【韓国】 殴る夫・打たれる妻〜2世帯に1世帯で「家庭内暴力」、暴力被害、先進国の5倍[05/24]
【日露】サハリン在留邦人 終わらぬ苦難[06/06]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1118069088/ サハリン在留邦人 終わらぬ苦難
終戦時まで日本領土だったロシア・サハリン州(旧樺太)南部には「帰りたくても帰れなかった」約二百二十人の
日本人が今も残っている。朝鮮人と結婚していた日本人女性は戦後の引き揚げ対象から外され、差別を避ける
ために、日本人であることを隠す苦境に身を置いた。戦後六十年、深い傷は癒えていない。 (藤原正樹)
五月十八日、サハリン在留邦人で一時帰国していた木村文子さん(71)=シャフチョルスク(旧塔路)在住=が、
北海道函館市で叔母と五十七年ぶりに再会した。親族が判明したのは今年二月。肉親と生き別れになっていた
木村さんは「会いたかった」と繰り返しながら叔母と抱き合った。
木村さんは一九三四年、函館市で生まれ、祖父と母親らとサハリンに渡った。母親は朝鮮人と再婚し、木村さん
は十八歳で、朝鮮人の電気技師と結婚、三男一女をもうけた。母や義父、夫は他界し、叔母は四八年に日本へ
引き揚げた後、音信不通になっていた。
■通知外されて… 存命者は約220人
終戦時、南サハリンと千島列島には、日本人が約四十万人、朝鮮人が約四万三千人いたとされる。四六年十
二月、「ソ連地区引揚米ソ協定」が結ばれ、日本人の大半は帰国した。が、朝鮮人の妻や養子になっていて引き
揚げ通知の対象から外され、「残留が確認された日本人は推計四百−五百人」(厚労省中国孤児等対策室)。
うち七割が女性といわれる。残留邦人を支援するNPO法人「日本サハリン同胞交流協会」(東京都渋谷区)は、
現在の在留邦人は「百人以上が亡くなり約二百二十人」という。
木村さんのように、韓国・朝鮮人と結婚した日本人女性は多い。樺太は終戦後の八月二十二日まで、旧ソ連軍
との地上戦にさらされた。ソ連兵の性暴力を恐れ、韓国・朝鮮人との結婚を急いだ例もみられる。
永住帰国している須田百合子さん(69)=北海道江別市=は「終戦後、敗戦民族として自信を失った日本人より、
朝鮮人の方が生活力があった。長女を年長の朝鮮人に嫁がせ、家族を養ってもらう日本人が多かった。生きて
いくためには、選択肢はなかった」と振り返る。終戦後、反日感情が高まり、残留邦人は激しい差別にさらされた。
須田さんは塔路で生まれた。朝鮮人夫妻に里子に出され、「金順愛(キムスウネ)」名で育てられた。十五歳で
写真店を経営する十一歳年上の朝鮮人と結婚。「生粋の朝鮮人と結婚したと思っていた」夫が、須田さんの素性
を知ってから激しい暴力が始まった。「『日本人妻で恥をかく』とむちゃくちゃな乱暴を受けた。翌年生まれた長男
にも日本人の血が入っていると暴力を振るった」
ユジノサハリンスク(豊原)に今も残る加藤波子さん(75)は、七歳年上の朝鮮人に「結婚しなければ兄貴を殺す」
と包丁を突きつけられ、十七歳で結婚したという。永住帰国している近藤孝子さん(73)=東京都三鷹市=は加藤
さんと親交があった。「波子さんの夫は子どもにアイロンを押しつけて大やけどを負わせたあげく、売り飛ばして
しまった」と振り返る。
(略
第65題在日一世の家庭内暴力
「うちのお母ちゃん、毎日お父ちゃんに殴られてた。血が天井につくぐらい殴ったこともある。ほんまやで。
今でもその跡があるんやで。」
「父親は母親をしょっちゅう殴っていた。それも棒で殴るんや。お膳をひっくり返すのもしょっちゅうやった。
僕が高校の時、二階の階段の上から母親めがけてテレビ投げたことがあった。そのとき僕もさすがに、
ええかげんにやめろや、と父親をとめたら、ひっくり返ってしまった。それから父親はおとなしくなって、
殴ることはなくなった。僕のいない時に殴ることはあったみたいやけど。」
「あそこの主人はええ人やったで。一回もヨメさん殴ったことないんや。ほんまにヨメさん大事にしてた。
うちらの国では珍しいで。」
これらは在日一世のおられる家庭の状況を聞いた時の一コマである。
在日一世の家庭内暴力(夫による妻への暴力)はすさまじいもので、日常的に在日と接しない日本人には
ちょっと想像ができないものがあると思う。
数年前に殴られたために今なお足を引きずっているという一世の女性を見たことがあった。また昔頭を
殴られたところが今も凹んでいるという話を聞いたことがあったし、髪の毛を掴んで振り回したためにそれが
すべて抜けてしまい、大きく禿げてしまったという女性の話も聞いた。
ただし上述のように、全く暴力のない家もなくはない。しかしそれがあまりに目立つくらいに、在日一世の
家庭といえばすぐに暴力をイメージしてしまう。今はさすがに一世もお歳を召しておられるので、派手な暴力
を聞くことはなくなった。
日本という厳しい差別社会での苦労、悔しい思いを妻にぶつけているのだ、という解説を読んだことがある。
日本という異国の地で、本来安息の場であるべき家庭で繰り返される夫の側の妻への感情の爆発は、
はたしてそのような解説で済むものなのかどうか。
総じて在日一世の女性たちは夫の暴力だけでなく、日本社会における民族差別、同胞社会における女性差別、
文盲、貧乏、不安定な仕事と生活、夫の酒乱や博打、女遊び‥‥‥と何重もの苦労を生き抜いてきた。
(追記)
拙著『「民族差別を闘う」には疑問がある』の一節の再録。一部改変。
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuugodai 佐高信・辛淑玉(対談)
『佐高信の日本国憲法の逆襲 第2回 この憲法、日本人にはもったいない!』
月刊「世界」(岩波書店)2000年2月号
佐高 二世と三世の違いでいうと、朴慶南でも梁石日でも、父親がもの
すごい暴君だったようですが、あなたの場合は少しは違う?
