【韓国】『満州モンゴルは朝鮮人の地だった』韓国内外の学界で再び脚光浴びる満州[07/10]

このエントリーをはてなブックマークに追加
1なつあかねφ ★
20世紀初頭、東北アジアで最もモダンだった?
朝鮮人など50以上の民族が集まり、市街地や水洗トイレも
中国の東北工程、中朝経済特区の中心…南北統一後は地理的重要性が増大

「満州」が再び目覚めている。1世紀前は東アジア激動の震源地だったこの場所に対し、再び
各国の関心が高まり、韓国の学界でも熱い話題となっている。

今年5月13日に満州学会が「万宝山事件」80周年学術会議を開いたのに続き、来月にはソウル
大学奎章閣が「満州国の記憶と現在」をテーマに国際シンポジウムを開く。9月には「満州事変
と満州国」を特集する国際学術会議もソウルで開催される。研究書も続々と出ている。最近出版
された『満州映画協会と朝鮮映画』をはじめ、『満州国の誕生と遺産』『満州モンゴルは朝鮮人
の地だった』『満州地域韓人遺跡踏査記』『満州国の肖像』『満州を行く』など、ここ3年の間に
出版されたものだけでも10冊を超える。東北アジア歴史財団は、今年初めに『東北亜歴史論叢』
で満州国時代の人口移動を特集したのに続き、最近『移民と開発:韓・中・日3国人の満州移住
の歴史』を出版した。

■辺境から話題の中心へ
これまで韓国にとって満州は、ぼんやりとした「記憶の地」だった。一時は古朝鮮・高句麗・
渤海と続く先祖の故地だったが、近代以降、満州は「抗日闘争の聖地」としてだけ伝えられて
きた。ところが今、学界はそれ以上の「複合性」に注目している。とりわけ満州の「周辺性」と
「融合性」は、幾人もの学者を引きつける要因だ。19世紀の満州には、漢族・満州族・ロシア人
・朝鮮人・日本人・モンゴル人のほかにも、フランス・ドイツ・ポーランド・ウクライナ・タタール
など50以上の民族、45の言語が混在していた。

http://file.chosunonline.com//article/2011/07/10/613257655584228646.jpg
日本が1906年に設立した南満州鉄道株式会社の特急列車「あじあ号」。蒸気機関車としては異例
の流線型をしていた「あじあ号」は、最高時速134キロで満州を走った。
/写真提供=東北アジア歴史財団

http://file.chosunonline.com//article/2011/07/10/738216976385637934.jpg

ユン・ヒタク韓京大学教授は「多様な民族を吸い寄せるブラックホールであり、欲望が幾重にも
重なった空間だった」と語った。1930年代、朝鮮では大々的な「満州行きエクソダス(脱出)」が
起こった。生きる道を求める開拓移民と、日帝の政策移民が重なった結果だった。40年の時点
で、満州には日本人82万人、朝鮮人145万人が暮らしていた。光復(日本の植民地支配からの
解放)のころ、現地の朝鮮人は216万人に達していた。

知識人や芸術家の間でも、満州行きが流行した。自国での活動に限界を感じた東アジアの文人
たちは、1カ所に集まり「満州文学」という独創的なジャンルを生んだ。韓国映画の先駆者に挙げ
られる羅雲奎(ナ・ウンギュ)・尹逢春(ユン・ボンチュン)も満州で育ち、柳致環(ユ・チファン)・
李泰俊(イ・テジュン)・韓雪野(ハン・ソルヤ)などが紀行文などを残した。満州を素材に朝鮮や
日本で作られた歌謡曲だけでも、500曲(朝鮮110曲、日本400曲)を超える。釜山−満州−北京
を結ぶ特急列車が弾丸のように駆け抜けた場所でもある。

韓錫政(ハン・ソクチョン)東亜大学教授は「満州に渡った朝鮮人の、あまたの縁がこもった現代
史のブラックボックスが、今になって開かれている」と語った。このところの朝鮮族や脱北者の
問題も「満州への関心の復活」をもたらす一助となった。20世紀東アジアのディアスポラ(ギリシャ
語で「離散」)として浮き彫りになり、満州研究は一国史のレベルを超えて国際的・学際的性格を
帯びている。

>>2へ続きます

朝鮮日報 2011/07/10
http://www.chosunonline.com/news/20110710000002
2なつあかねφ ★:2011/07/10(日) 13:01:14.92 ID:???
■モダニズム・近代国家の実験場?
日帝のかいらい国家にして実験国家だった満州国(1932−45)ではその当時、少なからぬ朝鮮人
が官吏・将校として働いていた。最近では、朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領などの満州で
の体験が、韓国の国家発展にどのような影響をもたらしたのかを明らかにする研究も進められ
ている。

満州国の首都・新京(現在の長春)は、市街地・上下水道・水洗トイレなどの面で近代の先端
を走っていた、と韓錫政・東亜大学教授は語る。満州国は、総力戦体制・統制経済・産業・建築・
都市計画・博物館経営・映画・音楽・体育などの面で近代日本の実験場だった。また、満州国
のかなりの部分が韓国や北朝鮮に伝わった。国民儀礼やパレード・講演・映画の上映・運動会・
ビラ・標語など、光復後に韓国社会で極めて一般的になった諸行事は、満州国時代に行われて
いたものだった。

■統一に備え戦略的関心が必要
最近では、海外の地政学者たちも満州に注目している。米国の国際戦略家ジョージ・フリード
マン氏は最近、本紙のインタビューに対し、このように語った。「私は常に、韓国が統一され
た際、満州がどうなるかを気にしている。中国は内部を統制することに躍起になるだろう」

実際のところ満州は、中国が現在進めている東北工程(高句麗・渤海の歴史を中国の歴史に編入
しようとする試み)の現場であるとともに、中朝国境の経済特区でもある。中国は最近「長吉図
計画」を推進している。吉林省の省都・長春と、かつての省都・吉林、豆満江流域の図們を結ぶ
工業地帯開発計画だ。韓国では構想段階でストップしたままだが、シベリア横断鉄道と韓半島
(朝鮮半島)縦断鉄道がつながる場所も、ちょうどこの満州だ。

東北アジア歴史財団のノ・ギシク歴史研究室長は「昔から、韓半島に隣接する満州は宿命的な
地域だった。今では、歴史の問題ではなく現実と未来の問題。統一以後を考えると、学界だけ
でなく政界・財界も、東アジア全体を融合する地政学的重要性を認識する必要がある」と語った。

■満州・間島・東北3省
もともと満州とは、この地域の民族を指す名称だった。後金を建国したヌルハチ(清の太祖)
が国名を「満珠」に変更し、民族名も女真から「満洲」に変えたことで、初めて歴史の中に登場
した。この地域にある遼寧・吉林・黒竜江の3省は「東北3省」と呼ばれる。韓国では、間島と
いう名称もよく使われる。19世紀後半、朝鮮人が豆満江以北に渡って農業を始めた際「間の島」
という意味でこう呼んだ。現在この地域には、200万人の朝鮮族が住んでいると推定されている。

全炳根(チョン・ビョングン)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版