭(日本)に出兵を企んでいたことはあったのだ。
呉は人口が少ないから、それを補うために日本から奴隷狩りをしようとしていた。
(で、まずその前哨として台湾にも出兵している)
…と見ると、「呉に対抗するために魏と結んだ」という側面もあるかもしれない。なかなか面白い。
>>13 ちなみに、始皇帝に命じられて「蓬莱」を探しに出た徐福は、日本に到達したんじゃないかとか言われてるねw
紀伊とかあの辺に「上陸伝説」がある。
22 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:25:32.37 ID:Z801biUF
加茂岩倉の近くで大量の銅鏡が見つかれば
邪馬台国北九州説は確定する
23 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:29:39.52 ID:9x4NIgED
少なくとも今の野田政権よりはかつての日本の方がよっぽど外交をマジメに取り組んでただろ。
今が日本の歴史上最低の外交力なんじゃないか?
>>12 飛び越してないよ
邪馬台国と魏の外交は主に朝鮮半島でやってたっぽいし
邪馬台国の使者が最初に向かった先は朝鮮半島だしね
26 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:32:09.54 ID:3S/alySI
>>22 もう決着してる話を一般人はあたかも両論が存在し争っているように考えているよね
畿内説で合意が出来ているんですよ
>>23 今の関東が出来たのは、江戸時代の干拓や埋立て以降だから
>>22 ヤマトが滅んだって記述があるんじゃなかったっけ?どこぞが倭の土地耕してるみたいな
大陸から来たのか内戦で滅んだのか知らんけどもしかしたら倭が北九州から東に移動したんじゃね
初代あたりの光栄三国志でコウソンサンの土地が
やたら不毛だったのを思い出した
泣きそうなレベルだったはず
>>27 それ以前だと千代田城(現・皇居)が岬の先端にそびえているような格好でしたんだっけ?(´・ω・)
当時の倭は今の日本と違って弱小国だったから、こんな外交手段もやむを得なかったのだろう。
33 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:37:55.97 ID:92cbO2mN
4世紀初ごろの纏向遺跡からは、大和はもちろん、吉備や出雲や讃岐や毛野王権とみられる炊飯土器は出土しているが
北九州のは出ていない。
むしろ瀬戸内海に高地性集落が配置され北九州と敵対していたとみられるが
5世紀近くになって北九州からそれらの炊飯土器が出るようになった。
魏志倭人伝では少なくとも北九州は邪馬台国の支配地域であり、
それより東(本州、四国)は別種の倭人とみられている。
35 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:38:58.15 ID:4QfOZhoN
もうさ、「卑弥呼」って当て字はやめた方がいいんじゃないか?
当時、日本では文字が無かったから当時の中国人が勝手に卑しい漢字を当て字に使ったんでしょ。
本来ならヒミコは「日御子」なんだろ。
邪馬台国の漢字もなぁ、ヨコシマな「邪」なんて漢字をわざと遣ってるし。
どうせ「大和之国」が訛って「邪馬台国」になったんでしょ。
>>35 漢字の意味が嫌だから改名とか、<丶`∀´>ぽくて嫌だな…
邪馬台=ヤマト=山戸=山口
つまり山口県こそヤマトの聖地だったのだよ!ナンダッテー(AAry
38 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:43:56.50 ID:HYtZ/0t0
一体いつまで、ヤマタイ国とか言ってんだよwwwwwwwwwww
どう考えても、ヤマト国だろ。
大和なんて文字は、中華文化圏が辺境の国に使うことなどない。
ヤマト国のヒメノミコト という言葉を、卑しい文字に置き換えただけ。
大ヤ邪 邪悪、邪魔の邪
マ馬 人間ではなく、動物の馬
和ト台 地面を意味する台
国国
ののの
姫ヒ卑 卑しいと
のメ弥 称され
尊ノ呼 呼ばれる
ミ
コ
ト
いい加減、ヤマト国のヒメノミコト ってことを認めろよバカが
39 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:44:28.71 ID:19x9mqJC
>>36 文字のない時代の固有名詞なら表音文字のほうが相応しいと思う
40 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:46:04.22 ID:+laNV3Wu
買いかぶりじゃないかな
正直、そこまで当時の大陸情勢わかっていたとも思えない
後年の遣隋使初回で国書も持たず行ったりとか外交儀礼に疎かったぐらいで
この頃も大差ないんじゃないかと
大体そういう見識あれば継続的に使者送るだろうし
41 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:46:42.86 ID:tpF45oKp
>>26 ……
>>22 もう決着してる話を一般人はあたかも両論が存在し争っているように考えているよね
畿内説で合意が出来ているんですよ
政治じゃないから歴史学上の結論を「合意」と言い方はおかしい。
関西に生まれ育って大学終えたあと・内外各地で生活して・今は九州に住んでるけど
邪馬台国の場所は立命館大学の元教授の書き物なんか見ると九州説にも信憑性を感じる。
「同意」でなく学問として結論に至る研究を待っている。
42 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:48:31.57 ID:b7kl0aut
∧,,∧
(;´・ω・) うーん・・・ たまたまじゃね?
/ ∽ |
しー-J
43 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:49:44.12 ID:HYtZ/0t0
皆さんは、
古代史や中華文化の基本的素養がないから理解出来ない。
大和国なんていう文字は、中国が他国に使うことなどない。
姫も尊もつかえない。
そんなことをしたら、史書編纂の担当者が首をはねられる!!!!!!!!!
だから、ヤマト の ヒメノミコ と音だけ引っ張り出して
あとは、邪悪な地べたの馬という国の (弥)皆が、卑しいと呼ぶ人
というような当て字を使ったんですよ
当時の中国の歴史観、中華思想からすれば、当然なんですけども・・・
>>35 卑弥呼は「皇族の祖先(天照大神)」説もあれば、「古代の女性天皇の誰か」説、あるいは「まったく別の一族」説もあって、
邪馬台国=大和国、とまでは言い切れていないはず。
卑弥呼が誰を指すのかもまだ全然わからない状態。ただ、近畿説が濃厚になりつつあって、そうするとおそらくは
今の天皇家一族――つまり皇族――の誰かなのではないか、という気がする。
今も中国に朝貢してるのに攻められてるよね
>>32 国内統一できてない勢力は大抵弱腰外交です、まあ統一しても半万年弱外交腰の所もありますが。
国内で百くらい国があったので、後ろ盾が欲しかっただけじゃないの。
卑弥呼云々はよく解らんが、公孫氏とやらに法則が発動したことは理解できる
49 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:51:31.82 ID:fmjEw+dA
>>35 単純に
台与を「トよ」と読ませといて、
邪馬台国を「やまタイ」と読ませるのはなぜなんだぜ?
50 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:54:00.87 ID:HYtZ/0t0
>>49 昔から、日本の歴史家は小説家の方が受けが良かったからね。
わざと物語に作り替えた人の説が有力になっちゃったんだろ。
宮本武蔵とかも吉川英治が美作の出身!って作り変えちゃってるけど、
宮本武蔵本人が播州出身ですって、著作に書いてるからね・・・
51 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:57:59.61 ID:GgDT0JTn
>>50 > 吉川英治
彼の本は歴史をモチーフにした
歴史小説だからな。
たまに、彼の本の引用で歴史を語る香具師に
飲み屋で出会うときがある。
52 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:58:56.74 ID:4QfOZhoN
>>49 当て字なんて特に決まりなんざありゃしないからね。
同じ文字でも違う読み方なんてざらにあるから。
推測するに同時の「ト」の発音が「トゥ」に近かったんじゃないかと思う。
口で言ってごらん、「ヤマトゥコク」って。
聞き様によっては「ヤマタイコク」って聞こえるから。
53 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:02:45.27 ID:HYtZ/0t0
>>51 吉川だけじゃないからな
日本の歴史かは、今でもヒドイ。
邪馬台国
ドコからどう呼んでも、ヤマトコクって読んでしまえるものを、
なぜかヤマタイと読み方を創りだして、何十年も論争してるからね。
漢委奴国王印も、福岡藩の内部抗争で製造されたマガイモノだからね。
その辺り含めて、日本の歴史かは徹底的に叩かれるべき存在。
コリエイトを馬鹿にできないレベル。
朝鮮って、公孫讃に支配されていたのか。
そんな昔から、しかも地方豪族レベルに支配される属国だったのね。
>>36 改名っていうか、そもそも正しい名前じゃないだろ
中国が勝手に付けた蔑称をなんで正式なものとして
使う必要があるんだよ
56 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:04:28.91 ID:7UWSkiYE
ってか前から疑問だったんだけど
卑弥呼をヒミコってなんで読み方わかるの?
大和とか倭をヤマトとか勝手に読んだり誰がそんなこときめたの?
あと奈良のこと大和っていうしあそこがヤマタイ国じゃねーの?
理系にはようわからん
三国時代と日本って結構関係深いよな。
坂上田村麻呂って後漢の皇族の末裔なんだよな。
もっと日本側に記録が残ってたら面白かったのになぁ。
58 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:08:00.80 ID:6ICwWuCp
この中国の戦国時代には、大動乱のために移住先を求めていて、
王朝の官僚階層が東方に平穏な国があるとか書いた木簡が出ていて、
その移住で、日本にかなりの鉄器や文物がもたらされたようだし。
もちろん、それは民族集団の一部に過ぎないが、重要なものではある。
5000年前の航海技術でも、ある民族は相当なものだったようだし。
日韓同祖説みたいに朝鮮併合を正当化するためにそれらしく作った後付けウソ学説を韓国人は今でも信じちゃったりするけどな
60 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:10:00.66 ID:Hcqdr35S
頼った先も分裂王朝というねwww
61 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:10:11.06 ID:r3olTjpi
日本は永代属国だということ?ネトウヨ哀れw
62 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:10:13.89 ID:HYtZ/0t0
>>56 卑弥呼は ヒメノミコト
邪馬台は ヤマト
大和国は、姫の尊が国を治めていた。
それだけなんですけどね。
金印以外のどんな遺跡が近畿で発見されても
中国の正史を読む限り旧唐書まで倭国は九州。
>>1 当時の故事を引いて、政府の弱腰にもみえる対中政策はしたたかな情勢判断で行われているといいたそうな
記事だが、当時の日中の文明の格差や中国が日本にもたらしてくれるものの大きさを現在と比較してみたら
どうだ?
65 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:13:24.21 ID:HYtZ/0t0
>>54 公孫サンとは別の一族。公孫度―公孫康・公孫恭―公孫淵の一族だな。
67 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:15:06.55 ID:HYtZ/0t0
そもそもお前ら、後漢書東夷伝を読んだら分かる。
私達はコレコレシカジカの苦労をして九州まで行って話を聞いてきたのですが、
ヤマト国はヒメノミコトが仕切っているそうです。
呪術とか使える女のようです。
そんな報告書だからなwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>66 全員ほとんど同じ能力値の将軍なんだよねw
69 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:16:12.85 ID:6uf9msda
日出処天子致書日没処天子無恙
東天皇敬白西皇帝
70 :
稗田朝臣無礼:2012/01/28(土) 14:17:47.23 ID:oyFMKF9q
>>1 九州系の新聞のことは知らないが、
マスゴミというのはどうして、邪馬台国と纒向を安直に結びつけたがるのか。
本来、「倭」は呉の方に近いにのだが、当時の航海技術からすれば、
朝鮮半島に渡ってから行った方が安全で確実だった。
解釈の仕方といえばそれまでだが、
(古代史は学者といわれる人々にもデムパに近い安直な解釈が横行しているが)
魏や呉も「倭」攻める余裕はない。
むしろ、「倭」の人口の多さに注目していた。
だから、魏は倭をもっと南方に想定していたため、
本来呉に近いのによくぞ朝貢に来た、と厚遇を示した。
引用されている学者先生の御説はちょっと首をかしげざるを得ない。
魏志倭人伝に日本にはブタがいないとの記述から遺跡から出土されたイノシシ科の獣骨は全て野生のイノシシだと判断されてきました。
しかし動物考古学の発展で動物学者や獣医学者がそれらの獣骨を再調査した結果、アジアブタの獣骨や数世代に渡り飼育された家畜化途中のイノシシの獣骨だと判明しています。
このアジアブタの獣骨は主に九州地区で発掘されており、九州地区では縄文弥生時代から東南アジア地域からの家畜の移動があったことを示しています。
動物考古学 人類と動植物の関係の歴史を史書の頼らず動物学・植物学の見地から科学的に検証しようという学問
72 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:24:09.17 ID:6ICwWuCp
>>20 >実は呉も倭(日本)に出兵を企んでいた
>呉は人口が少ないから、それを補うために日本から奴隷狩り
そうでしたか。「帝国」なり「奴隷」システムで運営されていた大陸中国は、
いかに日本とは異質なのかを、たぶん肌で知っていたでしょうからね。
73 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:24:09.75 ID:WM59nzl8
あの時代は超辺境扱いで大した資源も無かった日本にあの時代の原始的な船で海渡って総力上げて攻めてくるわけねぇだろ
卑弥子さんもビビリだな
74 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:24:45.10 ID:al5wdGiV
>>25 それは100パーセントないわ、当時も現在も外交の基本というのは
力関係の弱いものが相手国に出向くというのが必然で倭の支配が及んでいる
半島で外交交渉なんて許すはずもないよ、仮に半島が第三国とすればそれは
魏と倭国が同等の場合だけど同等じゃないからな
75 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:29:46.03 ID:HYtZ/0t0
>>73 そうじゃなくて、朝鮮半島との力関係が欲しかったのが事実だろ。
中国は、
他国が中国に贈り物をしたら貢物と称し、
時刻が他国に贈り物をしたら印綬と称する。
勝手にそういう話にしているだけで、ヤマトが中国に貢いでいたわけじゃない。
>>73 三国時代の最も大きな資源は「人口」ですよ。つまり、そういう意味では倭(日本)はいっぱい資源のある国だったのだ。
戦乱でものすごく人口が急減していたし、だからこそ呉も蜀も戦争で生け捕った捕虜は貴重な戦力だった。
77 :
稗田朝臣無礼:2012/01/28(土) 14:31:47.81 ID:oyFMKF9q
>>71 ブタの記述があったかどうか記憶が定かではないけれど、
牛馬はいないと明記されている。
ただ、これも若干骨が出てきているようで、
家畜としても牛馬は確かにいなかったが、
野生のものはいたかもしれないと、
発掘されたものが、よく調べたら中世のものだったとか、
諸説紛々としているようだ。
>>76はwikiソースで申し訳ないんだが、
後漢末の157年の人口が5648万人だったのに、三国時代ではわずか818万人まで減った。
いきなり1/7まで減ったのだ。(とはいえ、これはもちろん戦乱で記録から漏れている大勢の流民もいたであろうことは推測できるが)
さらに言うと、魏がほぼこの半分強を占めていて、呉や蜀はその残りを分け合っているような状態。
呉にいたっては、支配している範囲は広いが、あまりに人口がスカスカすぎて、だからこそあちこちで山賊が反乱を起こしたほど。
…という背景とかも理解すると面白いと思いマス。
>>61 どれだけネトウヨにコンプレックス持ってるのか
80 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:34:18.20 ID:HYtZ/0t0
そんなもん、後漢書東夷伝なんか、信じてる奴が馬鹿だろwwwww
魔法を使える奴が・・・
永遠の命を授かった仙人の・・・
とか、そんな本なんだよ。
そんなもん、根拠にアーダコーダ言っても無駄。
そもそも、後漢書東夷伝書いた奴が書いてるのは、
倭に行ってこんな話を聞いて来ました。という人の話を聞きましたという人がいます。
というものだからなwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
信じてる奴がアホwwwwwwwwww
>>75 朝貢は支那が貰った貢物よりも多くの物を属国にを与えるので、
利益の為に自発的に属国になる小国もありますからね。
82 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:37:24.35 ID:XMqf8nx1
57年 倭の奴国王、後漢に朝貢し、光武帝から印綬を授けられる
107年 倭国王帥升らが後漢に奴隷を献上
239年 卑弥呼、魏の明帝への奉献を願う
266年 倭(わ)の女王、使いを西晋に送り、朝貢
425年 倭王の讃、宋に朝貢
443年 倭王の済、宋に朝貢
477年 倭王(わおう)の興(こう)没。弟の武が立つ。宋に朝貢。百済を救援
600年 最初の遣隋使を送る
607年 小野妹子を隋に派遣
610年 遣隋使を送る
630年 犬上御田鍬?薬師恵日を唐に派遣(第1次遣唐使)
663年 日本.百済軍、新羅.唐軍に大敗(白村江の戦い)
894年 唐使は894年の廃止までに20回任命されている。その全部が唐に渡ったのではなくて16回である
907年 唐は滅亡し五代十国の分裂時代へ
1329〜1383 懐良親王(日本国王の冊封を受けた)
中国の皇帝(建国直後の明の洪武帝)にお願いして、「日本国王」の称号までもらってしまった
1358〜1408 室町幕府3代将軍の足利義満が明朝に対して使節を派遣して「日本国王」に冊封される
>>80 魔法を使える人間がいました、と書かれているのと、魔法を使える人がいましたという報告がありました、
と書かれてるのとではまったく意味合いが違うんだが。
84 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:40:21.07 ID:HYtZ/0t0
>>81 多くのものwwww お前馬鹿だなwwwwwwwwww
交易ってのは、
自分にとってはくだらないモノを相手に渡して、
相手はソレを素晴らしいものとして受け止めるんだよ。
染み付きヨレヨレパンティーをうけとって、1万円払ってる奴がいるよな?
