東アジア流転の歴史から読み解く朝鮮半島の現在過去未来
韓国人は二言目には「日本人は歴史に対する反省が足りない」という。平たく言えば「もっと反省しろ」と
いうことだろう。
では、ここで彼らの御要望にお答えして「反省」してみよう。
少なくとも1945年(昭和20年)以前の日本、いや大日本帝国は尊大で傲慢な国家であったことは間違いない。
日韓併合などが典型例といえるが、本来「二ヶ国の対等合併」というなら、少なくとも日本語と韓国語を
同時に公用語とするべきだったろう。対等合併でなく植民地化なら、そう堂々と宣言すべきだった。
偽善は下手な悪よりも憎まれるのは洋の東西問わずどこでもあることだ。
では、なぜ日本は当時の韓国(大韓民国)にそんな傲慢な態度を取ったかといえば、歪曲された歴史
教育のせいなのである。
日本は七世紀に新羅と戦って大敗北を喫した。いわゆる白村江の戦い(663年)である。当時の超大国
唐(中国)が新羅に味方したからとはいえ負けは負けだ。日本の方が友好国百済の支援を受けて数倍の
兵力を持っていたのに、実に呆気なく負けた。
ところが、戦前の歴史教科書にはこの事実がまったく記載されていなかった。なぜなら「神聖な国家
日本が朝鮮半島の国に敗北することなど有り得ない」からだ。
代わりに載っていたのは神功皇后(応神天皇の母)が「新羅征伐」に乗り出し「新羅軍を撃破し新羅王を
土下座させて服属を誓わせた」という「神話」であった。なにしろ子供の頃にこれを習うのだから深層心理に
深く刻まれてしまう。
また、日本(正確には日本列島にあった国々)は古代においては中国に朝貢していた。邪馬台国の女王
卑弥呼が「親魏倭王」という称号をもらったことは明確な史実といっていいだろう。これは「魏(中国)の
皇帝の臣下である倭(日本)の国王」ということだ。もっとも、われわれの先祖は「天皇」という称号を
名乗ることによって、中国から独立(中国皇帝の臣下ではない)した。「日本」と「中国」は、日本の方が
海に囲まれた攻めにくい国土であったことも幸いしたわけだが、とにかく一時そういう力関係であった
ことは、まぎれもない事実だ。しかし、事実は事実として教えず「我が国は有史以来から独立国だった」
という耳触りの良い「神話」を教えれば、それを叩きこまれた人間(あるいは民族)は自己中心的で尊大な
人間になるばかりだ。
こういう人間が増えていけば、それは亡国の原因ともなる。これが歴史の教訓である。
朝鮮半島の国家は歴史的に「つらい」国であった。日本のように海に囲まれておらず、中国と陸続きで
あるから、何かと中国が戦争を仕掛けてくる。七世紀高句麗や百済は唐に抵抗したが、新羅の金春秋
(武烈王)は結局唐の臣下(新羅国王)となってライバルを滅し半島を統一する道を選んだ。
これ以後、半島の国家は新羅であれ高麗であれ朝鮮であれ、全て「国王」すなわち中国皇帝の臣下で
あった。
それが歴史上のまぎれもない事実だ。
だからこそ、日本が清との日清戦争に勝って、下関条約で中国に初めて「朝鮮国の独立」を認めさせた時、
これで長年にわたる屈辱から解放されたと喜んだ朝鮮人たちは、欣喜雀躍して独立門を建てた。
これが現在も大韓民国ソウル特別市にある独立門だ。つまりこれは「中国からの独立」を記念して建てられた
ものであり、朝鮮人もそれを明確に意識していたということなのだ。
現在ある場所に建てられたのも理由がある。
ここは、迎恩門といい、朝鮮歴代の王が中国皇帝の使者を迎えるにあたって土下座以上の屈辱的な三跪
九叩頭の礼をさせられていた場所なのである。骨の髄まで中国文化(儒教文化)に染まっていた朝鮮は
漢民族の国家である明が滅ぼされ、遊牧民族が清を建てた時、「野蛮人には従えない」と明に義理立て
した。怒った清は朝鮮に「征伐軍」を送り、朝鮮の仁祖王を追い詰め「土下座(正確には三跪九叩頭の礼)」を
させて服属させた。これは「神話」ではない、事実である。しかも、清国皇帝は「お前たち朝鮮人を滅ぼさないで
済ませてやったのだぞ、恩義と思え」と強制し、歴代国王に三跪九叩頭の礼を強制した。その場所が
「迎恩門」なのである。
