欧州のある空港であったことだ。男性か女性かはあえて言わないが、
韓国人2人が話をしているのを、喧嘩をしているものと感じた空港の職員が申告した。
警察が来て尋ねると、2人はあきれたという表情で語った。「私たちは静かに話していただけですが…」。
十数年前、空港に勤める韓国航空会社の職員から聞いた話だ。
先日、米国のある空港では、搭乗を待っていた韓国人乗客が大声をあげながら取っ組み合いをしたため、離陸が数時間遅れた。
針小棒大に言うつもりはない。韓国人のマナーが過去に比べて格段に向上したのは事実だ。
しかし公共場所で他人のことを考えない習慣は相変わらずだ。
2日前、同僚と一緒に会社付近の食堂に行ったが、騒がしくてとうてい食事ができなかった。
客の1人が早くから酒に酔って大声でわめくのに我慢できなかった。
耐えかねて同僚が注意し、幸い声は小さくなったが、下手をすれば喧嘩になって乱闘場に変わるところだった。
バスや地下鉄に乗れば、大きな声で携帯電話で話したり仲間と騒ぐ人たちがいる。何か重要な話なのかと思えば、そうでもない。
どうでもいいような雑談がほとんどだ。
イヤホンをして一人で音楽を聴くのはよいが、隣の人に聞こえるほどボリュームを高めて聴く人も多い。
飲食店に行けば、あたかも自分が店を借り切っているように周囲の客に配慮せず騒ぐ団体客もいる。
静かに話しても分かるはずなのになぜ大声を出すのだろうか。声を高めるというのは、それだけ頭が足りないという意味だ。
言葉の内容が不十分だから、声を大きくしてこそ説得力を持つと考える。
声の大きい人が勝つ社会は原始・野蛮社会であり、文明社会ではない。
昨年の東日本大地震当時、NHKの放送を見て驚いたことがある。
あの途方もない大災難の衝撃の前で、どうすればこれほど落ち着いた声で話せるのかと不思議に思うほどだった。
このように見ると、韓国のテレビニュースの進行者は普段でも声のトーンが高い。
男女に関係なく、アナウンサーもそうで、リポーターも同じだ。
尋ねてみると「ソ」の音階からコメントやリポートを始めてこそ伝達力が最も高まるためというが、本当にそうなのか疑問だ。
テレビからトーンをやや低めればいい。
間違いなく韓国社会は騒々しい社会だ。ツイッターやフェイスブックなどソーシャルネットワークサービス(SNS)を見ても、
声が大きい人が談論を支配する構造だ。社会が騒々しいというのは、それだけ安定感がないことを意味する。
静かに話しても疎通できる社会が安定した社会であり、品格がある社会だ。今からでもどうか声を低めて静かに暮らそうではないか。
2012年01月09日11時21分 [中央日報/中央日報日本語版]
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