だけど、女はソレを見て、1万円で売れたwwwwwwwwウソみたいwwww
って喜んでんだよ。
歴史的新発見がされてもヒミコのイメージが
黒金某版とか手塚某版しかうかばないオッサンがここに1名
>>78 魏は公孫氏の反乱時に司馬懿が京観作ってるくらいだし、
人口目当てで攻めるようなことはなかったかと。
87 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:42:29.71 ID:HYtZ/0t0
>>83 あぁ確かに意味が違うな
でも、多分お前がフォローしたがってるような内容じゃないよ。
後漢書東夷伝は、明らかに、
オカルト雑誌ムーレベルの、
信用できない小説です。
>>78 >魏がほぼこの半分強を占めていて、呉や蜀はその残りを分け合っているような状態。
しかも呉と蜀に移住した流民が、平穏を取り戻した中原(魏)へ次々に戻るので、更に格差が進んでゆく。
89 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:43:24.75 ID:6ICwWuCp
「占い」という、政治のことなんですけどね。
様々な環境変化・社会問題に対して、自然からの「兆候」を「お告げ」として語る人が、
人心をまとめるという役割をしていたわけで。
兆候だから、妙な「声が聞こえる」って話になるわけで。
現代政治のほうが、よほど機能不全に陥っている面もある。
神権政治に戻れという意味じゃなくて。
> 「外交はひとつ間違えば国の存亡にかかわる。
> 卑弥呼はそれを知っていた」
民主党は全然知らんかったw
>>87 まぁ自国国内での出来事を記録していったものじゃなく海の向こうの行ったこともないような国の伝聞だから、
オカルトっぽいところがあるのは許してやれよ。そんなこと言ったら竜が天に昇っただとか鳳凰が舞い降りただとか
いろいろ書いてるぞ。
>>78 長坂坡のように流民の大量移動が当たり前でしたしね
土地が広い分、土地に対する愛着はあまり無かったのか
93 :
稗田朝臣無礼:2012/01/28(土) 14:45:11.66 ID:oyFMKF9q
地政学的に、魏にとって倭というのは呉に対して牽制する役を果たし得る国だった。
実際には邪馬台国は倭国内の敵対勢力に対応するだけで手一杯だったが。
歴史は繰り返す。
明が清によって滅亡させられる直前、明は日本に軍事援助を求め、
清(女真)もまた日本府という(架空の)役をもうけて、
清の背後に日本ありと思わせようとした。
元寇や倭寇やヒデヨシの朝鮮出兵で日本の国力と武力は、
日本人が考えている以上に他国には脅威だった。
94 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:46:35.81 ID:al5wdGiV
>>70 陸地を通れば蛮族にやられる危険性も増すと思うけど
95 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:46:51.05 ID:HYtZ/0t0
>>91 だから信じるなって言ってるだろうが 馬鹿か
東夷伝なんて信じて、邪馬台国はどこにありましたか?なんて言ってるのは、
そんな国ねぇよwwwヤマトだろバカww オッサン小学校出たのかよ
というレベルのはなしです。
>>87 1000年近く後に書かれた、東方見聞録だってかなりてきとーだけど
>>75 印綬と称する。 って,なんだよ。印綬は印綬だろ。
>>84 中国の朝貢貿易っていうのはそうじゃないよ。
中国はどれだけ豪華なものを相手に与えたかが皇帝のステータスになるから気前よくくれるんだ。
もちろん相手によって差別化はするんだがね。
>>86 魏は比較的人口には恵まれていたのでその通り。俺が人口目当てで日本に攻める計画をしていた―というのは「呉」の方。
ちなみに、日本でも有名な陸ソンが「それはあまりにも費用対効果がバカバカしいのでは」と反対して、結局頓挫した。
>>88 んだねぇ。でも、蜀錦はこの頃に生まれたもので、そういう産業振興策なんかもあって人口流出を何とか食い止めようとしてた。
>>92 日本と違って土地に対する執着があまりないのでは。むしろ逃れて新天地を探した方が生き残れたというか。
99 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:51:06.10 ID:XMqf8nx1
国のイメージだ
中国=龍
韓国=虎
日本=猿
中国は壮大な国、龍がふさわしい
韓国は韓民族の国、古代から中国と張り合ってきたアジアの虎
日本は古代は韓国、近代は西洋の猿真似、だから猿
アジアの白人とアジアの黒人
100 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:51:15.83 ID:miE4Sd34
スレ立てた奴にレスしてる馬鹿消えろ
101 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:52:19.09 ID:HYtZ/0t0
>>96 だから言ってるだろ 小説を信じるなって
大半の日本人が歴史作品だと信じ込んでるNHKの大河ドラマも
単なる歴史風物語だし・・・
102 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:52:54.27 ID:dJ2FgKKD
>>84 ことによっちゃーその染み付きパンティすら貰うことなく
突然攻め込まれて滅亡させられる小国だってあったわけだから
あらゆるものを貢いででも殺されたくない小国がいて当たり前でしょ。
命には代えられんってわけですよ。
103 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:54:45.11 ID:HYtZ/0t0
>>92 1000年ぐらい前までは、流民ってのはむしろ通常の出来事だったわけで。
何が現在に通じるだよ
ヒミコは国益考えてるけど現在のは国益度外視
能力の差は歴然
今の日本のような国力の無かった古代の外交がどれほど大変だったか
105 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:00:39.52 ID:HYtZ/0t0
>>97 お前は相手を否定しようと必死だから、言葉の意味が分かっていない。
印綬ってのは、
中国特有の内向き外交手法なんだよ。
わかる?
印綬ってのは、元来、外向きじゃなくて、内向きなの。
中華【これ、どうぞ
他国【おーありがとう これなに?
中華【玉でできた印鑑をプレゼントしますよ!
他国【あーそう?なんて書いてあるの?
中華【貴方はソコの王様です!って意味ですよ
他国【あーそうか^ー^ありがとうありがとう
中華【はい!色々珍しいものをいただくお礼ですよ^ー^
他国【わかった また珍しいもの贈るわ!
中華【フヒヒ お前らな? あそこの国は オレが認めた王様なんだぞ?
配下【マジすか?
中華【そうよ?オレが王様だよーって印鑑作ってやったから 王様なんだぜ?
配下【すげぇ・・・
これが中華の印綬文化
ちなみに、現代では、中国が天皇に印鑑渡そうとして拒否されてますwwwwwwwwwww
>>88 魏は、匈奴、鮮卑、羌を屯田させていたけどね(五胡十六国の遠因)
107 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:01:12.68 ID:iLVRO4BK
そもそも卑弥呼って権力あったの
まだ科学がないから宗教的シンボルとして部族を纏め上げるためのアイドルだったんじゃねーの
で、実権は周辺のおっさん
108 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:03:16.99 ID:HYtZ/0t0
>>107 ヤマトのヒメミコの権力は、現代の天皇レベルかソレ以上だね。
今の天皇の祖先で 祭祀を仕切る現人神 つまり天皇だった
たまたまだろうな
110 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:05:56.88 ID:McEtzll4
>>103 1000年前どころか最近の朝鮮戦争当時に大量の流民が日本に流れ込んでるw
111 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:06:28.39 ID:HYtZ/0t0
そもそも朝貢なんてしてなくて単なる交易。
それを、朝貢しに来たよー!って言い出しただけ。
112 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:07:20.56 ID:HYtZ/0t0
>>110 いや これから北朝鮮動乱が起こったら 1000万単位で来ると思うから
朝鮮戦争当時の流民については、大量とは言えないけど
113 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:07:53.69 ID:2poplF6g
>>105 印鑑には金製、銀製、銅製があってね、朝鮮には陶製だったってw
日本は中国の属国だった事実。
韓国は9000年自主独立国だったが
>>98 呉から九州って東京福岡ぐらいの距離あるけど
当時の船技術で数千数万単位の人間拉致とか出来んだろ
朝鮮経由じゃないとまず無理だわ
117 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:11:46.27 ID:2poplF6g
s korea の事を韓国と言うのかいw
118 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:14:11.44 ID:N2mtY+lv
>>10 都合の悪いことは書き込めないアメノウズメ塾って韓国人がやってるの?
120 :
卍:2012/01/28(土) 15:15:08.51 ID:kTjlHP+w
邪馬台国は北九州でしょう?奴こくが九州なのは確実です。隣国ですので
九州でしょう。
>>116 そうだよ。だから陸ソンが反対して頓挫したと言ってるだろうw
もっと後の時代の遣唐使ですら、海を渡れなかった人はいっぱいいるわけで、実はかなりの難コースなのだ。
逆に言えば、そんな荒唐無稽なことすら考えざるをえないほどに、呉の人口危機って大きかったのだよ。
実際に台湾には出兵してるのだ。まぁ、それで全然費用対効果に見合わなかったのだけど。
>>119 いやそれは単に「敵の敵は味方」ってだけだと思うけどw
まぁもっとも、公孫淵はその後呉の使者の首を切って魏に投降したりとかしてたから、いざ攻められた時には呉は全く助けなかったが。
123 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:18:04.62 ID:FUjNtYjR
凄い基地外が一人湧いてるwww
124 :
卍:2012/01/28(土) 15:19:24.40 ID:kTjlHP+w
鑑真和尚は3回目に日本に到達。遣唐使は神風攻撃隊でした。
125 :
伊58 ◆AOfDTU.apk :2012/01/28(土) 15:20:45.47 ID:HSLVW/Fe
>>121 > 逆に言えば、そんな荒唐無稽なことすら考えざるをえないほどに、呉の人口危機って大きかったのだよ。
統計上の数字を見る限りは、三国志前後で大きく人口が激減しているのは事実ですからねえ。
統計漏れもあるだろうが、安禄山の乱の時のように農民をひっつかまえて食っていた可能性もある。
126 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:20:58.60 ID:0Lnyp/JO
穢便器がまだシベリアにいた頃の話だな
>女王・卑弥呼(ひみこ)が君臨した邪馬台国の最有力候補地
いつから最有力に????
ちなみに、呉が海を渡って夷州(いしゅう)と亶州(たんしゅう)に兵を出したのが230年。
で、夷州には辿り着いたが、亶州には辿り着けなかった。
夷州は台湾を指し、亶州は沖縄とも日本とも言われている。
>>1の公孫氏が滅ぼされたのが238年で、倭が魏に朝貢したのが239年。
こうやって見ると、魏・呉・倭のそれぞれの出来事は、密接に関連性があるんではないかなと思ったりしてね。
129 :
稗田朝臣無礼:2012/01/28(土) 15:27:27.76 ID:oyFMKF9q
>>111 現実には日本の朝貢貿易というのはそういうもの。
中国王朝には対等外交というものはないので、
册封を受けた王にその貿易を認めるというもの。
ただし、中国皇帝は諸国の王に対してその貢ぎ物の何十倍もの下賜品を賜ったので、
実利的には多大なものがあった。
朝鮮などの周辺国は册封を受けなければ攻撃される危険が大きかったが、
日本にとっては元寇を唯一の例外として、(それでさえ局地戦でしかなかったが)
中国の実質的な脅威は存在しなかったので、
実利的に見ればおいしい交易であったことは間違いない。
和服のことを「呉服」、つまり「呉」の服って言うよね?
つまり、そういうことだ。呉の人間が渡ってきて、日本を侵略し、そして
着ていたのが「呉服」=「和服」
広島県の呉市は、呉からやってきた人間が住み着き、呉という氏を名乗った
のがもともとの由来。だから、ここで遣唐使船も作ったし、後に造船・海軍の
街となった。
あと、公孫氏を滅ぼした後、244年には高句麗の首都も魏のカン丘倹によって落とされた。
(高句麗王には逃げられて、滅ぼすことはできなかった)
これも、倭との朝貢が成立した事と多少関係はあるのではないか?とも思うわけ。
そう考えていくと、歴史というのが重層的に理解できるようになりおもしろくなる。
>>125 中国の人口は、戸籍人口だから、
三国時代は、王権が弱く戸籍に載ってない人口が多かったと
考えるのが妥当かも。
特に、名士・豪族の庇護下にあった農民は戸籍に載っていなかった可能性がある。
益州に関しては戦乱・飢饉がほとんど起きてないのに 720万→100万 なのよ。
後、屯田戸は戸籍人口に載って居らず、晋代に屯田戸を
通常戸に移したとき、人口が倍になったとか。
133 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:29:45.03 ID:/4WT0alJ
>>113 えっ?