辛 いや、朝鮮人の親の多くは暴力的ですよ。その暴力的なものはどこ
で培ったのかというと、儒教の文化に植民地体験が加わったことで
す。これは朝鮮人の家だからというより、暴力はより弱いところに
移行していくわけです。日本の社会から抑圧された朝鮮人の男たち
は、朝鮮人の女に対してよりひどいことをする。子どもに対して高圧的
になる。お母さんたちはそこでまた子どもを抑圧する。それがあたり
まえだと思ってきて、初めて日本の学校に行ったときに、親に殴られた
ことのない子がいて腰が抜けるほど驚いて、何て日本人は幸せな
生き方をしてるんだろうと思いましたね。これは親の世代で終わって
いるかというと違います。日本の在日社会に脈々と生きつづけている
暴力の文化(=支配の文化)があるのです。差別と共存しているのです。
現代コリア コラム 孫正義氏と民族差別
佐藤勝巳(現代コリア研究所長)
孫氏の場合、日本人幼稚園児が民族差別意識を持っていないと成り立たたない話だ。だが、
それを証明することは至難なことだと恩う。過去、民族差別間題に関わった私のささやかな体験
からすると、彼らが出自を隠す大きな理由は、自分の両親や祖父母などの言動が、日本人の
友達のそれと著しく違うことである。
在日の子供たちの父母の言動は、朝鮮半島では珍しくないことであっても、日本あっては異質の
ものだ。在日の子どもたちは、いやでも自分の両親と日本人のそれと比較することになる。一例を
挙げるなら、多くの在日韓国・朝鮮人二世たちは、父親から「暴力」を振るわれた経験をもっている。
同世代の日本人の父親は、例外はあるにせよ子供に対してしばしば暴力を振るう人はまずいない。
http://gendaikorea.com/199611_satou.aspx
【米国】 怒りを我慢できず、暴力をふるう韓人男性〜怒り調節する方法学べ[09/03]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1283527915/ 怒り調節(アンガー・コントロール)プログラム公認講師のパク・ヘヨン相談者は「韓人男性の場合、
怒りを調節できない多血質気質を暴力と児童虐待として表出する場合が多かった」として「結局、
怒りを誘発する動機に接する時、これを受け入れる認識教育が不足しているため」と説明した。
パク相談者は「韓人の場合、家庭問題、職場内対人関係、各種仕事の処理で葛藤を生じた場合、
直ちにかんしゃくや怒りを認識する場合が多い」として「怒りを適切に表現する方法を習うことがで
きなければ、攻撃的な言葉や行動が簡単に現れる」と繰り返し怒り調節の重要性を強調した。
朝鮮人は本当に怒ると、正気を失うといえるかもしれない。
自分の生命がどうなってもいいといった状態になり、牙のある動物になってしまう。
口のまわりにあぶくがたまり、いよいよ獣めいた顔つきになる。
遺憾なことだが、この怒りの衝動に我を忘れるといった悪癖は男だけの独占ではない。
朝鮮の女はすさまじい凶暴さを発揮する。女は立ち上がってひどい大声でわめくので、
しまいには喉から声が出なくなり、つぎには猛烈に嘔吐する。
精神錯乱に陥るこうした朝鮮の女たちを見るたびに、私はどうして
脳卒中で倒れずにすんだのかと不思議に思う。
どうも朝鮮人は、幼少のころから自分の気分を制御する術を学ぶことがないらしい。
子どもは親を見習って、自分の気に入らないことがあると、
まるで気が狂ったように暴れだし、結局、我意を通すか、
それとも長くかかって鎮静にもどるかそのいずれにか落ち着く。
「朝鮮亡滅亡」 ホーマー・アルバート
朝鮮人は一般に、頑固で、気難しく、怒りっぽく、執念深い。
それは、彼らがいまだ浸っている半未開性のせいである。
異教徒のあいだには、なんらの倫理教育も行われていないし、
キリスト教徒の場合も、教育がその成果をあらわすまでには時間がかかる。
子供たちは成長した後は、男も女も見さかいのないほどの怒りを絶え間なく爆発させるようになる。
しかし不思議なことに、にもかかわらず軍隊は概して非常に弱く、
彼らは重大な危機があるとさえ見れば、武器を放棄して四方へ逃亡することしか考えない
シャルル・ダレ『朝鮮事情』