【韓国】 大韓民国政府、国連軍のため慰安所運営〜売春婦が外貨獲得政策の担い手だった[11/26]

このエントリーをはてなブックマークに追加
3蚯蚓φ ★
>>2の続き
1966年<新東亜>の記事はもっと率直だった。“洋公主(欧米人相手の接待婦)が持つ巨大な力がある。
日陰に咲いている彼女たちは皮肉にも我が国の国家政策の至上課題になった感のある外貨獲得の一
つの担い手になっている。”<新東亜>は当時全国190カ所の国連軍専用ホールから出てくる外貨が1
年に1千万ドルに達すると推定した。1966年当時、我が国が貿易で稼ぐ外貨は2億5千万ドルだった。

1970〜71年、駐韓米軍の規模が1万8千人減った。 政府は非常事態になった。1971年8月、内務長
官が各警察に送った公文書で“保健当局と協力し慰安婦の性病予防策を講じ…教養を強化”しろと指
示した。ところが去りゆく米軍を捉えることはできない定めだった。米軍の空席は‘キーセン観光’をしに
来た日本人が満たした。1965年、韓日修交が契機だった。 キーセン観光が絶頂に達した1977年に韓
国を訪れた日本人の96.8%は男性だった。経済成長に没頭した政府は観光収入と観光客目標値を提
示した。

旅行斡旋業者にも‘割当量’がくだされた。目標を達成できなければ各種恩恵が消えたり、甚だしい場
合には許可が取り消された。1979年<新東亜>は“脱線観光がきわめて当然に当局の黙認の下に成り
立つ。 …妓生パーティーはほとんどすべての日本人観光客らに提供された”と報道した。 もちろん政
府も継続的に一役買った。 1972年ソウル市の資料を見れば、基地村接客営業所女性512人、観光料
亭接客営業所女性1795人を対象に教育した記録が残っている。
(後略)