【韓国】「柳寛順、金九の名誉毀損の疑い」金完燮(キム・ワンソプ)罰金750万ウォン確定[08/01]

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1天の書記φ ★
柳寛順(ユ・グァンスン)、金九(キム・グ)、金佐鎮(キム・ジャジン)など独立活動家らの名誉
を傷つけた疑惑で起訴された作家、金完燮(キム・ワンソプ)氏に対して大法院(※1)は罰金750
万ウォン(約55万5000円)を確定した。
柳寛順と金九への名誉毀損は有罪・無罪が混交したが、金佐鎮とその他の独立活動家に対しる名誉毀
損は全部無罪となった。
大法院1部(主審イ・インボク最高裁判事)は1日、被告人金氏と検察が各々提起した名誉毀損などの
疑惑に対する上告を棄却して原審を確定したと明らかにした。

金氏は2005年、出版物による名誉毀損などの容疑で起訴され、6年目にして判決が確定した。
検察によると、金氏は2003年6月に発刊した「新・親日派のための弁明」で独立活動家である柳寛順
を非難する内容を載せた。具体的な内容は以下の通り。

「柳寛順は暴力デモを主導した容疑で3年の刑を宣告され控訴したが、控訴審の裁判中に検事に椅子
を投げるなど騒動を起こしたため、法廷侮辱罪が追加され都合7年の実刑を宣告され、西大門(ソデ
ムン)刑務所で服役中に死亡したとされている。
 柳寛順の法廷での暴力については、単純に椅子を投げたのではなく検事に大怪我をさせたという話
 がある。
 実際に柳寛順は当時の大多数の男より体格が良く、身長が最低でも172センチ以上あったことが分
 かっている。
 法廷でも幼い年齢に似合わずに暴れ回ったのを見ると、柳寛順はかなり暴力的な女学生であったと
 理解され、彼女が主導したデモも決して平和的なものではなかったと推測出来る。
 柳寛順が逮捕され獄中死するまでの経過は、このように暴力デモ主導者に対する平凡で正常な法執
 行であり、柳寛順は裁判を受け服役してから何らかの理由で死亡した女チンピラである。」

金氏はまた、同年11月に国会で開かれた「過去史真相究明に関する特別委員会」公聴会に供述者とし
て招請され、金九を非難する「親日は反民族行為だったのか」という印刷物を配布した。

「金九が義兵隊長として1896年10月頃に『土田』という日本人を殺した後そのまま帰宅して家に滞在
していたが官憲に逮捕され、仁川(インチョン)裁判所で公判中『明成(ミョンソン)皇后殺害への
抵抗の意味で土田を殺した』と堂々と明らかにした。
 上述の裁判で死刑判決を受けたが、高宗(コジョン)皇帝の命によりその執行が先送りされている
 間に、日帝からの続いた処刑圧力に対抗して脱した。
 国内で宗教・教育活動に尽力し、それから20年以上が経過した1919年3月29日、初めての独立運動
 のために中国の上海に亡命した。
 金九は『閔妃の復讐だ』と言いながら罪のない日本人を殺害した後に中国へ逃避した朝鮮王朝の忠
 犬であり、被害者である土田を殺した後に処罰を逃れるために中国へ亡命している。」

これに地方法院(※1)は2007年11月、柳寛順の部分に対して「暴力デモを主導した」という部分は
虚偽事実として有罪だが、「かなり暴力的な女学生で女チンピラだ」という部分は意見表明に過ぎな
いとし無罪と判断した。
金九の部分に関しては全般的に虚偽事実とし有罪を認めたが、「古い王朝に忠誠を尽くし変化に猛烈
に抵抗した保守反動勢力の代表人物」という部分は論評に過ぎないとして無罪を宣告した。
以後、高等法院(※1)も2008年3月に一部の法的争点を除き同趣旨で罰金750万ウォンを宣告した。
裁判所は当時「金氏の主張は根拠が無く論理的に関連のない事実なので、常識を持った一般人の持つ
独立活動家への評価が阻害される危険性は少ない」と明らかにした。
この外に金佐鎮に対しては「朝鮮時代で言えば、まさに山賊の親分」との表現も名誉毀損でなく侮辱
に過ぎないため無罪、独立活動家一般に対する侮辱容疑も被害者が特定されず無罪と一審二審共に判
決を下した。
そして大法院は上告を棄却し、二審を確定した。


京郷新聞/韓国語(2011/08/01 11:50:42)
http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=201108011150411&code=940301

※1:大法院、高等法院、地方法院
それぞれ日本の「最高裁判所」「高等裁判所」「地方裁判所」に相当