【北朝鮮】正恩氏母は在日・・・周知の朝鮮総連を危険視[12/24]

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87<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
http://blogs.yahoo.co.jp/view500/26601223.html

38)高英姫実家跡(以下参考文献、鈴木琢磨著「金正日と高英姫」)
現在は更地になっており大阪に住む日本人の所有。ここは遠くからこの向こうにありますよ〜っ、
てことなので特に説明はなかったのですが、以前にも訪れているのでサクっと説明すると、
「高英姫」本名、高春幸。金正日の第4夫人です。現在話題になっている金正日の後継者争いですが、
そのうちの一人「金正哲」の母である。どうやら「金正哲」が後継者になる可能性が高いと言われていますね。
その高英姫はここ猪飼野の出身の帰国者です。1953年6月16日生まれ。5人兄弟の二人目。

高英姫の父親は済州島出身の一世でその名を「高太文」(高泰文とう説もある)という。日本名、高山洲弘。
1920年に済州島で生まれ、13歳の時に「君が代丸」に乗り大阪へ渡った。
ここであることに気付く。済州島出身で君が代丸で大阪へ渡った。はいそうです、梁石日の父で
「血と骨」にも登場し、強烈なインパクトを与えた「金俊平」とダブりますよね。

高太文は当初めがね工場で働いていたが(おそらく生野区田島。田島は日本の眼鏡レンズ発祥之地である)
朝鮮人への差別的待遇に嫌気が差し退職。自分の力のみで勝負できる柔道家を目指し結局、講道館六段を
取得するまでになった。
そして、時は流れ祖国は解放され、朝鮮戦争も休戦と時代は変わっていった、そんな日本でひとりの
超ウルトラスーパーヒーローが誕生する。「力道山」である。同胞である力道山を見て高太文が何かを感じたの
は想像に難くない。それに加えて柔道からプロレスに転身し、スターレスラーであった「木村政彦」もいた。高太文が
プロレスラーを目指すのは自然の流れか。

そして1956年「東亜プロレスリング協会」を設立、「大同山」と名乗る。同じく設立者には「白頭山」というレスラーがいる。
「大同山」に「白頭山」ってコテコテの朝鮮風やなぁ・・・ちなみに「東亜プロレスリング協会」の道場は大今里にあったらしい。

大同山は東亜プロレスリング協会設立後すぐにスポットライトがあたる舞台が訪れた。木村政彦との対戦が決まったのだ。
木村政彦率いる「国際プロレス団」vs「東亜プロレスリング協会」の対抗戦が組まれ大同山は木村政彦と対戦することになったのだ。

結果は大同山の反則負けとなったのだが、その後の朝鮮総連の月刊誌「祖国」には大同山が勝っていたのだが
日本反動分子の謀略によって反則負けになったと書かれている。

設立後すぐに表舞台にたった大同山であったが、奇しくもその舞台が最初で最高の舞台となってしまったようだ。力道山に
なれないと悟った大同山、いや高太文はその5年後1961年に高英姫を含む家族と共に北朝鮮へ渡ったのだ。その時、高英姫8歳。

この帰国は単に帰国事業で帰ったのではないと言われているらしい。高太文一家の名が帰国者リストにないのだ。
ある使命をうけていたのではないかという。すでに共和国でのポジションは保証されていたんではないかということだ。
そのひとつは共和国の柔道発展の為の指導者としてのポジション。これはその後、実際に結果を残している。
東京オリンピックに対抗して社会主義国がジャカルタで開催した「GANEFO」で金メダル2個、銅メダル1個を獲得している。
北朝鮮はソウルオリンピックの時も平壌世界青年学生祭典とかいったよくわからん大会を開いてるよね。

もうひとつの任務は「力道山の取り込み」。当時すでにスーパースターであった力道山は南北での争奪戦が繰り広げられていた。
そりゃ、朝鮮人であんだけのスーパースターを自国側に取り込みたいと南北が思うのは当然。
しかしいくら高太文が大同山というプロレスラーであったとしても力道山を取り込むことなど不可能である。
第一にレスラーとしての「格」があまりにも違いすぎる。ちなみ力道山の北朝鮮での葬儀には高太文も参列している。
もっともこの葬儀も政治的宣伝のために設定されたものに過ぎないが・・・