【韓国】「ソウル市長候補「祖父に徴用令状は嘘、家族史まで操作、1941年に半島で"強制徴用"はない」[10/12]

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1ニライカナイφ ★
◆シン・ジホ「強制徴用は嘘..家族史まで操作」

ハンナラ党シン・ジホ(申志鎬)議員は11日、野党圏パク・ウォンスン(朴元淳)候補
(ソウル市長補欠選挙、10月26日投開票)の祖父の代わりに大叔父(祖父の弟)が
サハリンに強制徴用で行ったという主張に対して、「パク候補が戸籍操作にも足りず、
家族史まで操作しようとしている」と主張した。

“飲酒放送”論議でナ・ギョンウォン(羅卿ウォン)ソウル市長候補選挙対策委員会の
報道担当から退いた後、“パク・ウォンスン狙撃手”に変身したシン議員はこの日、
国会で行った記者会見で「大叔父が兄の代わりにサハリンに強制徴用されたということは
歴史的事実関係に符合しない」と指摘した。

彼は、根拠資料として日帝強制徴用に関する歴史的事実が記録された、
釜山高等裁判所第5民事部の判決文(事件番号2007と4288)を提示した。

シン議員は「判決文を見ると、日本は戦争により人材と物資が不足すると
1939年7月8日に国家総動員法にともなう国民徴用令(勅令第451号)を制定したが、
韓半島など外地に対しては勅令第600号によって1943年10月1日から国民徴用令を
実際に適用した」と話した。

パク候補側は先立って、1941年にパク候補の祖父に対する徴用令状が飛んできたが、
長男の祖父の代わりに大叔父がサハリンに行ったし、彼の生死が確認されないので
パク候補の親がパク候補を大叔父の養孫として入籍したと説明していた。

シン議員は「初期には日本が韓国人の反発を懸念して国民徴用令を強制施行せず、
飛行機の部品および製鉄溶鉱炉製造者、船舶修理工など特集技能を持った人々を
日本に移住させる政策を推進したが、それも日本の会社中心の労務動員計画に
よるものだった」として「1944年8月8日から初めて一般韓国人を対象にした国民徴用令が
適用された」と強調した。

彼は「1939年から1941年までは企業体募集、1942年から1943年までは朝鮮総督府斡旋、
1944年からは強制徴用形式だった」としながら「パク候補の祖父が1941年に徴用令状を
受け取ったというのは偽りの主張であり、大叔父がサハリンに行ったとすれば募集に応じて
行ったのであり、兄の徴用令状の代わりに行くということは起きない」と主張した。

シン議員は「パク候補の養子縁組が兄弟の兵役免除を狙った『反社会的戸籍分割』
であったことは明らか」として「不幸なのはパク候補の家族史でなく、一千万ソウル市民」
と話した。

写真:ハンナラ党シン・ジホ議員
http://img.yonhapnews.co.kr/photo/yna/YH/2011/06/14/PYH2011061404770001300_P2.jpg

聯合ニュース(韓国語) 2011/10/11
http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2011/10/10/0200000000AKR20111010156600001.HTML