ところが、韓国の若い世代はこのことを知らない。「有史以来、朝鮮半島の国は独立国家であった」などと
いうデタラメが学校で教えられているからだ。
週刊ポスト/12月16日号 22〜25ページ
※ 記者が書き起こし
>>2に続く
>>1の続き
独立門前で「この独立って、どこの国からの独立?」と質問すると、多くの若者はそんなことも知らないのかと
憤慨しつつ「日本からに決まっているだろう」と答える。
しかし、そこで「でも、説明板を見てごらん。この独立門が建てられたのは1897年だ。韓国併合は1910年だし、
光復(独立)は1945年だろう。それ以前の話なんだよ」と言うと、彼らは絶句し思考停止してしまう。
先程「つらい国」という言葉を使った。侵略を受けながらそれを「恩」と呼び、その「恩」をもたらした野蛮な
国の皇帝に、代変わりのたびにすべての朝鮮国王は「土下座」しなければならなかったのだから。
当然、侵略は「政治」だけではなく「文化」の面にも及ぶ。
たとえば、唐軍を何度も撃退した高句麗の淵蓋蘇文(えんがいそぶん)は、日本の史料には「いりかすみ
(伊梨桐須彌)」と記されている。当時の発音ではそうなるらしい。日本語と韓国語は同じ系統の言葉だが、
中国語とは音韻も文法もまったく違う。だから、新羅が中国一辺倒路線を取るまでは「金○○」のような
中国式名ではなく、民族のオリジナルの名前があったはず、ところがこれは今一切消えている。つまり、
中国式に「創氏改名」を国民に強制したということだろう。
だからこそ、名君世宗が「ハングル」を作ろうとした時、臣下たちは「漢字(中国文字)こそ文字であり、
民族固有の文字など有り得ない」と大反対したのである。それを押し切った世宗も「これは文字ではない
(中国文化に対する反逆ではない)、訓民正音(愚かな民に発音を教える記号)に過ぎない」と言わざるを
得なかった。
ハングルは当初から「ハングル(偉大な文字)」であったわけでは決してない。むしろ文字であることを
拒否されたのだ。それも、言ってみれば「中国の文化侵略」であろう。「骨の髄まで」とはそういう意味だ。
それがわかっていないと、迎恩門破壊がどれほど嬉しいことであったか、当時の人々の気分はわからない。
その中には当然、日本に感謝し、日本に頼ってこそ韓国の未来は開かれると思った人々もいた。もっとも、
日本がその期待に完全に応えられた、とは到底言えないだろうが。
しかし、日本が韓国になした功もある。
それは中国のもたらした儒教体制の破壊である。
身分制度、西洋の優れた技術や制度に対する嫌悪、頑固な保守主義――いわゆる韓流ドラマはこのあたりを
ゴマカシているが、朝鮮王朝が続いていたら一体どうなっていたか?
朴正熙大統領は自著「韓民族の進むべき道」で言っている。
「四色闘争、事大主義、両班の安易な無事主義な生活態度によって後世の子孫まで悪影響を及ぼした、民族的
犯罪史である」と。儒教体制は「祖法(先祖の定めた法)」を変えるのは第一の悪徳である。
すなわち儒教体制がある限り、近代化はまったく不可能だ。それを破壊したのは日本である。だからこそ
「訓民正音」は「ハングル」になれた。
一方、「独立は絶対に正しい」としてしまえば、その独立を妨げた日本は「徹底的な悪」にしなければならない。
その憎悪で国を団結させるというのは政治的な手段であって、歴史の真実とは別のものだ。
そして、真実とかけはなれたところで歴史を利用することは亡国への道である。
「日本海」は日本が領土的野心で言い出した呼称ではなく外国人がそう呼んだ。自然の成り行きである。
どうしても気に入らないから「東韓国海」にしたいというなら話はまだわかる。しかし「東海(トンヘ)」とは
何事か? 韓国はいつから世界の中心になったのか? それならいっそのこと、南シナ海も「南海」と
すべきだと中国に抗議したらどうか。
また、かつて中国スタンダードに反する「オリジナル」の許されなかった「つらさ」はわかるが、だからといって
なんでもかんでも韓国が発祥という「ウリジナル」は行き過ぎだろう。
尊大で傲慢な国になることは亡国への道だということ、繰り返すがこれが歴史の教訓なのである。 《完》