【朝鮮半島】日本メディア「中国軍、北有事の際は2時間で平壌入り」[01/25]

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42亜細亜の心 ◆jPpg5.obl6
>>31>>34

1951年4月3日、朝鮮半島北部の標高303メートルの要衝・通称「キムチ・ヒル」の南鮮軍守備隊3000名を支援するため、アメリカ海兵隊第一師団からB中隊200名が派遣された・・・

早速隊長のヘンリー大尉は信頼するベテラン黒人軍曹トマスとともに南鮮軍司令官の李大佐に作戦会議を申し入れるが、李大佐は「なじぇ、アメリカ軍は下等な黒人兵を連れてきたニカ!?これは高麗両班出身たるウリに対する侮辱ニダ!ここはウリたちだけで守れるニダ!!」と喚き、
糧食を分けようとさえしなかった。
怒りに震えるヘンリー大尉をトマス軍曹が宥め、アメリカ軍派遣部隊は守備に就く。
戦線を視察したヘンリー大尉は、昼から酒を飲んで酔った南鮮兵が近所の村で村娘を手篭めにしようとしていたのを発見、
9pの粗チンを丸出しにしていた南鮮兵を蹴り倒して村娘を助けるが、逆恨みして火病った南鮮兵が後ろからヘンリー大尉に銃を向ける。

間一髪トマス軍曹が南鮮兵の手から銃を叩き落とすが、それを見た南鮮兵が集まりだし一触即発という事態になる。
あわや同士討ちか・・・と思われたとき、陣地に迫撃砲の砲弾が立て続けに炸裂する。
ヘンリー大尉が麓を見ると、そこには援朝義勇軍として派遣された中国人民解放軍1万人が迫っていた・・・
チャルメラを吹き鳴らしながら突撃する人民解放軍・・・
あっという間に壊滅し「哀号〜〜〜」と泣き喚きながら逃げ散る南鮮軍・・・
真っ先に逃げたのは李大佐で、怯将の下強卒なしとばかりに南鮮軍は雪崩をうって敗走する。

取り残されたヘンリー大尉指揮するアメリカ軍200名は、唖然としながらも、必死の反撃を開始する・・・・
殺されても殺されても次々に新手を繰り出して攻撃する人民解放軍、次々に仲間が倒されてゆく中、東洋の同盟国を守るため50倍の敵兵を相手に死闘を続けるアメリカ海兵隊員・・・
激闘3日のうちにキムチ・ヒルの頂上に掲げられた星条旗は破れ、ヘンリー大尉以下の将校は全員戦死し、生き残った唯一の下士官であるトマス軍曹は4月5日の夜、ついに全滅を覚悟する・・・

トマス軍曹は知らなかったが、人民解放軍側の死傷者も膨大な数に登り、翌6日朝の最後の総攻撃に参加できるのは3000名以下であった。
4月6日、払暁を期して人民解放軍は最後の総攻撃を仕掛ける。
トマス軍曹の指揮する約30名の生き残りの海兵隊員は死力を振るって戦うが、既に銃弾も手榴弾も無く、敵から奪った武器も次々に弾が尽きて沈黙し、星条旗も倒され遂に全滅かと思われたそのとき・・・・

アメリカ海兵隊の危機と南鮮兵の卑劣さを知り、イギリス、トルコ、カナダ、ベルギー等の各国が、日頃の反目を水に流して急遽混成部隊1000名を編成し、
英国陸軍のサー・ジェームズ・ホワイト大佐の指揮の元に昼夜兼行で救援に駆けつけ、疲弊した人民解放軍を撃破、間一髪で海兵隊の救援に成功する・・・・
しかしその時点で生き残っていた海兵隊員は僅か10名、しかも無傷のものは1人もおらず全員が疲労しきっていたが、生き残った海兵隊員は誇りを持って再び弾痕だらけの星条旗をキムチ・ヒルに掲げる。

救援部隊の司令官であるサー・ジェームズ以下の救援部隊の将兵は、心からの敬意を込めて弾痕だらけの星条旗と生き残ったアメリカ海兵隊員に敬礼し、海兵隊員も感謝こめて答礼する。

そこへ…


無傷で逃げた李大佐以下の南鮮軍が現れ、「ここはウリたちの国ニダ!!ウリたちは逃げたのではないニダ!!反撃の機会を窺いながら戦略的に撤退しただけニダ!!お前達アメリカ軍がいなくても勝てたニダ!!」と喚いて星条旗を引き降ろし、
ペプシの商標に酷似した染み一つない新品の犬極旗を掲げる・・・

戦死した人民解放軍兵士の死体に銃剣を突き刺して狂喜乱舞し「ウリたちは勇敢に戦ったニダ!!ウリたちが勝ったニダ!!ウリたちは英雄ニダ!!」と喚く南鮮兵・・・・
この浅ましい情景を呆然として見つめる生き残りのアメリカ海兵隊員、苦々しげに見守る救援隊の将兵・・・・

かくして犬極旗は、怯惰と卑劣さと捏造の象徴として、キムチ・ヒルの頂上に誇らかに翻ったのであった・・・