【書籍】 「朝鮮は野蛮な国」日帝の差別はどのようになされたか〜中根隆行著『〈朝鮮〉表象の文化誌』[11/25]
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■朝鮮の刑務所(監獄)の、不潔と残酷さは、言語に絶するものであった■
食事はおかずなしの雑穀のみであった。さらに、監獄の狭さから囚人数を滅らすために獄吏が勝手に殺害して
「処理」していた。
日本は1909年以来、それを人道的な日本並みに大改善していったのである。総工費30万円をもって
1910年に起工し1912年に完成した、清潔で近代的な京城監獄(のち西大門刑務所と名称変更)は、
朝鮮の受刑者にとって地獄から天国に引越しをしたようなものであった。
柿原琢郎(1920〜22年の総督府監獄課長)は、上記と同じ座談会で、平壌地裁次席検事として実際
に訪れた(韓国併合直前の)平壌の監獄を、次のように思い出している。
▲『狭隘なる監房は到底それに応ずることできず、ただ無理押しに押し寵めてゐました。1坪に15、6人も
押込むありさまで、在監者(は同時に横臥睡眠をとれないので1日に)3、4回交替にて横臥せしめた。
作業上の設備も被服交換の準備なく、…終日終夜着のみ着のままで在房してゐますから、監内の熱気と臭気とは
短時間の参観にも堪えられませんでした』…(「朝鮮における司法制度近代化の足跡」友邦協会)
…「歴史を偽造する韓国」 中川八洋 2002年 徳間書店…
■残虐な朝鮮時代の刑務所■
死刑の執行を見た。身動きのできぬ囚人の足の内側に棒を挟んで、執行人たちは自分の体重の全てを棒の片端にかけた。
囚人が続けざまに吐き出す叫び声は聞いていて実に凄絶なものだった。脚の骨が砕け つぶれる音が聞こえると同時に、
その痛さを表現する声さえももはやないかのように、囚人の凄絶な悲鳴も止まった。
執行人らは囚人の腕の骨と肋骨を次々と折ってから最後に絹紐を使って首を絞めて殺した 。
理由が何であれ、こんな状況がまだこの地球上の片隅に残っていることは、人間存在そのものへの挑戦である。
日本人が(李氏)朝鮮を手中にすれば、真っ先にこのような拷問を廃するだろう 。
(スウェーデンの新聞記者 グレブスト 『悲劇の朝鮮』より)