「独裁政権を転覆しろ!」
「ウォールストリートを占領しろ!」
「原子力発電所を閉鎖しろ!」
いわゆる『アラブの春』と呼ばれる北アフリカ・中東の『反独裁運動』から、ニューヨーク発の
『反ウォールストリート運動』、そして東京の『反原子力』運動まで、今年一年、全世界を動かせた
スローガンである。
数千キロメートル離れた場所で響きだしたその叫び声は、それぞれの共同体の垣根を越えて
共通した歴史的な意味として出会っている。彼らが変えようとしている事は全世界を支配して来た
強固な構造であり、彼らの怒りははその構造が提案して来た幸せと豊かさの為の方法である。
何よりもそのスローガンは、去る半世紀にわたり人類を騙して来た権力の福音に対する抵抗
でもある。
そのように全世界が切実な切たる叫びで過去と未来の分岐点に立っているこの時期、先月東京
のある公園ではもう一つのスローガンが登場した。
「キム・テヒを退出させろ!」
『反寒流運動』の論理の概略はこうである。「メディアと消費文化を掌握した韓国大衆文化に
日本人が洗脳されるおそれがある為、その浸透を阻止しなければいけない。特にキム・テヒの
ようにに日本の利益に反する反日的な人物は、放送から退出させなければならない」
これに対して多くの日本人は最初から無関心だったり、非常に批判的に反応している。「ただで
さえ不足している日本社会の文化的多様性を自ら萎縮させ、大衆文化に人種差別的な検閲と
統制を勧める時代錯誤的な運動」
そして、そのような『反韓流運動』を眺める韓国社会の視線はかなり複雑そうだ。多くの人々が
日本社会の右傾化がその様な形で表出されることに対して強い怒りを示しながらも、一方では
もしかしたらそれが韓流市場の萎縮に繋がったりしないだろうかと憂慮する。勿論、『反韓流』
自体が韓流の威力を反証しているという、自画自賛的な分析もたまに見える。
ところで一方では、韓国の主要メディアが先を争って『反寒流運動』を伝え、韓国社会の怒りと
懸念を煽る姿に対して大きな矛盾を感じている人も少なくないだろう。
考えて見れば、『反韓流運動』にしばしば登場する『放送退出』という表現は、むしろ韓国社会の
方が身近なのではないだろうか。ここ近年、政治的な立場と表現を理由に数多くの『キム・テヒ
たち』が、テレビやラジオから退出させられたのか。どれだけ多くのメディアが現在も権力の検閲
と統制を擁護して、また自ら犯しているのか。その 反文化的行為はどうやって説明する事が
出来るのか。
したがって『反韓流運動』に対する方法は、主要メディアを見ながら怒ったり憂慮したりする事
ではない。ガスタンクを担いで日の丸を焼く事でもなく、ネチズンが力を結集して2ちゃんねるの
サイトにサイバー攻撃を浴びせる事でもない。韓流を応援しようと大型アイドル企画会社を
盲目的に応援する事はなおさら違う。
『反韓流運動』が持っている反文化性をあざ笑う一番通快な方法は、まさに我々の中の数多くの
『キム・テヒたち』を救う事だ。韓国社会の文化的偏向性を無くす事。痕跡さえ消えている言論と
表現の自由に息を吹き込む事。今まで無視してきた文化的多様性に目を開く事。その傷で
受けた文化を治癒し、自ら真っ直ぐ立つ事。そして二度と揺るがない事。.
そしてそれは政治的な行為を必要とする。すべての文化は政治的だからである。
東京大学大学院・情報学環キム・ソンミンAssistant Professor
ソース:NAVER/PRESSian(韓国語)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=104&oid=002&aid=0001977610