朝鮮は銅だよ。時期によって違うのか?ちなみに属国の中での序列は一番下だった。
琉球は銀。
倭は金にもう一つ格が付いたやつだった。
>>105 バカだねぇ。
この印綬は文書の封泥に使って文書が本物であることの証明とするんだよ。
外藩ならその印綬がなければ外交文書のやりとりができないんだ。
中国や楽浪郡治と見られる場所からは実際に封泥がたくさん出土しているよ。
>>130 当時一般的だった貫頭衣に対して、輸入品の呉服ってだけ
印綬じゃないな。綬は紐だからないと困るのは印。
倭寇ってのがあるが、あれはなんで朝鮮南部やら中国の沿岸部にまで
進出していたと思う?
つまり、これが「倭」の勢力圏だったわけ
白村江で百済がどうこうって言ってるが、陸ではなく、対馬海峡(朝鮮海峡)
及び、東シナ海を支配していた民族がいたわけ。これが倭国。それが
白村江で大敗北し、滅亡した。そこで取って代わったのがヤマト。
でも、倭寇っていうか、海賊とも言われたが、後の鄭成功の時代までずっと
この海を支配していた。鄭成功が父が中国人、母は日本人と言われるが、
実際には、中国にいた倭人と、日本にいた倭人との息子ってなだけ。
140 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:33:06.34 ID:/4WT0alJ
>>124 神風とは意味が違うよ。
むしろ幕末の欧州使節団にあたる。
141 :
卍:2012/01/28(土) 15:36:25.14 ID:kTjlHP+w
死して屍拾う者なしですが、DVD
kuukaiでも見たら。ああそうそう、散髪にいこうとしましたら
アラームです。
じゃま大国って日本らしいネーミングだな
過去の中国人のギャグセンスには感心するよ
143 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:37:49.45 ID:HYtZ/0t0
もしかして、
漢の奴の倭の国王の金印が、
偽物だってこと知らない人、
いるの?wwwwwwwwwwwwwwww
今時いるのwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>138 ヒミコは金印紫綬だけどされより昔の漢委奴国王印は金印ということみたい。
違いはあるのか?
145 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:39:02.43 ID:9e8Umbs+
>>130 論理破綻。
呉の人間がやってきて、@完全に和服を駆逐したなら「呉」服とは呼ばない。
「服」で十分だから。A和服と呉服が共存するなら和服に対する呉服の概念が
あるわけで、両者は異なるもの。
146 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:39:05.35 ID:al5wdGiV
>>103 BC3,4世紀の春秋戦国時代から流民なんて普通にあったし
20年ほど前も日本にくるボートピープルが問題になっていた
147 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:39:19.19 ID:bp7B+3Xo
>>73 倭は中国に豪勢な朝貢品を持っていってるぞ。
白珠3000だったか。真珠の事だろうけど、養殖が出来てなかった当時、大変な数だったはず。
148 :
稗田朝臣無礼:2012/01/28(土) 15:41:12.37 ID:oyFMKF9q
>>135 >呉服
というのは呉製の絹織物という意味。
古来高級品とされた。それが和服に転用されただけ。
ちなみに、服部半蔵の「はっとり」姓は呉から招いた職人の一人。
呉服部、くれはとりべ、から来ている。
ただ半蔵の系譜図では秦氏の流れになっているようだが。
秦氏についても諸説あるけれども、
乱を逃れて朝鮮半島に移り住んだ中国系の集団であるというのがほぼ定説になりつつある。
149 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:41:58.23 ID:9e8Umbs+
>>137 白村江の戦いは大化の改新以降で、戦争の主体は畿内の中央政府ですが。
歴板の人が見たらひっくり返るぞ。
150 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:42:40.09 ID:HYtZ/0t0
呉服→呉の服wwwwwwwwww
だったら、
南蛮人は、背が高くて、肌が白くて、目が青くて、神の黄色い、
東南アジア人だったんですねwwwwwww
151 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:43:25.22 ID:2poplF6g
>>147 貝塚ができるくらいよく食べてた、きれいなごみ程度かもw
>>144 紫綬は印をぶら下げる紫の紐。
漢王朝の制度では金印には紫綬と決まってるから,
金印とあっても紫綬だったろうと言われている。
153 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:44:23.57 ID:RYtQPX9Y
昔は朝鮮や琉球(沖縄)、大理(雲南)西夏(寧夏)ネパール、ビルマ、ブータン、安南(ベトナム)西域(中央アジア.ウイグル) などは、中国の属国だ
154 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:44:59.09 ID:HYtZ/0t0
>>152 いつまで金印の話してんだ
江戸時代の国学者が発注した金色の印鑑のことだろ?wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ばーかwwwwww
当時開発された魏呉ナビが未だに使われているのは流石日本ですね
>>147 現物を見たこと無いから仮想だけど、粒が小さなものならアワビからも稀に取れるし
そちらは食用(神事にも使用)として頻繁にとっていたから、結構流通してたかも
157 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:46:08.74 ID:bp7B+3Xo
>>151 真珠がそんなレベルのハズがないだろう。
>>149 近畿政府が白村江の戦いに参加したという証拠は亡かったような気がする。
>>141 神風は死ぬこと前提の手段で国を守るという行為でしょ。
遣唐使は生きて返ってくることが任務。
遣唐使や鑑真の行為は死もを覚悟した危険な行為だったのは同意。実際帰って来れなかったこともあったし。
159 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:48:21.19 ID:HYtZ/0t0
>>158 神風 → 神の起こす奇跡
神風特攻→ 命がけの特攻
遣唐使 → 命がけの渡航
お前は国語能力が低い
ソレじゃコミュニケーションできないだろ
160 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:48:27.14 ID:bp7B+3Xo
>>1 そんなものなら、わざわざ贈り物にしないし、養殖技術を開発する必要も無い。
貝の中に入って他のを見つけたことあるのか?
161 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:49:31.63 ID:HYtZ/0t0
>>160 いや、真珠は天然物あるし。
貝殻や珊瑚は近代まで宝物だし。
162 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:50:24.70 ID:bp7B+3Xo
>>160 装飾品じゃなく薬として送っていたなら、大きさはあまり関係ない
164 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:51:04.71 ID:tFNF5JKB
ちなみにあの時代、日本は金印を贈られたが、古朝鮮は銅印を貰っていた。
昔っから、馬鹿にされていた朝鮮。
これ一次資料でも証明されているが、左巻き歴史学者は口を閉じている。
165 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:51:17.40 ID:AG7GLOTE
>公孫氏が滅ぼされた翌年、優位にあった魏を、卑弥呼が外交相手に選ぶ
公孫滅亡の頃って、魏呉蜀の三国体制なんてまだ無かったんじゃないのか?
魏に行ったのは、皇帝が居たからだろ
166 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:51:58.01 ID:HYtZ/0t0
お前ら文章の世界に埋没しすぎだろ
1000年以上前の宝飾品とか博物館とかで見てこいよ。
子供のおもちゃかよ!っていうレベルのが多いぞ。
167 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:52:32.28 ID:tqqBYUqH
もっと鋼鉄ジーグ寄りの会話になってるの期待したのにガッカリだ
168 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:55:26.48 ID:9e8Umbs+
>>157 百済の救援要請を受けて軍を派遣したのは中大兄皇子です。
>>159 神風特攻隊を神風と略しただけだが。
>神風は死ぬこと前提の手段で国を守るという行為でしょ。
これで特攻隊のほうだと分からないのなら相当国語力が低い。
おまえこそすでにコミュニケーションができていない。
170 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:57:35.03 ID:bp7B+3Xo
>>163 仮定の話をするなよ。宝飾品だろう、まずは。
天然に取れたものに決まってるが、それを5000も撮るのは大変だ。
自分でとってみ。
171 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:57:40.70 ID:9e8Umbs+
>>169 お触り非推奨の卍もここまでレスをもらえて冥利に尽きるだろうな。
>>165 この頃はむしろ三国体制末期。諸葛孔明が死んで、司馬仲達がだんだん魏で力を持ち始めた頃。
(公孫氏を滅ぼしたのは司馬仲達だから)。
>>170 当時、日本全国に漁師が数人しかいないと思ってるのか・・・・
卑弥呼ってのはいないらしいよ
ネトウヨ学者の創作
175 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 16:00:23.50 ID:2poplF6g
周りが海の日本と、酢に溶かしてまで飲みたい中国と温度差があってもいいじゃないw
176 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 16:02:30.94 ID:PxA/FngC
ヘブライ系アラム方言で「ヤ・ウマト」という二つの言葉は、古代ヘブライ人の象徴「神の民」という意味を持つ
で大陸の人間が卑しい感じを割り当てた
179 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 16:04:36.66 ID:9e8Umbs+
>>176 ではヘブライ人は神の民ではないと。連中にしてはやけに謙虚なことで。
180 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 16:04:40.45 ID:bp7B+3Xo
>>173 あのなあ。何千人いようとそんなに取れる門じゃない。
自分で偶然にでも探してみろ。
そもそも、玉、というのが古代に珍重されてたのは常識だろうが。
181 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 16:06:19.90 ID:HYtZ/0t0
それにしても、日本の歴史学者はナニも知らんから、本当に恐ろしい。
公孫が独立勢力になって、高句麗、朝鮮、倭などと密接しており、
皇帝を名乗って、朝鮮や日本と交易してたことも知らんのかね・・・
それで玉璽まで作って皇帝を名乗り始めたから、
魏が発狂して公孫を滅亡させたわけだから、
その翌年から大使が魏まで到達するのは当然の成り行き。
頭大丈夫かね。
182 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 16:07:38.17 ID:bp7B+3Xo
>>163 それから、原文は白珠五千孔で、孔ということで穴をあけてたんだろうから、やはり宝飾品だな。
183 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 16:09:32.28 ID:flc7FYGo
記者は小難しく考えてるが、魏が遼東公孫氏を倒して
楽浪郡や帯方郡を支配下に置いたってことは、
魏が平壌やソウル辺りまで支配してるってことだぞ。
冷静に見つめるも何も、当時の航海技術では
魏以外とはまともに交流できねーよ。
遣唐使の時代でも東シナ海突っ切るのは超危険だったのに。
184 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 16:09:58.89 ID:Xmsr0ABg
勝って当然の大軍連れて遼東に行った司馬仲達は悪天候と疫病で大苦戦。
人口回復が当時の大命題だったのに。敵将をとりにがしたせいか、
大虐殺をやらかしてしまう。
「亡くなった将兵の遺族や文官どもから大尉どのの責任を問う声が。」
司馬懿「うぬぬ、なにかよい方法はないものか」
「大尉どの、幽州から逃げ遅れた倭の使者を捕らえたとの知らせが。」
司馬懿 ピコーン!!「それだ」
司馬懿「そちが倭の使者か?」
使者 「はい、命ばかりはお助けを」
司馬懿「よしよし、これからいうとおりにするのだぞ。ところでつれている2人も倭人か。」
使者 「いいえ、これは途中で捕らえた朝鮮人でございます。」
司馬懿「では、それを生口として朝廷に差し出すのじゃ、遠方の倭と遼東の間に
妨げるものがないということがわしが公孫氏に逃げられたのではないということ
の証拠になるのじゃ。」
使者 「朝鮮人はどうなるのですか?」
司馬懿「このたびの戦ではたくさん人が死んだ。墓前に供えるに
敵の一族の首にまさるものがあろうや、皇帝も大歓迎される
であろう。余計なことは言うでないぞ。」
185 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 16:10:20.45 ID:al5wdGiV
いやー侃々諤々の歴史論争おもしろいね
日中国交正常化40周年のために余計なネタ満載だことw
187 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 16:13:14.29 ID:9e8Umbs+
劉備玄徳とか書く奴が歴史を語るなよ
邪馬台国・大和国について妄想
卑弥呼 →卑+弥呼 →卑+みこ →みこ
神功天皇 →神功 →みこう →みこ
古代支那読みで こう近づけること出来ないかね?
「日の巫女」に固執するのが解せない
物理専攻した門外漢なので同意は得られまい・・・
190 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 16:16:55.61 ID:HYtZ/0t0
>>189 できない
邪馬台国→ヤマト→大和
卑弥呼→ヒメノミコト→姫の尊
ひねるな 普通に考えろ
>>184 それは妄想すぎw
そもそも苦戦すら全くしてなくて、みなの予想を裏切るほどあっという間に攻め滅ぼしてしまったので、
「司馬仲達おそるべし」という声になってそれで段々閑職においやられ、それが後のクーデターとなっていく遠因となるのだ。
192 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 16:23:28.24 ID:fV5KJRBH
>>105 笑ったw 中国人の見栄っ張りは大昔から変わってねーな。
このスレ面白いな。
まぁ要するに、ただの人間が「オレは天皇だ」「いや私は神なのだ」
ってそれぞれが勝手勘違い自称してたってことか。
193 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 16:24:01.09 ID:AzSRL75r
大きな推測で嫌だなぁ
学者のパトロンがマスコミ中心でこうなって逝くのかねぇ
確か邪馬台国の台って字が違うよね。
倭国が荒れたのは、日食が2回もあったからって話も聞いたことがある。
195 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 16:25:14.85 ID:Xmsr0ABg
>>184 のつづき
使者 「あわわ、恐ろしい男だ。こいつに倭への道筋を教えてしまったら
倭は滅亡したも同然だ。」
翌日
皇帝 「どっからきたのじゃ?」
使者 「水行7千里なんとかかんとか・・・・・」
なので記録どおりに旅をしても邪馬台国にはつきません
そもそも当時、というか当時に近い古代中国語で
卑弥呼をヒミコとは読まない
ピミウォーかピミファ
邪馬台国の時代の日本語に至っては史料も無いんだから
全てこじつけになってしまう
197 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 16:26:08.63 ID:xaZOxPpr
ヤマト=トトヒ(尊い日)モモソ姫が卑弥呼
198 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 16:26:34.11 ID:lcGSewi8
司馬仲達は韓国人
199 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 16:26:49.74 ID:fV5KJRBH
>>196 やめろw 腹がよじれるwww
昼間から酒飲むなよ
キャップでスレ内会話すると怒られちゃうよ?
