建津之身=味耜高彦根がどうして八咫烏=三足鳥なのか
八咫烏とは三足烏のことで、高句麗の国鳥といわれる。熊野三山の熊野本宮大社、熊野速玉
大社、熊野那智大社は八咫烏を祭神にし、日本プロサッカーのシンボルになっていて、日韓の
本源争いまで生じているようだが、はるか以前に高句麗の国鳥であるから、本源はいわずも
がなである。では、その八咫烏であるタケツノミ(鴨建津之身命)=アジスキ(味耜高彦根命)
は、高句麗と関係する人(神)格なのであろうか。
http://news.onekoreanews.net/wys2/file_attach/2011/09/28/1317210357-54.jpg 三足烏
問題は、タケツノミがどうして八咫烏と呼ばれたか、あるいは三足烏がどうして八咫烏と称さ
れたかである。普通に考えれば、タケツノミを八咫烏と称して問題を複雑にするよりも、タケ
ツノミの名のままでも、道案内には差し支えなかったと思われるのだが。
『日本書紀』によれば、大空から飛び降ってきた八咫烏を見て、神武帝は「この烏のやってくる
ことは瑞夢に適っている。偉大なことだなあ。盛んなことだなあ。天照大神が我々の仕事を助け
ようとして下さる」と言った。ということは、アマテラス(天照大神)が遣わした鳥というこ
とになる。
『古事記』は「天の神の御子よ、これより奥にはおはいりなさいますな。悪い神がたくさんおり
ます。今天から八咫烏をよこしましょう。その八咫烏が導きするでしようから、その後よりお
いでなさい」という高木の神の命令を神武帝に教えたと記している。
『旧事本紀』によれば「大国主命(大己貴命)と多紀理姫との間に生れた建角身命は太陽神饒速
日尊の使神として、神武天皇を熊野に出迎えたので、記紀神話で、八咫烏にされてしまっている。
昔から中国では烏は太陽に住む鳥、あるいは太陽のお使いとされているためであろう」と記し
ている。
よく読んでみると、まったく意味不明の文章である。神武帝を出迎えたら、どうして八咫烏に
なるのか、中国では烏は太陽に住む鳥、とあって、高句麗がどうしてすっぽり抜け落ちてしま
っているのか、などの説明がなく、文字明瞭、意味不明の文章というものである。
『歴史読本 神社に秘められた謎の古代史』(新人物往来社2002年11月号)に、出羽修験
の伝承があって、そのなかに、片羽が八尺ほどもある三本足の大烏が飛来して能除太子を山中
に導いた。「羽黒」という名称はこの大烏にちなんで太子によって名づけられた。…三本足の
大烏がここに登場するのは明らかに熊野修験の影響だろう。もちろん熊野の山中で行きづまった
神武天皇の一行を導いた八咫烏を背景にしている。能除太子にまつわる伝承そのものは中世の
あたりまでしか遡れないらしい、とある。(韓登)
統一日報 2011/09/28
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=63994&thread=01r05