【韓国】 近肖古大王は東アジアの大征服王〜『多文化時代の歴史教育と新しいリーダーシップ』関連セミナー開催[05/23]

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628<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/10(金) 21:39:12.07 ID:TXzxC4Yv
>>627
> ただ飛鳥時代には天皇の周りに半島系の人間が大勢いたようで、
どこに書いてあるの?
629<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/10(金) 21:45:56.53 ID:r/T+zUCF
>>586
元冠の時の蛮行を忘れて、謝りもしてない朝鮮が何言ってるんだという感じだが。

相手の感情が事実に基づいて正しいという観点は間違いじゃね?

火の不始末で二階から出火し、消防が消し止めた後に、
一階の家財道具が濡れてしまったと怒ってる人を見て、
是とするか?
630<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/10(金) 21:49:22.14 ID:IoK0PHZN
坂上田村麻呂は大陸系で西アジア系の顔付きだったとの言い伝えがあったり、当時の貴族の三分の一は土着、三分の一は帰化人の記録があったり、ネットで色々みたが未だによく解らない。
631<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/10(金) 21:52:36.26 ID:VMI8EyOe
>>607

ロシアには朝鮮人そっくりな人たちがシベリアにたくさん住んでいる。

ヤクートとかサハ人だ。それをエベンキと言っているの?

632<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/10(金) 21:55:48.16 ID:IoK0PHZN
新撰しょうじろく、とか言ったような。漢字は忘れた。
633<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/10(金) 22:10:05.32 ID:r/T+zUCF
>>627
百済:くだら
新羅:しらぎ

韓国人はもう読めないじゃん。
日本語の読みは正しいと思うわ。

大和、陸奥みたいに、地名が普通とはかけ離れた発音で残ってるし。
634<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/10(金) 22:23:44.85 ID:VMI8EyOe
>>627

奈良は、日本語で広く平らなところと言う意味だよ。
いまでも平らにすることを、ナラすというだろう?
日本の文化文化は縄文時代から連続している。
飛鳥奈良時代と現代は同じ日本語同じ日本人の連続した同じ文化だよ。
635<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/10(金) 22:43:51.19 ID:TXzxC4Yv
>>630
>記録
一次資料は何でしょう?
636<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/10(金) 22:48:41.77 ID:IoK0PHZN
新撰姓氏録でした。
637<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/10(金) 22:49:47.41 ID:ZhkrJv/B
■17世紀初頭、日本列島は3000万人の人口…中国の人口は6000万人…朝鮮半島の人口は300万人■


▲長時間討論の中で、聞いていてえっと驚くような主題や、あぁそうだったのかとあらため
て納得するような内容が幾つかあった。1392年に高麗が滅亡して李氏朝鮮が成立した。それ
以後の李王朝の実在は動かない。そして、歴史的に現在の韓国人とつながっているのが李王
朝の国家と国民であることは疑いを容れない。

しかしそれ以前の半島の歴史は正確にはなにも全くわかっていないのだ、と金完燮氏は
言うのである。韓国人は、だから自らの民族のアイデンティティに大きな不安を抱いている、
と。

▲通説としては、676年に新羅が半島を統一したというような話になっているが、そういう
歴史的展開はぜんぶ現在の大陸東北部で起こった出来事であって、半島の歴史ではない、と
いうのである。

古代史に関する彼の大胆な「仮説」は、27日にあらためて聴くことになっている。
ともかく、半島における高句麗、新羅、百済の三韓の葛藤劇もことごとく歴史的実在が疑わしい。

要するに1392年より以前の半島の歴史で確実なことは何もわからないので、韓国人の歴史への
自信喪失は根が深いのだという話である。

▲17世紀初頭、日本列島には3000万人の人口があった。同じ時期、あの広大な中国の人口
はわずか6000万人であった。(確かに、中国の人口が一億を越えたのは17世紀後半の清王
朝の成立より後のことである。)
朝鮮半島の人口は、当時300万人程度であった。

朝鮮人からみて日本列島はすでに当時から人口の多い「大陸」であり、一つの大きな「文明」
であった。

今のように島国の日本というイメージではなかった。朝鮮半島は二つの「大陸」にはさまれ
ているという自己認識であった、と。


■17世紀でさえ朝鮮半島の人口は300万人程度だそうだ。要するに食料生産性が
低いということです。こんな程度の人口では古代中国の帝国と戦争などできなかった
だろうね。