漢委奴国王
>>189 卑弥呼を秦漢音で読むと「ピミホ」に近いが、
上代日本語にハ行音が無い為、
「ピメヲ(姫王)」の可能性が高いとかそんなところで
止まってるみたいよ。
>>203 >
>>189 > 卑弥呼を秦漢音で読むと「ピミホ」に近いが、
> 上代日本語にハ行音が無い為、
>
> 「ピメヲ(姫王)」の可能性が高いとかそんなところで
> 止まってるみたいよ。
しつこいのうwwwwwwwwww
ヒメノミコトだって行ってんだろwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
まあいずれにしても日本と支那は古代から友好関係といえるような状況にはなったことがないということだよ。
朝鮮にも同じことがいえる。
百済とは友好関係にあったし朝鮮半島にある国だったが百済人は朝鮮民族ではなかった。
むしろ歴史を見つめることで特アとの友好関係というものがいかに非現実的なことなのか再確認できるというものだ。
神功皇后だと思うぞ。筑前に三韓征伐で来てたし時期的に三世紀中頃だ。半島平定した後で魏に断ったんでないの。
207 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 16:57:53.96 ID:4fHUURxb
朝鮮人はその頃シベリアにいたんだから無関係
>>1 ん、歴史素人乙、
卑弥呼の使節団は3ヶ月の道のりを1年以上掛かって到達したのが解ってる
司馬仲達の遼東攻略のスケジュールからして、
見事に足止めされてたと言うのが一般的な見解で
遼東戦後に外交したんじゃなく、外交中に巻き込まれたと見る方が妥当ですね
209 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 17:04:08.59 ID:UAyhtU/V
造船技術がしょっぱい時代だろうに偉く交流が活発なんだね
ローマとブリタンニアほど海峡狭くないし攻めてくるなんてあるわけねーじゃんと思っちゃうのだが
210 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 17:05:06.47 ID:HhYQAPGY
んな馬鹿な
卑弥呼が自分の意思で魏に朝貢したように書いてるけど
使者が魏に見つかったのが公孫領で
魏に送った貢物が生口(奴隷)3人と木綿の布切れだぞ?
周辺国家の貢物、光武帝の時代の倭の貢物、その後邪馬台国が魏に送った貢物
それらと比べても少なすぎる。
おそらくはある程度の周期で公孫氏に対し朝貢をしていて、
いつもどおり朝貢しに行ったら公孫氏が滅んでましたって所だろう。
>>209 まあ当時朝鮮は公孫氏の冊封で国家の概念自体がありませんでしたからね
(高句麗はあったが北東部で、朝鮮西岸はすべて公孫氏)
それに光武帝の時代で既に倭国や奴国は中国と交渉してて
漢字や通訳がいた事もわかってますし
212 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 17:13:47.08 ID:uMLk33cY
そもそも、上奏するには漢字の読み書き必須だしな。。。。。
卑弥呼の時代以前にも上奏して金印綬されてたから、少なくとも支配者階級は漢文読めただろうな。
213 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 17:14:16.67 ID:92cbO2mN
漢委奴国王印だけど、これまで10個近く見つかっている金印や銅印で、
漢といった中国の国名が併記されているのはこれひとつだけ。
印璽は王朝の権威を冊封国に示すためのものだが、
さすがに中国もたとえ属国でも自国名を冠した印などは与えていない。
だが当時の委奴国の官僚が現代日本と同様だとすると
「漢と入れてくれないと漢から貰った物だと誰も分からないから、ちゃんと入れといて」
と頼んだのは委奴国だと思う。
「えっ、本気か」と漢もさすがに困った末に、上下ではなく、横に国名を並べたんだろう。
>>210 魏志倭人伝を見れば解りますが
丁度、公孫淵が領地を拡大し燕王を号した時期だけ倭国の記録が残されてませんから
邪馬台国は公孫淵が生きてた時期だけ、魏との交流を断たれてた可能性が高いと思いますよ
>>195 ワロタw
確か200年後くらい後に大法螺吹きがいて日本への目を逸らしたんだよなw
実は日本人最高峰の功労者w
216 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 17:23:31.94 ID:WN5yRM6A
たかだか2000年前のこともよくわからん
文字を作れなかったのは痛恨だな
東亜のレベル低下は著しいな。既に朝鮮人を笑えないレベル。
219 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 17:33:51.35 ID:HhYQAPGY
>>214 俺が見た漢書と魏書には永初元年十月以降の倭人の記録なんてないんだけど
参考までに公孫淵が領地を拡大し燕王を号した時期以前の倭国の記録を書き下してもらえまいか?
魏志に倭国の記録が登場したのはそこが初めてで
そこの前だと光武帝に時代まで遡るだろ
もしかして(おそらく)公孫氏滅亡より前に起きたことである倭国大乱があったという記述があるから
それを知っていて魏書に書いた魏は公孫氏よりも前にコンタクトを取っていたみたいな話かい?
220 :
忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/01/28(土) 17:49:12.22 ID:746/bcvY
ヤクザに市民が歩み寄る必死はない!!
221 :
< `∀´ >:2012/01/28(土) 18:02:08.04 ID:FL1kaCR/
222 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 18:20:10.94 ID:zVOmumIs
<丶`∀´>湧いて飛び出て、何で古百済が無いのかニダ
223 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 18:31:45.50 ID:qxzvNihh
>>210 そうそう 倭国の奴が魏の人に拾われて洛陽行ったけど朝貢の時期を過ぎていたから
約一年魏国に留まって金印貰って帰ってきたって感じだから
卑弥呼へは事後報告だろ
金印はなぜ志賀島にあったのか。
225 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 18:38:45.30 ID:qxzvNihh
226 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 18:38:47.12 ID:RYtQPX9Y
諸説あるがそもそもなんで金印なんだろうか
金印紫綬で王を認めるなんてのは朝貢相手では最恵国待遇
他に金印を紫綬されたのなんて西の強国大月氏くらいのもんなのに
一介の東の蛮族相手にやるようなもんでもない
中華思想とかそういうのまで跨いだ問題なんだろうけど
>>227 人口多いし、それなりの大国と認められてたんじゃないの?
時代が下るけど、渤海も唐を牽制するために、日本に使節送ったりしてたし
229 :
売春婦は韓国起源:2012/01/28(土) 19:55:39.08 ID:yWEXuTzt
要するに産経は卑弥呼同様朝貢しろと言いたいのか?
>>35>>55 それは中国にしか記録がなかったからだろ。
6世紀以降中国側の蔑称は使っていない。
あー倭寇ってのがあるか。
どこぞの半島のように別に劣等感かます事ないじゃない。
>>54 その時代、朝鮮なんてないし。
呉の背後に大国としての倭国が有るんだよ。そう魏志に記述してある。ようは、呉に対する牽制ということ。
倭の文字は別に悪い文字じゃないよ。倭が悪いというなら、なんで王朝名に魏なんてのがあるのか、説明して欲しいものだ。
>>4 ジャイアント正平とか、アントニオ寛至とか、ジャンボ友美と言って良いですね?
>>35 > もうさ、「卑弥呼」って当て字はやめた方がいいんじゃないか?
卑弥呼なる人物は日本の歴史書に登場しないからです。
235 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 21:34:17.94 ID:dGuVDadB
何故、和服を呉服と呼ぶんだろう?
236 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 21:38:40.39 ID:ockFRcax
237 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 21:44:02.43 ID:2Hg+NOHn
呉服の語源は、中国が三国時代のときに呉の織物や着物の縫製方法が日本に伝わったことにあるとされる。
元々は絹製品を呉服、綿製品は太物(ふともの)と称し、昔は扱う店も別であった。
日本で和服という言葉が生まれる明治時代よりもずっと前の16世紀の時点で、
日本人が衣服のことを指して呼んだ着物(kimono)が、現在で言う和服を表す語
238 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 21:45:08.58 ID:dGuVDadB
>231との関係でもあるのか?
朝鮮の呉地方とはどこ?>236
239 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 21:49:44.03 ID:NXz3b8C1
>>215 >確か200年後くらい後に大法螺吹きがいて日本への目を逸らしたんだよなw
使者は嘘言っていない、任那日本府を含めて正確に記している
任那日本府の存在を抜きで資料読むと頓珍漢なことになる
日本で飛鳥より古い時代、江南に限らず中国のことを呉(くれ)と呼んでいたことすら知らん連中ばかりかよ。
241 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 21:52:09.20 ID:/FPFespj
>>232 まだ人偏が付いてるだけましだろ。
魚偏の漢字あてがわれた最低の国もあるし。
時代劇やらない悪影響かねぇ・・・
呉服問屋くらいみんな聞き覚えがあるものだと思ってたが
243 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 21:59:52.95 ID:gHKq4mR8
244 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 22:19:04.30 ID:D+Bea61z
卑弥呼って、ヒメ子なんじゃない?
平安時代でも女性名は○○子でしょう?
2世紀でも○○子だったということならすごい。
日本人は昔とほとんど変わってない。
245 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 22:20:03.50 ID:NXz3b8C1
>239追記
從郡至倭循海岸水行歷韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里
始度一海千餘里、至對馬國、
帯方郡から直ぐに倭国領地になり、海岸沿いに行くと最初南次に東に出る
こちらから見て北岸に狗邪韓國(いまの釜山地域)七千里(短里)
狗邪韓國から対馬まで千里(短里)
とても正確に記している、史書だから当たり前ではあるが
ひともみにもみつぶせー!!
247 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 22:24:29.46 ID:D+Bea61z
>>245 日本に関する記述は正確ではないのだから、使者が対馬あたりまでしか
来ないで、後は確かめずに書いたのでしょう?
248 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 22:24:36.82 ID:2Hg+NOHn
任那日本府のWikipediaは韓国に荒らされてるな。
こいつら関係ないのに勝手に入り込んで荒らしてる。
249 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 22:29:21.07 ID:uwl0GtxI
>>248 だよなw
その時代の半島人はとっくに滅んで、今の卑しい奴隷民族が住み着いちまったもんなw
250 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 22:29:38.43 ID:NXz3b8C1
>>247 使者なのに訪れないなんてありえないよ、それじゃ使者じゃないし
正確でないって何が?
251 :
< `∀´ >:2012/01/28(土) 22:34:29.82 ID:FL1kaCR/
>>247 >>250 金印は一等朝貢国にしか与えられなかった。
金印を持った使者が返書も持たずに帰ることはありえないニダ。
ちなみに当時のチョンは土印。
252 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 22:39:27.51 ID:BcUGu8vs
<`∀´> ウリが仲介してやったニダ
253 :
< `∀´ >:2012/01/28(土) 22:47:41.09 ID:FL1kaCR/
>>252 宿場町と仲介屋は違う職業ニダ・・・・・・
254 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 22:50:43.60 ID:NXz3b8C1
>>248 [倭人在帶方東南大海之中]て書かれているからどうしようもないのにね。
普通に読めば「倭人は帶方から東南にある半島と海の向こうにいる」だから
>>227 すごく遠いから、金印を渡しておいても問題無し、っていう判断かと
魏は中国の河川で苦労しているから、「絶対にそこまで行けそう(=攻撃できそう)に無い」と
256 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 22:55:31.11 ID:MOufyy4d
>>250 ありえないも糞も現実に記述と地理が全然一致しないのだから
対馬か九州北岸か、その辺までしか行ってない、その先はすべて伝聞を書いただけ・・・と判断するしかない
257 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 22:57:32.17 ID:nwU1vYqg
>>245 慧深の逸話だろがw
映画にお笑いを求めている某漫才師はこれを題材にすればいいのにw
258 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 22:59:10.73 ID:NXz3b8C1
>>256 >記述と地理が全然一致しないのだから
一致しているよ?、一致しないと思うところ抜き出して書いてみて。
259 :
< `∀´ >:2012/01/28(土) 23:05:53.26 ID:FL1kaCR/
>>256 對馬に金印を与えるとしたら魏はチョン並みのバカニダ・・・。
260 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 23:22:05.12 ID:nwU1vYqg
これを書いた人は天才w
>永元元年(499年)、扶桑国の僧慧深が荊州に来て言った。
>「扶桑国は大漢国の東二万余里(8700km余)、中国の東方にある。
おいおい、随分と遠いじゃねぇか。w と言うか日本列島は「扶桑」の先っちょ?
てかハワイ?カナダ?w
>また慧深はこうも言った。「扶桑の東1000余里(430km)に女国があり
まだ先にあるのかよ!w
261 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 23:24:14.23 ID:RhYvN3cg
262 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 23:29:22.84 ID:RhYvN3cg
>>260 中国の東1700km東に扶桑、その80km東に女国
と読むのじゃ
263 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 23:34:47.29 ID:NXz3b8C1
>>261 「東京の東の海の向こうにアジア大陸がある」と表現しないように
海の向こうだけさしているならば海岸沿いの地域を書く
狗邪韓國東南大海之中って感じで。
264 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 23:36:38.39 ID:NXz3b8C1
>>263
タイプミス東→西
265 :
< `∀´ >:2012/01/28(土) 23:42:46.92 ID:FL1kaCR/
魏のタイプライターにはスペルチェック機能がなかったとでも?
>>1 何を言っているんだかw
魏志倭人伝をちゃんと読めやw
卑弥呼の時代、邪馬台国は
九州北部の伊都国に、一大率を設置していて、監視している。
九州なども、邪馬台国=ヤマト国の支配下にある。
267 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 23:59:09.02 ID:AklCctwC
女王ヒミカの邪魔大王国はどこにあったのですか?
268 :
< `∀´ >:2012/01/29(日) 00:14:52.74 ID:ZOpYSJhD
伊都国は熊襲に滅ぼされたのか、それとも伊都国が熊襲なのか・・・
269 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 00:21:33.60 ID:MlamJm1D
卑弥呼は半島をすっとばして魏にあいさつしに行ってたわけだな
「海を越えた向こうに倭があり挨拶に来る」と史書に書いてあったわ
>>269 この時代の韓は、3つに分かれた上、その3つそれぞれが10以上に分かれてたから、
まともな外交相手に出来ないって。
271 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 00:40:31.90 ID:M1Vmgjg6
>>269 つうか、帯方郡を通じての朝貢だから半島までしか行ってないのでは?
