【日韓】李明博大統領「誠意ある措置がなければ第2、第3の像が建つ」[12/18]

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215<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
日本の教科書には載っていない「桜田門事件」が1932年に起きました。
昭和天皇に朝鮮人の李奉昌が桜田門で爆弾を投げつける事件が起き、当時の首相犬養毅
は責任を取って辞表を提出しましたが、天皇に留任することを要請され、首相を続けました。
李奉昌はソウルの満鉄見習い所に入所しましたが退職し、日本でしばらく暮らしました。
1926年に中国上海の愛国団に参加し、韓国独立のために日本の天皇暗殺を考え、1931年
に手榴弾を持って日本に入国し、1932年1月8日に桜田門外の閲兵式から帰る昭和天皇の
乗った馬車に手榴弾を投げつけました。幸い昭和天皇に危害は及ばず、天皇護衛の近衛兵
が負傷しました。この桜田門事件で、李奉昌は逮捕されて大逆罪の死刑判決を受けます。
1932年10月に市ヶ谷刑務所で処刑された李奉昌は、在日朝鮮人によって遺骨が発掘され、
ソウルで国民葬が行われて「義士」として埋葬されました。