638<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/10(金) 23:02:18.15 ID:Twkj960u
>>630
三分の一が土着で、三分の一が渡来なら、
残り三分の一どこ出身なんだよ。
639<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/11(土) 00:01:54.91 ID:Ock/tjTe
残り三分の一は天皇家一族だったらしい。
640<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/11(土) 00:08:05.96 ID:L+1ybuM3
天皇っていう軸がなかったら、
こんな大嘘も一歩間違えば真実になってたんだろうな。恐ろしい話よ
641<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/11(土) 00:50:47.83 ID:Ock/tjTe
最近は半島系の人間の努力によって、渡来人という言い方が定着してきたが、私は昔のように帰化人が適切な気がする。
642<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/11(土) 02:06:24.89 ID:WDeayGJ5
>>641
どっちにしても、帰化人って有名なのは中国からが多いから。
半島は余り話題にならないよね。
643<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/11(土) 12:29:39.15 ID:1MPe5qDj
帰化人は天皇陛下を聖帝と尊んで帰化したのだから、
渡来人などと自称するのは不敬にあたる。
罰しないとな。
644<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/11(土) 12:44:33.28 ID:7T0z6ZDW
カメハメハ大王の足元にも及ばんなww
645<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/11(土) 13:12:37.50 ID:Ock/tjTe
いわゆる渡来人史観というのは、アメリカ新大陸とヨーロッパと同じように、列島と半島を見る滅茶苦茶なものだ。
646<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/11(土) 13:13:51.12 ID:AzCQYZgW
>百済は多文化社会の良いモデル
その多文化の百済を滅ぼした文化レベルの低い野蛮人の末裔が今の韓国なんだよな
647<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/11(土) 13:41:44.09 ID:Ock/tjTe
今のマスコミは渡来人といい、併合を植民地支配と言う。マスコミには半島系の連中が多いらしいが、困ったものだ。
648<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/11(土) 13:59:39.39 ID:oFypb+n/
■朝鮮人が認めない歴史的事実一覧

・弥生人が長江流域から稲作とともにやってきた百越系民族であること(稲のDNAによる証明)
・半島南部の先住民が倭人(弥生人=百越系民族)であること( 半島南部考古学的遺物=九州北部遺物)
・新羅の建国時の宰相(瓢公)が倭人であり、王家の一つ昔氏が倭人系統であること。
また始祖の朴赫居世についても倭人説があること(瓢=ひさご・ひょうたん=朴=半島南部古語)
・百済、新羅が大和朝廷に対し従属的地位にあったこと
・大和朝廷による伽耶地域の支配(半島南部における多数の前方後円墳の存在)
★・半島における文化的独自性の欠落(あらゆる分野での古典の不在)→事実のねつ造,文化の 掠奪
・常に某かの国の属国として歩んできた歴史
・姓が漢族のものであること
・朝鮮征伐が日本と明との戦争であったこと(李朝の軍は明の将の指揮下に入り、和平交渉も日本と明の間で行われている)
・朝鮮通信使が実質的に朝貢使節であったこと(琉球の江戸上りと同じ)
★朝鮮にないものが三つあって、それは羊と車と針だ(1805年鄭東愈の著書)
  それは木を曲げる技術がなく樽・車輪が作れなかったという事実。
・李朝には商店がなく闇市しかなかった。磁器に塗る顔料がないため赤絵の壺もなし。
・固有語の語彙が乏しく、また日本のように字訓という制度的保証がない状態ですでに
 語彙のおよそ7割が日本漢語であること(学術的語彙は9割が日本漢語)
649<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/11(土) 14:37:15.30 ID:9Pfte+yL
朝鮮民族というのが形成されたのっていつから?
650<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/11(土) 21:11:09.25 ID:haLp5obq
シベリアの、ギリヤーク(ニヴフ)とか
ヤクーツク(サハ)などが朝鮮民族と近いのでは?
651<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/14(火) 00:41:27.43 ID:uwaiRfYp
>>447
詳しい人どうも有難うございます。
宮崎市定説の一番おかしい(と思われている)点はどこでしょうか。
652<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/14(火) 00:55:48.88 ID:5VriMDsc
>>641
京大の上田正昭なんかが渡来人書き換えを先導。
昔は『渡来人』なんて本も出してるのに。
長年の活動で日本の歴史教科書の書き換えが済み
去年だったかに韓国政府は上田に民間人最高勲章を下賜。
653<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/14(火) 01:11:06.97 ID:iy885xaa
ビジョンっつーかファビョン
654<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/14(火) 01:15:38.71 ID:NDqtzF4G
韓国は謝罪と補償をしないと
655<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/14(火) 03:18:28.81 ID:uwaiRfYp
上田正昭って自分自身は、昔の中公新書から帰化人とかいう題名の本を出版してなかったっけ?
確か今、韓国の大学で教えているんだよね?
656<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/14(火) 10:11:51.74 ID:2phAl+9M
そういえば、芸人の上田ってO2bだった。テレビバラエティー番組でやってた。
657<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/15(水) 08:19:18.11 ID:svZWda0U
朝鮮にも渡来人はいたのに、なぜ無視するのだろう?
658<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/15(水) 08:21:45.49 ID:svZWda0U
>>649
>朝鮮民族というのが形成されたのっていつから?