この時代の半島の主要な部分は中国だったのだから。
272 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 00:49:05.89 ID:dpRnFyvC
>>271 皇帝に謁見したのなら首都にまで行ってないとおかしい
>>219 あともう一つの根拠として、邪馬台国の使者の曹叡との謁見時期ですね
公孫淵を破った司馬仲達が曹叡の死に帰還が間に合わなかった(ギリギリ間に合った説も)のに対し
邪馬台国の使者が曹叡と謁見してるという事は
当初から魏との交渉が目的だった可能性が高いかと
>>272 おかしいというより行ったと書いてあるんだが。
>>23 遺跡がないのは,陸化してても人が入れなかったことも関係している。
関東の大きな河川沿いの低地は軟弱で,人が入りにくかった。
例えば草加付近は,江戸時代に一種の地盤改良工法が発明されてから街ができた。
それまでの街道は,わざわざ千葉の台地沿いまで迂回していた(遠回りなのに,わざわざ
矢切の渡しで江戸川(旧利根川)を渡っていた)。
>>275 遺跡がないのは高度成長期の乱開発とも関係あるよ。
俺が通っていた福岡の中学校は建設時に敷地内から二十数基の亀棺が出土してるけど簡単な調査後に亀棺を運び出して校舎を建築してるし
その中学校から1kmほど離れたとこにあった友達の家の庭に錦鯉の池を作った時には縄目で模様を描いた素焼きの土器の破片が固まった20cmほどの層が見つかったけど申告せずに黙って埋め戻している。
この手の素焼きの土器や亀棺の破片が出たって話は問題の中学校の半径1.5km圏内に集中していたから
ちゃんと調査していればある程度の規模の遺跡群として表に出ていたはずだけど、当時は補償もないのに申告して工事が遅れるのは困るって考え方が一般的だったしね。
277 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 06:42:03.08 ID:ZOpYSJhD
>>269-
>>271 当時の盲腸半島は政情不安で治安も悪く陸行する方が海上路より危険が危なかった。
もっともこの状況は1910年まで変わらんのだが・・・。
>>277 虎「ゴロゴロ」
うん。どう考えても海から行った方が生存世たかそうだにゃー
>>273 いやいや
>丁度、公孫淵が領地を拡大し燕王を号した時期だけ倭国の記録が残されてません
丁度、公孫淵が領地を拡大し燕王を号した時期これの前の魏書の倭国の記述を聞いてるんですが
あなたの読んだ魏書には書いてあったんですよね?
どういうことが書いてあったんですか?って単純な質問ですよ
ちなみに俺の読んだ魏書には倭国大乱やその他にも具体的な時期なんて書いてありませんでしたから
いつおきたことなんて分かりませんし
そもそも仮に倭国大乱が赤壁の時期に起きたことだと仮定しても
魏書の編纂の時期を考えれば、
赤壁の時代の魏の人間が倭国に大乱が起きたことを知っていたという根拠に
まるでなってないですよね。
卑弥呼はヤマトトトヒモモソ姫で確定だよ。
いまだに邪馬台国=九州説の奴は時代遅れもはなはだしい。
国もヤマタイ国ではなくヤマト国ね。
それから九州で発見された金印を漢の委(ワ)の奴(ナ)國王と読むのもアホ。
委はどう読んでも(イ)であって(ワ)とは読まないでしょ。
あれは漢(カン)の委奴(イト)國王と読むもの。
当時九州のあの場所にはイト国という国があった。魏志倭人伝にも出てくる。
今でもそこは糸島半島と呼ばれ(イト)という地名が残っている。
こんなのが教科書に載るなんて日本の学者って本当にアホだよね。
281 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 10:41:21.76 ID:OXgJIl5C
282 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 10:48:15.02 ID:OXgJIl5C
>>240 昔金達寿が本の中で、「呉(くれ)は高麗の訳。日本の文化はあれこもれも、ぜーんぶ半島起源ですよ!」
的な事を言っていて笑った。
283 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 10:52:59.99 ID:bvrFCZDD
>>280 学者さんが研究したことを自分の成果のように語られても…
284 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 10:55:53.22 ID:InfW7p+o
>>84 貢物はなはだ少なしな半島の発想ってブルセラだったんだな
285 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 11:01:20.86 ID:4S1cmeIJ
「卑弥呼死す、大いに冢をつくる−前方後円墳の成立−」
邪馬台国とヤマトは繋がってるよね
卑弥呼の墓のそばでそっくりなヤマトの墓が見つかったし
>>285 魏志倭人伝には墓は「径百余歩」とあるので、それを打ち消すには単純な年代とかじゃ厳しいと思う
>>9 >その頃から東日本では栄えた土地は無いんだね
いや、千葉の市原には日本最古級の神門古墳群があるよ。
畿内とのつながりを考えると海人だろうね。
288 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 11:12:31.57 ID:E43Wfd1I
偶然だろ
2世紀にそんな情報がホイホイ手に入るか
魏のほうがどんな国があるかもよくわからんのにその魏とは比べ物にならない偏狭の未開国がそんな情報もてるかっつーの
現代に毒されてるとこんなバカな考えできるのか
289 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 11:13:08.35 ID:4S1cmeIJ
>>289 そもそも邪馬臺国は日本の歴史書には出てこない代物ですからねぇ
「魏志にこんな話がある」ってのが最大で
公孫氏も東夷民族で韓国人だよね
日本が文化を教えてもらった証拠がまたひとつ
なんか邪馬台国=大和朝廷というのが定説になってるの?
俺のつたない知識では
小さな部族が多数存在する古代日本
↓
その中でも神の御神託を賜る巫女である卑弥呼を中心にまとまった邪馬台国が台頭。
↓
大陸よりより高度な組織力と馬を使った軍事力を有する今の大和朝廷の先祖が来襲。
邪馬台国を駆逐した。
というものなんだが。ソースは火の鳥だがwwww
>>290 まだ洗脳が溶けないようですね。それはヤマトと読みましょう。
そうすれば山ほど出てきます。
294 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 11:29:26.71 ID:gWt0s7CB
魏志倭人伝を書いた陳寿は卑弥呼と同時代人だし、実際に日本まで行った使節
の報告書を基にしている可能性が高く、全てデタラメと決めつけるのは間違い
だろう。
295 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 11:30:07.38 ID:4S1cmeIJ
296 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 11:40:02.43 ID:4S1cmeIJ
297 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 11:43:52.94 ID:gWt0s7CB
三角縁神獣鏡は日本製の鏡だから、邪馬台国だった証拠にはならない。シナ
ではいっさい出土していません。
298 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 12:01:12.66 ID:4S1cmeIJ
いや猫耳外したからだろ
300 :
299:2012/01/29(日) 12:02:38.35 ID:tYVJDe21
誤爆スマソ
301 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 12:17:09.45 ID:R2rdUSIH
>>297 紀年鏡はどう説明するの?
日本人が漢字を刻んだのか?
303 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 12:41:33.67 ID:gWt0s7CB
>>302 日本人が漢字を書いたでしょうね、シナに朝貢してるんだから漢字を理解でき
る人間が居てもおかしくはない。
304 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 12:45:07.82 ID:dpRnFyvC
邪馬台国は大和朝廷の前身だと俺は信じてるけどね
記録のない100年のうちに邪馬台国=大和朝廷が周囲の小国を征服していったんだと思うね
>>233 それは備玄徳とか亮孔明とか言ってるようなモン
>>304 邪馬台→大和
文字はだれがあてて誰が替えたんだろうね。
読みはほとんど同じなのが興味深い。
>>303 その日本人は魏の年号を知ってて書いたのなら(そんな事はないだろうが)、
紀年鏡は年号どおり3世紀半ばでいいという事だね。
じゃ畿内説がますます有利だね。
>>306 卑弥呼も日巫女か陽巫女か火巫女なんでにゃー?
309 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 13:49:45.48 ID:huoUhICm
勉強してきた
卑弥呼は漢女道の使い手
コレ重要な
311 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 14:12:11.00 ID:gzOq1BJT
日本人は、猫に仕えるために神様が創った人種
313 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 14:38:33.88 ID:tR/TCBWQ
>>308 日巫女.
「鬼道を用いて人心を惑わす」だから。
民が日食で怯えないように、自分の死後の太陽の軌道計算して天照伝説演出した
最初から民にネタばらしして(たぶん)、天岩戸でストリップショーまがいの事やったのが
使者は気に入らなかったようだ。
314 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 14:55:14.33 ID:yO4jw6YF
21世紀、荒廃し滅亡寸前の日本に救世主が現れる。それは、タイムスリップにより現代に召喚された卑弥呼であった。
>>308 大和言葉に漢字の意味合いは無意味。
「ひ=あたたかい」と考えれば、日も陽も火も同じ。
>>293 歴史を紐解くのに根拠と証拠に基づかないで当て込むのは愚の骨頂
可能性は排除しないけどねw
318 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 17:43:01.37 ID:DKVSOiI0
邪馬台国はどこにあったんや!
319 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 18:17:03.96 ID:02IOM4Ij
3世紀朝鮮はすでに王朝文化があった
4世紀に朝鮮から渡来人が渡り猿だった日本人が火と文明を教わった
朝鮮の伝説で朝鮮の漁師が日本の王になった書類がある
>>319 >朝鮮の伝説で朝鮮の漁師が日本の王になった書類がある
なんて資料?
少なくとも4世紀には、朝鮮は何度も攻められてる。
346年 倭の軍隊が突然に風島を襲い、さらに進軍して金城(新羅首都)を包囲して激しく攻めた。【三国史記・新羅本紀】
364年 倭兵大いに至る。 新羅王はこれを聞き、とても敵わないと恐れる。【三国史記・新羅本紀】
391年 倭が海を渡り、百残(百済)、□□新羅を破り、これを臣民とする【広開土王碑】
393年 倭人が侵入し、金城を包囲して5日間も解かなかった。【三国史記・新羅本紀】
397年 百済、倭国と国交を結び王子の腆支(テンシ)を人質に送る。【三国史記・百済本紀】
399年 倭が新羅の国境に満ち城池を潰破し民を奴客とし、百済は誓いを違えて倭に通じた。【広開土王碑】
400年 倭が、新羅城の内に満ちる。新羅救援の高句麗軍が接近すると倭賊は任那・加羅に退いた。【広開土王碑】
402年 新羅、倭国と国交を結び奈忽王の子の未斯欣(ミシキン)を人質に送る。【三国史記・新羅本紀】
404年 倭、不軌にも帯方界に侵入し、高句麗軍と戦う。【広開土王碑】
405年 倭国に人質となっていた百済王子の腆支、倭国の護衛により海中の島にて待機してのち百済王として即位。【三国史記・百済本紀】
405年 倭兵が侵入し、明活城(慶州市普門里)を攻撃。【三国史記・新羅本紀】
407年 倭人が東部と南部へ侵入。【三国史記・新羅本紀】
407年 万を超える倭が進出。【広開土王碑】
425〜443年の間 倭国王珍が、自ら使持節都督・倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東大将軍・倭国王と称す。【『宋書』倭国伝】
451年 宋が倭国王済を、使持節都督・倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東将軍・倭国王に任ず。【『宋書』倭国伝】
462〜478年の間 倭国王武が、自ら使持節都督・倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・七国諸軍事・安東大将軍・倭国王と称す。【『宋書』倭国伝】
478年 宋が倭国王武を、使持節都督・倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東大将軍・倭王に任ず。【『宋書』倭国伝】
>>302 日本に来た呉の工人が刻んだ。
そうでなければ、「景初四年」などと存在しない年号など刻むはずがない。
>>4 正論なのに、理解されないね。
劉玄徳か劉備
でも、小説家でさえ劉備玄徳と書いてるのがいるし。
だいたい、中学校の国語教師でさえそうだから・・・
325 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 18:56:40.52 ID:kJ/hP/yU
卑弥呼って神功皇后だろう。家永三郎一派の人は断定してるじゃん。
326 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 19:05:48.28 ID:02IOM4Ij
327 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 19:20:16.99 ID:DDmMeX4m
わ と読むから 土人と勘違いしてるんだろ? 委は ユダと読めよ
在日野人ども
328 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 19:44:32.17 ID:QkEQLjXC
>>191 記録は当然大切なのですが魏志倭人伝が書かれるのが魏が滅んだ司馬炎以後ですし
後漢書が書かれたのがなぜか東晋さえ終わった南北朝時代のこと。
司馬遷のような硬骨の士がいたのは漢の時代まで。
魏や晋につくような連中がゴマスリしないとは考えられない。
魏のころに書かれた本当の後漢書が存在するといろいろと
まずいことがあったのでしょうか、それともいまあるやつの
出来がよすぎなんでしょうか。
おっしゃるとおり妄想の類ですが、つじつまのあわない記述に
当時の歴史家のためらいやせつない抵抗のあとをよみとってあげ
られないものかなと。
数人の奴隷もってきたやつ大歓迎して、おみやげいっぱいくれてるのに、
あちこちに屯田兵おいたり、まだ呉との戦いも残っているのに、
降伏してるやつ一人残らず町ごと皆殺しはおかしいですよね?
>>326 つまり、朝鮮併合は問題なかったって事だろ。
韓国人の天皇が納める日本が朝鮮を併合しただけだろ。
同じ民族の別々の国が一つになっただけじゃん。
330 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 19:53:28.21 ID:tR/TCBWQ
>>328 >記録は当然大切なのですが魏志倭人伝が書かれるのが魏が滅んだ司馬炎以後ですし
>後漢書が書かれたのがなぜか東晋さえ終わった南北朝時代のこと。
「何故か?」って史記は以前あった国や民族が末期に堕落したので神から
我々に禅譲されたとの保証書もどき、だから滅んだ後に書かれる。
331 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 20:02:28.98 ID:tR/TCBWQ
>330追記
>司馬遷のような硬骨の士がいたのは漢の時代まで。
その物語仕立てを作ったのが司馬遷。
本来ばらばらの歴史をつぎはぎして、少しは連続性のあるように見せかけた
マヤ文明とアメリカ合衆国の歴史が短冊のように連なっている形式、いわばペテン
>>328 短期間で晋に滅ぼされた魏に後漢書を完成させるのは無理だし
東晋って阿鼻叫喚の五胡十六国時代でしょ
史書の編纂なんて無理無理
清史の編纂が今頃終わりかけてるのと同じ
334 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 23:19:03.66 ID:DKVSOiI0
335 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 23:28:23.68 ID:B/vWnm2w
東京は韓国のものだったのにアメリカが騙した
皇居を慰安婦のお婆さん達にあげるべきだ
朕はたらふく食ってるぞ
336 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/29(日) 23:35:19.97 ID:SZ1OntWZ
卑弥呼って魏の人の付けた蔑称でしょ。
本当は日巫女(ひみこ)なのがわかりきってるのに。
それどこに書いてあったの?
