【日韓】李明博大統領「誠意ある措置がなければ第2、第3の像が建つ」[12/18]

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250<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん

1909年に初代朝鮮総督府統監であった伊藤博文が中国のハルピンにおいて、朝鮮人の安重根に暗殺されますが、
韓国の教科書で「処断」という言葉を使い、安重根は朝鮮人の「義士」として李奉昌と同様に韓国の教科書で
教えられています。韓国の教科書では「韓人愛国団員の李奉昌は日本の東京で、韓国侵略の元凶である日本
国王を処断するため国王の馬車に爆弾を投げつけた。」愛国の義士ということになっています。
昭和天皇は当時の大日本帝国皇帝の地位にあり、昭和天皇の暗殺を計画・実行することは朝鮮人民にとって
危機的な状況を生むはずでしたが、昭和天皇はテロリストの犯行として李奉昌個人の犯罪として処理しました。
朝鮮人民全体に対するに暗殺の対価を払わすことはありませんでした。オーストリア皇太子暗殺によって、
第一次世界大戦がはじまったことを考えれば、朝鮮人民には壊滅的な処断が想定されたのですが、
朝鮮人民に対する大規模な日本の報復措置はありませんでした。
そして、1935年に日本国内の朝鮮人居住者は625,678人と増加しています。