どうも「朝鮮民族」という単一民族が形成されたのは、思っていたよりずっと遅くて、12世紀ごろ
になりそうです。この民族は、現代でこそ純血主義とかなんとか言っているが、この民族の形成
過程は、その真逆の位置からスタートしている。芸はないけどウィキペディアから。

ウィキペディア:朝鮮民族 歴史
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%B0%91%E6%97%8F#.E6.AD.B4.E5.8F.B2

 朝鮮民族は、西暦元年前後に朝鮮半島に南下してきたグループがその起源である。その後、新
羅を建国し、満族の系統に分類される多民族国家である百済・高句麗などの夫余・ワイ系国家を
打ち破って、半島全域に分布を広げた。
 古代には、朝鮮では国を割いてまで秦の亡民の建国を許していた。「陳勝などの蜂起、天下の
叛秦、燕・斉・趙の民が数万口で、朝鮮に逃避した。(魏志東夷伝)」「辰韓は馬韓の東において、
その耆老の伝世では、古くの亡人が秦を避ける時、馬韓がその東界の地を彼らに割いたと自言し
ていた。(同前)」とある。多様な経路からの渡来人が多く、朝鮮半島中・西北部には、楽浪郡、真
番郡、臨屯郡、玄菟郡という植民地漢四郡が置かれた。漢の植民地だった時期には漢族が移住
して土着化した。東北部には、高句麗人、渤海人、女真人など、ツングース民族の流入が相次い
だ。
 中世のモンゴル人の支配時期には混血が進み、その前後に中国人との混血も進んで、ほぼ現
在の朝鮮民族と同様の民族が成立する。朝鮮民族が半島全域に勢力を伸ばしたのは7-8世紀頃
である。
 高麗時代前期には漢族などの異民族が朝鮮に帰化し、その数は23万8000人余りに達する。京
仁教育大学校教授朴チョルヒは、「韓国の社会教科書が過度に民族中心的に叙述され、渤海人
や漢族から帰化した人々の存在と文化的影響に対し教科書は沈黙している」と批判している。
 こういった成立の中で、現在の民族意識が確立したのが12世紀頃である。三国時代(百済・高
句麗・新羅を指す)から民族集団としての歴史は受け継がれていたが、12世紀に入り『三国史記』
の編纂や民族の啓発が活発となる。12世紀後半には、現在の民族としての自己独自性の熟成と
遺伝子的な一致がほぼ完成された。


ウィキペディア:朝鮮の歴史 中世の朝鮮半島
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2#.E4.B8.AD.E4.B8.96.E3.81.AE.E6.9C.9D.E9.AE.AE.E5.8D.8A.E5.B3.B6