>>324 なんだ歴史的価値も無い、妄想の塊書物か。
339 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/30(月) 00:05:21.36 ID:niTkwWYX
340 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/30(月) 00:15:05.85 ID:jIkvE/qn
箕氏朝鮮ってあったのかな
みの氏朝鮮
342 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/30(月) 00:34:37.71 ID:wEjVL2Av
>>336 音のとうりに漢字当てはめただけだよ。
倭も一人称が「わ」だっただけで。
343 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/30(月) 01:01:30.19 ID:tyX1XvJn
卑弥呼は九州佐賀県人
344 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/30(月) 01:05:13.94 ID:j+wfSdDZ
中央電子台の「三国演技」は普通に面白かったな
日本だったら孔明死んだら終わりだけど、ちゃんと晋による統一までやったのはすごい。
345 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/30(月) 01:08:58.68 ID:1to0DJug
>>326 全部ソースのない妄想だな
ソース付きでおまえら朝鮮人の歴史を教えてやるよ
>辰韓傳 『有似秦語故或名之為秦韓』
>新羅本紀 『十年(193年) 六月倭人大饑。来求食者千余人』
>三国史記 『瓠公者、未詳其族姓。本倭人。初以瓠繋腰、度海而来。故称瓠公』
>新羅本紀 『脱解本多婆那國所生也。其國在倭國東北一千里』
>三国史記 『元年三月、與倭国通好。以奈勿王子未斯欣為質』
>新羅傳 『其言語名物、有似中国人』
>辰韓伝 『辰韓在馬韓之東、其耆老傳世、自言古之亡人避秦役来適韓國』
>百済伝 『百濟者、本扶餘之別種、當馬韓之故地。其後有仇台者、為高麗所破、以百家濟海』
>百済伝 『其言参諸夏、亦秦、韓之遺俗云』
>隋書百済伝 『其人雜有新羅、高麗、倭等、亦有中國人』
>東夷傳百済 『其地自此為新羅及渤海靺鞨所分、百済之種遂絶』
>高麗史・耽羅神話 『我是日本國使也、 吾王生此三女、云西海中嶽降神子三人、將欲開國』
>日本書紀、唐貞観十六年条 『百済反覆之国、不可信也』
>広開土王碑 『百殘新羅舊是屬民由来朝貢而倭以耒卯年来渡海破百殘■■新羅以爲臣民』
>>329 アホみたいなレスしてんなよ
346 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/30(月) 01:23:04.00 ID:jIkvE/qn
>>344 おおそなたもご覧になったのか
野沢那智といえば司馬懿
347 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/30(月) 01:43:56.03 ID:1/4RgFUq
348 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/30(月) 02:42:15.06 ID:RCq8G1G0
まあいくらwikiを改変しようと、歴史的な一級資料が存在し、研究者が世界にいて
さらに考古学的に遺跡が発掘されている状況では何の影響もないわね。
ネットの発達って、最終的には「いくら捏造しても」マジな知識に駆逐されるだけって事なんだから。
チョンはずっと属国でまともな人を奴隷に出し続けたがら今みたいな奇形エラばかり残ったのだろうなw
>>332 滅ぼされたんじゃなくて内乱で政権代わっただけだから。国力自体は変わってないし…
351 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/30(月) 08:27:59.28 ID:NjobRtyG
>>221 <丶`∀´> 古朝鮮帝国は ドコにか?
韓国ではいまだに江上波夫の「騎馬民族征服説」が「定説」だと認識されているようで、
近年もKBSが「天皇騎馬民族説」や「天皇高句麗説」の特集を組んだりしている。
大和言葉に騎馬や遊牧がらみの語彙が少なく、皇室の伝統行事を見ても、騎馬民族って
言うよりは、むしろ、稲作農民ムード満点。
353 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/30(月) 10:39:34.47 ID:jIkvE/qn
騎馬族の気質を全く感じさせないよな
神様の拝み方からして
日本にもまだ信奉者がかなりいるみたいだよ>騎馬民族征服説
いい年配のおじさんが、ある日突然一般常識として話し出したりして驚いたことがある。
マスメディアでも、ときどきそういう人が出るしね。
手塚治虫もその説を使って火の鳥を書いてたんじゃなかったっけ?
>>323 諸葛亮孔明って表記はおかしいと薀蓄をたれてる本で、劉備玄徳って書いてるの読んだ記憶がある
356 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/30(月) 11:00:39.97 ID:TvFlRkZy
>>352 満州族やモンゴル人たちに多い染色体が日本にはまったく存在しないのになw
当時そう呼んでいたっていうのは知識として知っておけばいいだけで、
現代人がそれに従う必要なんて全くないんだがな。
いいかげんうざい。
358 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/30(月) 18:39:56.77 ID:OfwehGEP
>>350 短い期間で後漢の歴史編纂を完了するのは無理
と言いたかっただけです
騎馬民族征服説に対して、俺は近代日本における「自動車民族征服説」を提唱するね。
・明治時代には自動車が全く見られないのに、ほんの数十年の間に町中が自動車で溢れ返った。
・同様に、僅か数十年の間に出版物やテレビ番組、流行歌の歌詞、子供用のおもちゃ等あらゆる分野に自動車が登場する。
・自動車の出現と並行して、住宅や生活様式も他国の自動車民族(アメリカ人等)と似たものに変わった。
・また、この時期に他国の自動車民族の言語(外来語)が多く流入した。
・原住民族が自動車民族と戦争を行い、敗戦し支配されたという記録もある。
・また同時期に、海外から多くの移民が流入している。(島国の民族は移民を嫌う傾向にあり、民族が入れ替わったとしか考えられない)
・征服後の出版物等に「日本はアメリカ(自動車民族国)の51番目の州だ」という記載が数多く残っている。
・自動車民族と大戦争までしたのに、敗戦後僅かな期間で大の親米国へと変わっている。
こんなことは、民族が入れ替わらない限り起こりうるであろうか?
361 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/30(月) 20:04:07.95 ID:Bvyz56UZ
>>360 いい線いっている。
東大が弥生時代なんて概念捏造したから辻褄あわせのために
騎馬民族説でっち上げた。
縄文人が米をおいしく炊けるための土器を作っただけで、弥生土器なんてそもそも無かった
縄文土器:地面に置いて加熱、遠赤外線効果で栗が美味しく焼ける、米だと糊になる
新縄文土器(仮称):高温で米が美味しく炊ける、栗だと焦げる
363 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/30(月) 20:49:29.44 ID:TMigzPCw
>>352 最初に江上の騎馬民族説読んだ時なるほどなと思った。
そのあとに今東光の元寇についての本読んでいてモンゴルがたとえ九州に上陸したとしても
瀬戸内海は水軍の海賊がいるし山陽山陰なんて森林で騎馬が進軍するのに適さない。
モンゴル帝国がヨーロッパの森林が始まるウィーン当たりでストップするのと同じ理由だろ
土器には船に乗せた馬の図があるから少しは来たかもしれないが征服というより
吸収されて消滅したという方が正確だろう。
なにしろ明治まで馬の断種という事しらなかったんだから
とにかく遊牧民は草原の民で水を嫌うし造船なんて矛盾している
364 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/30(月) 21:33:35.98 ID:KVn79Mqd
>>99 日本が一番人間に近い。
姦酷は畜生、虫獄に至っては妄想上の生き物w
365 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/30(月) 21:39:54.67 ID:KGxHtMOu
邪馬台国が日本にあったなんて考えるからいつまでたっても邪馬台国の場所がわからないのさ。
366 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/30(月) 22:27:58.94 ID:3gN8OtP1
朝鮮半島は独立国家であり、公孫氏に支配された事実は存在しない。
捏造記事はヤメロ。
367 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/30(月) 22:38:07.51 ID:A7vFBQuW
つ大清国属
つーか、当時の朝鮮は国だったかもアヤシイによって。
368 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/30(月) 22:52:08.58 ID:biYLD4Lj
>>318 もちろん九州だよ。
大体4世紀の遺跡を邪馬台国だなんだと・・・
>>363 「騎馬民族」を定義していない以上、江上の主張は学説とは呼べない。
なお、騎馬民族なるものが上陸戦をやったとは、江上は主張していない。
370 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/31(火) 01:03:37.03 ID:t0IZQd76
■ 祖国でも蔑視される在日朝鮮人たち…在日朝鮮人という連中は売春婦の子孫だから… ■
韓国から来た韓国人と仕事上で接する機会が多いのだが、
何故か?…韓国に住む韓国人は「在日朝鮮人」を心の底から蔑視している…と感じる事が多い。
「在日朝鮮人という連中は、売春の為に外国に出かけた賤民(白丁)女の子孫だからね」
「在日朝鮮人という連中は族譜(家系図)も無い連中だからね」
…と、本国の韓国人は在日韓国人に対していう。
「族譜も無い連中」とは…日本での「被差別部落」出身という事らしい。
また、日本で在日朝鮮人の犯罪が多い理由も、「そんな連中」だから、犯罪者多いのだそうだ。
はたして「在日朝鮮人」が祖国ではどういう出身のなのか知らないが、韓国ではそう信じられているらしい。
しかし日本人から見ると、どちらも同じ朝鮮人…なのだが(笑)。
★…しかし、韓国の族譜(家系図)というのは、ほとんどが「捏造」された家系図だそうだから在日朝鮮人諸君も
安心してください…(爆笑)
■李朝の末期になると支配の力がしだいに緩み、お金で両班の身分を買うことが可能な状態も生まれました。
同時に家系図(族譜)を書き換えて自らを両班の家系に見せかけることが横行しました。
そして、戦後は朝鮮戦争の為に多くの戸籍が焼失したり紛失したこともあって、今ではほぼ100パーセント
の人々がみんな両班の家の出になっています。
…「日本の驕慢 韓国の傲慢」 p115 渡辺昇一、呉善花…より
■韓国人留学生が…「在日韓国人はコウモリみたいな奴らだ…祖国で国民の義務を果たせ」■
…しかし、世の中には韓国の国籍をもつ健康な男性でありながら、この義務を負わなくてもよい特殊な部類がいる
「在日韓国人」といわれる部類である。
韓国の国籍を持ちながら日本の永住権を持ち日本で生活しているコウモリ的な存在である。
国民の義務は負わないのに権利だけ持つ彼らは、韓国の国民でありたいのなら軍隊へ行き国民の義務を果たすべきだ
おいしい所だけを持って被害者面で甘えている彼らには精神的再教育が必要なのである
★ソウル出身 明治大学3年生 朴
http://hoi333.blog.fc2.com/blog-entry-6.html
371 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/31(火) 01:20:43.66 ID:Z4TVx0vu
江上の騎馬民族説なんて、日本でスーツ着てるヤツは全員イギリス人とか、
ジーンズ穿いてるヤツは全員アメリカ人とか言ってるのと同じだよ。
東大系より京大系の史観の方が色々と正しかったということだな。
373 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/31(火) 02:04:22.92 ID:h95B/WZO
日本と百済の関係や日本が古代朝鮮半島を支配してた記述って
今教科書にのってないよな
これ意図的に削除されてるだろ
うん
そういえば、中国人より日本人のほうが三国志に興味あんだよね。
台湾人なんか、「三国志知ってる?」って聞いたら、「日本のゲームだろ?」って答えたくらい。
そう考えると、韓国人のロマンティック歴史捏造も日本のオタク文化圏にあるといえるかもね。
376 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/31(火) 04:58:52.90 ID:t0Asz6uG
>>365 朝鮮人て邪馬台国は半島にあったと本気で思ってるらしいね
377 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/31(火) 06:18:36.04 ID:rkzbNBIV
>>256 現代人の地理観念で記述を読むと失敗する。
「倭は帯方郡の東南海中にあり」と黄河や半島より温暖な気候である記述でまず大雑把に把握するこ
とだよ。
温暖であることから九州しかないなんて言う人がいるけど、今冬の九州北部が雪に見舞われている一
方、四国・紀伊・東海の太平洋沿岸は雪がない現実をどう思うか。
倭が江南の海の向こうという認識との兼ね合いから、倭は半島から東南方向に「伸びて」いると見ら
れていたのではないか?
東南といってもきっちりとした方位ではなく扇状のものだ。
その中で同様の精度で南とするなら、南は東の「間違い」とか言わなくても成り立つ。
378 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/31(火) 06:28:21.25 ID:t0Asz6uG
>>377 半島から「海を渡り」って書いてるじゃん
379 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/31(火) 06:31:47.01 ID:qOQfvqoy
>>375 シナ語圏では三国演義って呼ぶからだと思う
380 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/31(火) 06:37:04.57 ID:rkzbNBIV
>>378 起点から任意の地点の方位を示すのに細かい情報がいるかね?
道中はその後の文で示せばいいし、そういう構成になっている。
381 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/31(火) 07:06:02.73 ID:t0Asz6uG
382 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/31(火) 07:17:30.37 ID:rkzbNBIV
>>381 君の
>>378が省略しすぎておかしいんだよ。
自分の頭の中しか見ていない。
こちらはこうじゃないかと予想してレスしたんだけどね。
>>377は「海を渡り」を否定したものではないよ。
もしかして他の人のレスの帯方の南の半島南部と云々というのと混同しているのか?
383 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/31(火) 07:36:46.83 ID:rbWHHYAu
384 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/31(火) 07:43:16.03 ID:rkzbNBIV
>>383 おかしいと思う所があればちゃんと指摘したら?子供じゃないんだから。
385 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/31(火) 07:50:15.82 ID:VROuYz7K
面白いスレッドだ
386 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/31(火) 07:53:20.98 ID:KO33R2We
アスペみたいなのがいて面白いスレだね
387 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/31(火) 07:55:43.30 ID:Lxu926rm
388 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/31(火) 08:41:05.45 ID:jmvjUyCX
>>379 演義はフィクション。恐ろしいくらい三国志を理解したフィクション
三国志に詳しい人は台湾サイトの原文等でなんとかしてるから、研究に関しては日本と台湾は抜けてる。
シナは焼却済で日本から逆輸入だし、朝鮮が独自のフィクション継続中には異論はない。
日本人でも三国志なんてゲームでの知名度がほとんどだろ
390 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/31(火) 10:29:54.66 ID:mDsoHNJz
山東半島から中原くらいまで外百済。
日本列島は奈良百済だった。正式名称は????。
391 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/31(火) 10:41:58.63 ID:Dg57dqPo
>>377 あほか、お前より方位や距離に対する概念はしっかりしているぞ。
ただ電車や飛行機に乗っていれば目的地に着くわけじゃないんだからな。
中国人の女の娘と三国志の話をしてて、好きな武将は誰か?と聞かれたので呂蒙と答えたら嫌われた
よかったな
>>388 日本では、困ったことに演義を三国志って言ってるから。
390
はぁ?
396 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/31(火) 10:57:53.18 ID:wIbKwlVX
>>378 「海を渡り」とは書いてあるが、「半島から」とは書いてないよ。
帯方郡や楽浪郡の場所だってどこにあったのか。
黄海は安全だから海を渡るのは陸地沿いより速いだけかもしれないし。
対馬海峡を横切るよりは楽だったかもね
399 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/31(火) 11:23:33.71 ID:tjWxjuwi
安木美典氏の高天原の謎という本をたまたま読んだんだが、
魏志倭人伝だけでは位置を特定するのは不可能、足りない情報を古事記などの神話の地名と現代の地名の近似性、
実際の出土品の統計などで補完して考察すべきという立場で書かれているが
これ読む限りどう考えても邪馬台国は北九州だな。ものすごく納得できる。
400 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/31(火) 11:33:26.63 ID:zVxLP831
邪馬台国の本拠地は纏向だよ、九州のはその出先
>>365 やっぱりエジプトだよな。なんといっても。
>>392 >中国人の女の娘と三国志の話をしてて、好きな武将は
最近は娘のまえに女のをつけないと意味が通らない時代になったか。。。。
困ったものじゃの。
>誰か?と聞かれたので呂蒙と答えたら嫌われた
なんで?眼帯そしているからか?
403 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/31(火) 12:08:30.92 ID:6q5OsfOE
半島に日本領あったんだねえ
戦前に侵略のために軍がでっち上げた嘘だってどっかで聞いたのに
私の子供時代は左翼がうようよ居る時代だったんだな
半島の前方後円墳を百済王に使えた倭人官僚の墓とかいうポン助がいるんだぜ。
立命館の山尾なんてそうだ。
何で官僚が百済王より大きく立派な墓を作れるんだよw
405 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/31(火) 13:10:40.35 ID:/BGOa6Y+
>>396 >帯方郡や楽浪郡の場所だってどこにあったのか。
何言っているの?
帯方郡や楽浪郡はベネチアのあたり
>>402 知らん。関羽討ったからじゃね?
俺は脳筋→軍師って流れが好きなんだが
あとCVが水橋かおりで再生されるって所も好きだ
408 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/31(火) 13:55:35.97 ID:/37omWdS
409 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/31(火) 14:19:27.27 ID:4oxBbKQx
シナ人に嫌われようがどうでもいいわ
410 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/31(火) 15:33:35.60 ID:Dg57dqPo
>>389 お前NHKの人気人形芝居を知らないのか。
蜀連中はうそ臭い
魏のが良い
陸遜が好きだな。
415 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/31(火) 18:59:03.18 ID:/WCECO1k
416 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/31(火) 19:33:24.30 ID:7B30bhV9
>410
あの人形劇は再放送できるのか、今。
卑弥呼も横山光輝三国志の読者だったのか
418 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/31(火) 19:46:35.94 ID:/BGOa6Y+
>>416 音声はそのままにハイビジョン3Dで撮りなおすんじゃないの。
放送業界は何故か気づいてないけど人形劇ほど3Dに向いているものはない
低予算でなおかつ、体感で等身大に人形を大きくするのも容易
420 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/01(水) 00:28:50.58 ID:h8hQb1Kg
>>419 そこは中田カウスさんで録り直したらええ
421 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/01(水) 00:38:55.92 ID:/vDZ0+ke
チョンw
422 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/03(金) 11:15:47.22 ID:G0427vN6
魏志に書かれていた日本人の様子
今とあんまり変わってないな
神道って縄文時代以前からあったものだからかな
↓
その風俗(社会生活の意味)は乱れてはいない。
生で食べ物を食べる。
長命で、百歳や九十、八十歳の者もいる。
女は慎み深い。
国の大人は妬まず、盗みもなく、諍いや訴訟も少ない。
卑弥呼は「鬼道」を操る。
(当時の中国の文献では儒教にそぐわない体制を「鬼道」と表現している用法があるとして、
単に儒教的価値観にそぐわない政治体制であることを意味するという解釈がある。)
>>422 確定はしてないけど、卑弥呼が用いていた(と書かれている)“鬼道”ってのは、今で言う
シャーマニズムじゃないのか?
シャーマニズムなら神道とはちょっと違うような気がする・・・なぁ・・・?
神道の定義にもよるが
神道もシャーマニズムの一種でしょ
あまりに形式が整い過ぎていて、土着の原始宗教だと日本人は気付いてないけどw
>>422 デマが一瞬で駆け巡って暴動につながるあたり、
朝鮮人の気質もあんまり変わってない。
426 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/03(金) 13:15:35.46 ID:Xpy5qBfN
427 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/03(金) 14:18:54.00 ID:Mpg0tIdi
>>424 気づいてるんじゃない?
気づいたうえで信仰しているように思うけど
>>426 うわ。反応があるとは思わなかった。
韓伝の部従事呉林のところだけどね、吏訳転じのところを、
あることないこと広まったんだろうなと解釈すると
ものすごく腑に落ちるって話。
>>423 シャーマニズムとアニミズムが共存するのが世界の多くの無文字社会の共同体。
文字化と都市化(文明化)で祖霊や精霊が整理統合されて徐々に多神教社会になる。
原始神道はシャーマニズムとアニミズム、
古代に皇室周辺から始まって江戸時代以降系列化された新しい神道は多神教だろう。
殷周革命を踏まえた儒教史観では、周辺民族の「鬼道」は殷と重ねて見られる。
>>425 朝鮮の場合山岳信仰などのアニミズムはあるらしいけれど、
傍目にはシャーマニズムの力が強すぎてバランスを欠いてるようだ。
そうなると妖幻に惑わされやすくなる。
430 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/04(土) 00:13:56.78 ID:xviLTQcB
卑弥呼の鬼道と殷を結びつけたがるシナ人の電波ってまだいるんだ
431 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/04(土) 03:44:38.86 ID:gRFPRBMp
>>430 あほか。同源なんて言ってないだろ。
シャーマニズムなんて世界中にある。
漢人がよその土地でそれを見れば「ああ、殷にあったあれか」と思うだろ。
勝手に公孫[王賛]だと思い込んで、頭がおかしくなりそうだった
叛乱を起こした方か
433 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/04(土) 04:18:03.47 ID:jiBgYrTc
三国志みても司馬宣王の遼東遠征は鮮やか過ぎたから卑弥呼がちびったという説もうなずける
>>143 最近、中国南部の方も移籍の発堀が進んで槇テンとか言われる国が有ったこと
が判ってるんだが、そこの移籍からも金印が出て来て、それが日本にさずけら
れた金印と漢字と持ち手以外同型なんだが。つまりは、漢ていう国が朝貢国に
されぞれ、持ち手に亀やら蛇やらを掘った印をさずけていたわけだ。三等国は
当然金印は貰えない。日本以外にも出て来てるんだし、どう見ても本物だぞ。
それとも、中国が下らん捏造して、日本の金印を真似て作ったとでもいうのか
ね。
436 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/04(土) 10:33:56.33 ID:WMcMRS39
贋物ではないと思うけど、
宮崎市定が旧制第三校教授の折に「ホンマ物が2つあるんやで」って聞いた話っていうのは、
なんだったのだろうか。
後、京都高島屋で開催された『邪馬台国への道』展で、注意深い観察者ならば、
はてな?と気付くことがあったはずだが、今の私はこれ以上何もいい足すことはできない。(1983)
と意味深長な言い方をしているが、その気付くこととはなんだったのだろう。
少し気になった。
438 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/04(土) 19:47:24.75 ID:xBvsVbOP
>>434 チャイナは昔から捏造三昧だよ。
特に1995年以降にたてた伝説に科学的根拠与えようとするプロジェクトから
さらに酷くなった。
439 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/04(土) 20:26:38.58 ID:Nc4/itDz
>>435 「漢委奴国王」金印・誕生時空論 鈴木勉 著
もお勧め。
この本の中で書かれているが、鈴木氏は金印の加工技術の矛盾の論文発表したが
「五十年後にでもだれか是(論文)を引用してくれたら」との思いだったらしい、
つまり黙殺されるだろうと思っていた所、三浦氏が取り上げてくれたと感謝している
440 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/04(土) 21:07:47.07 ID:oxHi2mDF
「親魏倭王」の金印が発掘されたら胸熱
>>440 卑弥呼死んで割と直ぐに魏は滅んでるからなぁ。
442 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2012/02/04(土) 21:32:55.55 ID:M6uG5J4A
魏史倭人伝の正体は任那の王、都怒我阿羅欺等で
彼が大和まで行って見聞きしてきた話が魏に伝わり魏史倭人伝になったのではないか?
その為、投馬国(周防)を出てからの旅程が不明で長大なものになっているのではないかな。
(都怒我阿羅欺等は周防を出てからさまよって大和まで到達している)
魏に使いを送ったり援軍を頼んだのも都怒我阿羅欺等かその子孫ではあるまいか。
>>442 そんな面倒な事しなくても、魏から文官の張政がアドバイザーとして派遣されてるがな。
444 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2012/02/04(土) 22:09:00.41 ID:M6uG5J4A
>>443 いやいや、大和側の窓口というか、勝手に対魏外交をやってたのが誰かって事でね。
騎馬民族征服説の話題が出てるけど、
小学館の日本の歴史三巻を読んでたら、
4世紀に、朝鮮半島の技術者を移住させて馬を飼育させようとした。って書いてる
高句麗と戦って、馬に苦戦したのが原因らしい。
騎馬民族が日本を征服したのなら、こんなことする必要ないけど、どう説明してるんだろう
446 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/07(火) 04:56:07.40 ID:wko5icrl
>>1-445 また素人古代史マニアがパズルごっこかよ。
記紀にも中国の史書にもぜんぜん書いてないことを
妄想して電波まき散らすのはいい加減にしろ。
447 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/07(火) 05:52:46.53 ID:BHCrWWgj
もともとの三国志には邪馬「壹」国としか書いていないのを、「やまと」と読みたいが為に邪馬「臺」国の間違いであると
してしまったのがすべての間違いのもと。
陳寿の書いた三国志の中で、何百とある「臺」と「壹」の字を、書き間違えている箇所は一カ所もない。
その陳寿が倭人伝でだけ間違えたというのは不自然。
そもそも「臺」の字は天子のいる御所という意味で、蛮族である倭の卑弥呼の国の名前に臺の字を使うことは考えられない。
つまり壹が正しい。邪馬壹国はどう読んでも「やまと」とは読めないので、名前をもって大和地方と関連づけるのは難しい。
やれやれ。まだいるのか、こういう被害者。
449 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/07(火) 23:53:57.46 ID:ofOegVM+
?
450 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/08(水) 00:22:08.67 ID:V6TLIPmk
宗像教授の出番だな。
451 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/10(金) 14:54:19.26 ID:mQWUHYvr
>>447 >そもそも「臺」の字は天子のいる御所という意味で、
>蛮族である倭の卑弥呼の国の名前に臺の字を使うことは考えられない。
自己完結しているじゃない、意図的に「臺」の代わりに「壹」の字を使ったんだろ
>>451 「邪馬壹国はどう読んでも「やまと」とは読めない」って話はどう思うかね?
>>451 「臺」が使えないなら形が似ている字より、「臺」と同じか似た読みの別の漢字を当てるんじゃないかな。
日本側の発音に適合した漢字をね。
どんな漢字か思い浮かばないけど。ww
倭は気に入らない → 和にしよう
みたいに。
卑弥呼も良い漢字を使わないようにしてるんだし。
終わった話をいつまでも・・・・・
455 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/10(金) 23:29:07.79 ID:wH4cx+5i
うん?
456 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/11(土) 03:45:28.44 ID:BOEaV8Hb
>>452 [邪馬壹]と書いてヤマトと読んでいたんだろう、後漢書では書き直しているから。
>>453 異体字として使っているのだから似ている文字でなければならない。
457 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/11(土) 04:02:35.40 ID:YEEZbHzc
皇帝が代替わりする度に諱の漢字の使用が禁じられ、異体字や代用が新たに生まれるしな。
>>456 発音に対して、最初にどんな文字を当てても構わないんだから。
その時点で避けるべき文字とか避けるだろってこと。
文字が先に決まってるのではなく、音に合わせて選ぶんだから。
最初に記録したときはOKだった文字「臺」が倭人伝編纂時にはNGになっていた場合なら、
異字体を使った説明にはなると思うけど、
魏と西晋の「臺」の扱いが変わってたらそうだろう。
459 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/11(土) 12:31:02.02 ID:BOEaV8Hb
>>458 大坂→「坂」の字を避けて→大阪
崎玉→「崎」の字を避けて→埼玉
「坂」と「阪」、「崎」と「埼」は似ている。
編集過程がない国書って何だ?
編集長「陳寿」の元での編集過程で差し替えられたと見るのが妥当。
460 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/11(土) 13:49:33.80 ID:c1FQ8ps4
壹(い、いち、数字の1のこと)と臺(たい、だい、皇帝の住処)、読み方も意味も全く違う字を、字体が似ているってだけで使うかな?
俺は古田信者じゃないけど、
・倭は古くは委と書いていた。奴国の金印には「漢委奴國王」。委に人べんをつけて倭。
・委の読みは「ゐ Wi」2〜3世紀までは倭はゐと呼ばれていた。のちに倭(Wa)に変化した。
・邪馬台国の本来の名前は「耶馬國 やまこく 山国」であり、「委 ゐ」を統べる耶馬國、という意味で「耶馬委國」やまゐこくと呼んだ
・国内の王達が幾度も反乱を起こしていた時代であり、裏切りを意味する「二心」の二と言う字に対して、礼節と服従を表す壹(一)
・これをやまいこくにあてて、耶馬壹国と書いた
っていう説はなかなか面白いと思った。まあ耶馬臺國が正しくて「やまと国」だったら良いなとは思うけど。
古田教,うぜぇ〜
462 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/11(土) 16:57:35.21 ID:BOEaV8Hb
>>460 大漢和辞典(1925年)が科学的推考重ねて、異体字の分類したが
逆に言えばそれ以前は、厳密ではなかった。
我々が是を違う字と認識できているのは大漢和辞典(1925年)のおかげ
463 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/11(土) 17:14:31.45 ID:BOEaV8Hb
>462に追記
埼玉「さきたま」を誤った読み方、「さいたま」を使って平気なんだから
我々のほうがいい加減とも言える。
464 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/11(土) 19:08:26.08 ID:x1ah+Uqj
古事記や日本書紀に魏や呉 晋との交流については記述が全くないから
卑弥呼と天皇家は別だと思うよ
俺がガキの頃ゲームで名前付けるのに
前衛=関羽や孫策、後衛=卑弥呼、壱与
にしてたなw
>>459 発音変わってしまうじゃん。
固有名詞の発音変えちゃうの?
杜撰だなぁ。
似ていて同じ発音の字を探さんのかな。
坂と阪は同じ意味・発音じゃないのか。
埼と崎の方は前玉とか書かれてたから「サキ」タマで音は合ってる「前」は形は似ていない。
全部音重視。
468 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/11(土) 22:08:47.67 ID:BOEaV8Hb
>>467 >埼と崎の方は前玉とか書かれてたから「サキ」タマで音は合ってる「前」は形は似ていない。
「崎」は崖っぷちの厳しい意味だから、やや穏やかな「埼」に
それでも厳しい印象だから、無理に当て字で「前」
時間軸で「崎」→「埼」→→「前」
>全部音重視。
じゃあ何で君は埼玉を「さきたま」と呼ばずに「さいたま」と言っているの?
雷火だと公孫氏滅ぶ前に卑弥呼暗殺されてたっけな。
>>468 前玉って万葉集とかだが。それより古いんだな。
>>じゃあ何で君は埼玉を「さきたま」と呼ばずに「さいたま」と言っているの?
意味分からん。
音重視で文字を選んだ後、音が変わったんじゃろ。
文字選択の話とそれ以降の音が変化するのは別物。
なぜ一緒にするのか理解出来ない。
>>470 > なぜ一緒にするのか理解出来ない。
そりゃぁ結論をもとに考えているからでしょう
472 :
ラストストーリー:2012/02/12(日) 09:43:00.82 ID:wUl5diyR
473 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/12(日) 09:45:47.20 ID:wEyza8TA
奈良県が最有力候補地だってさ。
女王国の東方海上1000里に倭人の国などありやしないのに。
>>471 なるほど、彼は時系列を追って、分離できてないんだね。
475 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/12(日) 15:03:01.69 ID:sh5Z0aXq
>>470 玉はうしろとか下にあるほうが落ち着くから順序
変えたんだと思う。
根拠はないが経験としてだ。
>>475 根拠はないが経験として、玉の順序は話題になってない
477 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/12(日) 19:21:01.36 ID:xcxMxCim
>>470 日本人は言霊信仰があるからより意識して柔らかい言葉を使う、逆ベクトルはない。
万葉集だと歌会で
「鯨魚取り海や死にする山や死にする死ぬれこそ海は潮干て山は枯れすれ」
と歌われ、通常なら審査するものが復唱して優劣決めるが口にするのも恐ろしく
口をつぐみ審査されなかった、以降「鯨魚」ではなく「不知魚」、「伊佐魚」
の当て字が使われるようになった。
万葉集で「崎玉」が不吉として「前玉」使うのは自然なこと
邪馬台国は半島にあった一勢力で、後に列島も支配下に治めたと考えるのが
一番しっくりくるんだよな…
ネトウヨ的には悔しいだろうけど…
>>478 歴史的事実がそれなら別に悔しか無い。
当時そこに住んでいた人間と、現在そこに住んでいる人間に全く繋がりが無いのだから尚更。
住之江
住吉
墨江
全部:「すみのえ」
住吉は「すみよし」になちゃったけどwww。
漢字の選択は音だな。
二荒山・・・にこう・・・日光
読みが変わったとに、変わった読みに合わせて漢字選択。
壹と臺は形以外の関連性分からない。まぁ、中国人の選択基準がわからんからなんとも言えん。
臺の代用は壹の凡例が有ればなぁ。
桃の種が一杯出土したとかなんとかNHKの歴史番組で見たな
卑弥呼=倭迹迹日百襲姫で、
モモソのモモは桃でモモソ姫の弟の吉備津彦がこれまた桃太郎のモデルとか言う。
箸墓古墳と吉備の山頂にある吉備津彦の古墳を調査してほしいね。
桃は黄泉醜女に投げつけるんだ。
豆撒きか。ww
>>481 この前登ってきたわ。中山茶臼山古墳。墳丘には入れなかったが。
484 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/14(火) 10:18:57.14 ID:xXkZl0Ce
邪馬台国って結局どこにあったのよ
決定的な遺跡とかないのか
お前の心の中に
>>460 >・倭は古くは委と書いていた。奴国の金印には「漢委奴國王」。委に人べんをつけて倭。
宮崎市定が昔何かの本で、当時だと「倭奴王之印」じゃなきゃおかしいから偽物、
と言ってたけどそもそも本物なのかね?
488 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/15(水) 19:59:05.74 ID:1XBVngha
>>487 本物であるはずがない。
「自分」を指す言葉を国名に当てて(シナの方では)呼んでいたのだから。
倭奴国だと、自分(一人称)を「ワヌ」と呼ぶ国
琉球方言では今も「ワヌ(鼻に抜ける音で日本人にはワンに聞こえる)」
勿論「私(わたし)」もその名残。
委奴國←一人称を「イヌ」という国、少なくとも日本ではない
>>473 江戸時代までは伊勢から尾張へは船で渡るしかなかったし、古代だと名古屋は海の底。
尾張三河以東は海の向こうの国だった。東海と呼ばれたのは伊達ではない。
>>464 卑弥呼は巫女であるので、外交使節とのやり取りは神と会ったという逸話になってしまったかもしれない。
>>491 記紀に魏志倭人伝からの引用自体は存在するんだよw
記紀じゃないだろ。紀だけ。
しかもいつ誰が書いた註かわからない。
>>490 昔の海岸線だと熱田神宮の辺りは岬になってるな。
鹿島、香取、玉前
今は内陸っぽいけどね。昔は海とか間近。
>>491 姉(卑弥呼)は神殿に引き篭もって祭祀三昧、実際の外交は弟とやらがやったと思う。
>>495 卑弥呼の言葉として弟が話せば、神事に関わることとして一括りになればその辺りの区別があるのかどうか。
スサノオや大国主などの神や日本武尊のような英雄譚の習合のように。
遼東の公孫氏といえば
この前やった三国無双6で司馬イに滅ぼされてたわw
同時期に日本の登場人物が絡んでるとかワクワクするね
>>496 弟=世俗王、姉=祭祀王、もしくは、斎王 みたいな印象だけどね。
若くして王になって以来人前に姿を見せないのに、複雑な外交なんてできないよ。
>>498 邪馬台国の「官」だけ記述が特殊で、「次」と歴代で書かれている。自分はこれらを崇神天皇前後と見ている。
それと、複雑な実務レベルは現代でも能力ある官僚が行い首相や皇室は国の顔として会談なり会見をする。
職能というのが今よりも集団単位で見られた古代だしね。古代に限らず中世もか。工房とかは弟子の合作でも
代表である師匠名義で作品が発表されたりとかね。
501 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/22(水) 10:14:53.26 ID:ZaUo8TPi
>>491 朝貢(形式上の主従関係を演出する貿易協定)は朝貢される方にとっては
大事だけど、それ以外の者にとっては貿易相手国の一つに過ぎないから。
502 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/22(水) 15:18:41.47 ID:IAYucZd5
>>482 主として、八くさの雷神と1500人の黄泉の国の軍勢にぶつけた。
四個目があったら醜女にもあたったかもね。
注:四個目はシコメと読んでもいいお。
>>501 倭の五王なんかは上表文の内容に比べてそんなに従順とはいえない態度で
半島支配公認要求をし続けているんだよね。
その時代と同じと見られる稲荷山の鉄剣には大王に対して「治天下」を使って
いる。
応神天皇が百済に先導をさせて呉に使者を出しているけど、現代の学者が言
う程朝貢というものを意識していたのか。
皇国史観を抜きにしても、そういう所に中国史書寄りの視点の通説に違和感を
持つんだよね。
504 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/22(水) 16:15:54.20 ID:ZaUo8TPi
>>503 蒙古襲来の時に「てつはう」使ったとの記録がシナ側に無いから
蒙古襲来絵詞は後世の加筆とか言ってて、沖合いで「てつはう」が発見されても
蒙古襲来絵詞加筆説を引っ込めて無いんだよな、病気だよあいつ等は。
「空白の4世紀」とか言っているし、その言葉を外国語に翻訳しようがない
「自国の歴史書にはあるけれど他国で記されていないから、空白だ」
ほかの国の人が聞いたら気が狂ってるとしか思わないよ
卑弥呼の存在が古朝鮮族の存在を知らしめてるよね。
>>505 三国志の時代は遼東〜呉(今の上海)までが主な活動地だからね。
507 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/22(水) 17:04:38.16 ID:uc2p3gSb
508 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/22(水) 17:14:26.42 ID:W839/hBe
>>507 朝鮮人って、よく自分の独り言に自分で応えてるよね。
509 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/22(水) 17:22:15.89 ID:L96RoTRS
朝鮮は偉大ニダァ?
510 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/23(木) 02:04:35.95 ID:M6LnO/5r
>>478 チョンには残念だが魏志に邪馬台国は載ってるが南朝鮮は単なる部落しかないと書かれているんだよ
>>473 え?
「倭在帯方東南大海中、依山島以国。度海千里、復有国。皆倭種。(漢書地理史 顔師古注)」
(倭は、帯方東南大海の中にあり、山島に依りて国をなす。海を渡ること千里、また国あり。みな倭種。)
513 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/23(木) 09:22:29.60 ID:3aGqdHG/
>>503 それだけの利益が無ければ朝貢なんぞするもんか。
物見遊山で行ける場所じゃないぞ。
514 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/23(木) 10:16:46.06 ID:ulXV9+Ig
朝貢は体の良い貿易に過ぎないが、それを支配と絡めて
実体のない思い上がりを醸し出してる中国人は、流石にキモイと思う
裸の王様というか、中華思想の1つだね
中国が自国の歴史に含めてる渤海が日本に朝貢してた事実はどう思ってんのかな
516 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/23(木) 10:43:59.58 ID:3aGqdHG/
>>515 あれは朝貢では無いだろ、朝貢国同士の関係だよ。
大和朝廷が勝手に朝貢と称しているだけね。
これは奄美も同じ、商人が土産もって行けば朝貢になるみたい、
国家すらなかったのに(^o^)
517 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/23(木) 10:47:34.38 ID:ulXV9+Ig
>>515 中国では朝貢じゃないことになっているらしいよw
>「外交はひとつ間違えば国の存亡にかかわる。卑弥呼はそれを知っていた」
ポッポは、知らなかったyo
520 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/23(木) 11:11:31.04 ID:ulXV9+Ig
>>519 朝貢は字に書いての通り、朝礼に貢物を持って参加するから「朝貢」という。
中国人は朝貢の本来の所以を忘れてるのだと思う。
521 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/23(木) 11:24:29.42 ID:3aGqdHG/
522 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/23(木) 11:30:37.85 ID:3aGqdHG/
523 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/23(木) 11:50:17.11 ID:+wXGU1Co
日本の学者は皆 津田史学の影響でおかしいんだ今でも
八木庄治先生 室谷克美先生の本を読む事
524 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/23(木) 11:57:40.89 ID:wig+vWb4
過去「外交はひとつ間違えば国の存亡にかかわる。卑弥呼はそれを知っていた」
現代「外交はひとつ間違えば国の存亡にかかわる。鳩山由紀夫はそれを知らなかった」
525 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/23(木) 12:39:16.60 ID:3aGqdHG/
>>512 以前wikiの弥生時代を見たら石器も墓制もみんな半島起源になってたな。
石器なんて、種類が豊富で大陸各地の影響を受けてそうだけど違うのかね。
527 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/23(木) 13:34:35.29 ID:hQOaghzs
>>512 弥生人って人種はないよ。
縄文人が食生活様式変わって骨格が変わっただけ。
529 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/23(木) 14:11:56.06 ID:FPikIAPZ
>>1 ちなみに、魏に朝貢したのは公孫氏が滅ぼされる前だけどな。
死せる孔明、仲達を走らせるで有名な、司馬懿がまさに公孫氏を包囲してる真っ最中だったので
後代の人間が、遼東半島が戦争中なのに使節なんか送る訳が無い、これは2年ではなく3年の誤りだ、
と勝手に一年後にずらしてしまっただけ。
卑弥呼からの貢ぎ物もかなり少ないし、倭の使節を警護して都まで送った、と書いてあるので、
事実は戦争中であったことは十分考えられる。
530 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/23(木) 14:16:57.82 ID:3qAXX588
いつまでたっても邪馬台国が見つからないのは、楽浪郡がピョンヤンにあったと考えているからさ。
531 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/23(木) 14:54:44.26 ID:A0sMf3OT
日本史の復習すっかな〜、と山川のオーディオブックをダウンロードした。
のっけから、
・朝鮮半島から渡来人とともに稲作と弥生式土器が伝来した
・彼らは面長で背が高かった
否定された学説をしつこく掲載。狂ってる。
532 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/23(木) 16:51:59.46 ID:OAbObIlf
>>530 楽浪郡はどこにあったと思ってるんだ朝鮮人
記紀には卑弥呼なんぞ出てこないぞ。デタラメに決まってる。なんで実在の人物かのように扱うんだ。
535 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/23(木) 20:35:49.42 ID:F/PpZlnj
倭の国々 → 九州王朝(九州四国出雲吉備の銅剣銅矛圏)邪馬台国 → 倭の五王(倭国+百済新羅任那)
↓ ↑
日向豪族(須佐之男命の子孫)神武東征 → 大和王権(大和銅鐸圏平定)→ 統一 → 大和朝廷 → 日本
の流れだから、記紀に卑弥呼や倭の五王が直接出てこないのは当然。
天照大神として神話の時代という扱いで出てくるが、記紀はあくまで分家の歴史だから。
536 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/23(木) 22:33:22.24 ID:9QqbrJxD
>>534 正直、三国志の魏志に書かれた邪馬台国が何処にあるかと言うより、巻向や箸墓の重要性は高いよね。
少なくとも、その魏志に書かれた邪馬台国と同時代に、近畿に日本列島の広域を支配し、
前方後円墳から後の古墳時代と繋がっている=大和朝廷のモトとなるものがあったと言う事が重要。
邪馬台国が大和にあれば、それはヤマ「タイ」国はヤマトであったでいいし、
九州にあるとなれば、後に大和朝廷に支配された地方政権が3世紀にあったで終わるし。
それに、邪馬台国がどこにあるっても、邪馬台国の人々が、
卑狗(ヒコ→彦)などを見るに、現代日本語にも通じる言葉を使う人々の国=日本人の祖のクニだった事は可能性が高いしね。
あの諸葛亮のライバルだったらしい上に、実権を握りつつあった司馬懿の時の魏
に、朝貢したかと思うと結構感慨深いものがある。たしか時期的にそうだよね。
元宮家の例の竹田先生はヤマタイ国のことを結構軽くみてたよ。
たしか田原総一郎との対談がソース。所詮一地方の勢力に過ぎないとかいってた。
でもあの人なんかむかつくわ
>>516 渤海は日本宛の外交文書で朝貢国としての立場を取った記述をしていたから、日本側も相応の饗応をしている。
対等なら返礼品の量が法外な余りに財政問題となり、間隔を拡大する指示を渤海に出したりとかして苦労しなかったよ。
>>521 神話は歴史と同じ時系列ではないので、神に習合している可能性はあるがそのものであるとは限らない。
541 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/02/24(金) 04:50:59.15 ID:8BqhN6FW
朝貢というのは異民族の側がしたがるんじゃなくて
中国の内部事情で事前に依頼・招聘するんだよ。
だから朝貢の見返りが大きくならざるを得ない。
57年の漢委奴国王の時もそう、107年の倭国主帥升の時もそう。
(このへんのことは岡田英弘の本に詳しい)
だから239年の卑弥呼の遣使も、魏のほうから要請があったと考えたほうがいい。
>>538 竹田氏は、もしかして邪馬台国九州説の人?
一方で、倭の五王が歴代天皇に比定されている事は認めていたような。
だいぶ前に本屋で立ち読みした何かの著書で。
543 :
ラストストーリー:2012/02/24(金) 17:29:31.76 ID:zNN6mn5+
546 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:
>>542 [神武東征]を意識してそのような感じ。
日に向かって戦ったから負けた、日を背にして戦て勝利した伝説だけど
九州征伐なら、壱岐島や対馬を拠点にしての戦いから切り替えたと解釈できるけれど
近畿征伐なら、「日を背にして戦う」が成り立たないのだが 、彼はどう考えているのだろう。