 高麗時代前時期にかけて朝鮮に異民族が帰化した数字は23万8000人余りに達する。帰化した
漢族は国際情勢に明るく、文芸にたけていて官僚にたくさん進出した。帰化した渤海人は契丹との
戦争に参加して大きい功績を立てた。崔茂宣に火薬製造技術を伝えた人物の李元も中国、江南
地方出身帰化人である。帰化した女真族は北方情勢を情報提供したり城を築いたり、軍功をたて
て高位官職になった者もいる。李氏朝鮮を建国した李成桂は東北面出身でこの地域の女真族を
自身の支持基盤とした。開国功臣だった李之蘭はこの地域出身の女真族指導者として同北方面
の女真族と朝鮮の関係を篤実にするのに重要な役割を担当した。李氏朝鮮時代、同北方面の領
域で領土拡張が可能だったことは女真族包容政策に力づけられたことが大きい。
659<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/15(水) 11:42:51.31 ID:9x9iIns7
まあ万葉集や万葉仮名で書かれた出土物が今でも十分意味が通じる国と、古い文献がさっぱり読めない国が
同じなわけないじゃないか。
日本は帰化人がいくらやってきても日本語を喋ってたんだよ。一方朝鮮はそういうわけではない。
660<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/15(水) 16:28:26.07 ID:0t/TTnYM
>>659
「古い文献がさっぱり読めない国」と書かれて、「Lingua Franca」という英語を思い出した。
中世の新羅末期高麗初期は複数の民族集団が入り乱れて混住し、お互いに意思疎通する
だけでもおおごとだったんだろう。いまだに中世朝鮮語は復元不能だし。当時の朝鮮半島の
言語状況にもっとも近い国は、現代のインドだろう。公用語(指定言語)だけで22、方言を数
え上げれば2000近くある、とんでもない国だ。連邦共通公用語はいちおうヒンディー語だけ
ど、分からない人にとっては分からない通じない。
だからインド人は結局(植民地時代以来の)外来語の英語でコミュニケーションをとっている。
インドのアッパークラスはたいがい英語が達者だし、高等教育は英語で学ぶかイギリスなど
英語圏の大学に留学している。
ここで「ヒンディー語」を「高麗(朝鮮)語」、「英語」を「中国語」と置き換えれば、中世朝鮮半島
の大づかみな言語状況になるはずだ。
(リンガ・フランカは「普遍語」とか「商用共用語」と訳されています。それに、高麗時代の古い
文献は数が減ってしまったが全く残ってない訳じゃない。読めないというより現代の韓国人が
「読まない」のじゃないかな?面白そうなのに。)
661<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/15(水) 20:10:20.81 ID:9x9iIns7
>>660
朝鮮人が属する氏族で固まるのは、もしかすると昔は氏族が違うと言葉が通じなかったのかもな。
662<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/16(木) 01:14:49.62 ID:Yb0O0pPo
>>658
もっと遅いんじゃないの?
15世紀ぐらいにも女真人を相当数吸収しているはずだけど。
>>660
規模も普遍性も全く違うけど、モンゴル帝国のLingua Francaがペルシャ語だった事情のようなものなの?
663<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/16(木) 21:47:33.58 ID:5znOtIGE
>>662
>>>>658
>>もっと遅いんじゃないの?
>>15世紀ぐらいにも女真人を相当数吸収しているはずだけど。

朝鮮王朝第4代国王世宗の六鎮設置(豆満江方面併合)のことでしょう。韓国人には人気のある
王様で、イージス艦の艦名にまでなったけど、あの辺は高麗時代に併合した地域に比べて、もと
もと人口密度が低い。それに標高が高くて気温が低く、川が凍る地域のはずだ。平凡社の『韓国
歴史地図』(韓国教員大学歴史教育科著、吉田光男監修)をぱらぱら見た限りでは、吸収できた
女真族の数は限定的だと思われる。
ただし、たとえば高麗王朝実録など、第一次史料が失われた現代では、あくまで想定でしかない。
ところが世宗の場合は、朝鮮王朝実録が現代まで残った。事績をかなり詳細にたどることができる。
その違いではないでしょうか。
664<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/16(木) 22:35:44.50 ID:5znOtIGE
>>>>660
>>規模も普遍性も全く違うけど、モンゴル帝国のLingua Francaがペルシャ語だった事情のようなものなの?

モンゴル騎馬軍団とペルシャ隊商隊の連合によって成立したモンゴル帝国と、たしかに似ている
かもしれません。ただ、高麗時代は軍事力を担う民と経済力を担う民が別々ではなかったから、
これもまた限定的影響でしょう。そういう発想は、わたしには思いつきませんでした。
高麗王朝時代のリンガ・フランカが中国語だったということにしておくと、現代知られている事実に
適合しやすい。演繹法ではなく帰納法的に導いた理屈です。

まず、現代朝鮮語には中国語由来の単語が多い。抽象的学術的語彙だけでなく、基礎語彙のレ
ベルでも現代日本語に比べかなり多い。
申維翰の『海游録』(1719年の第9次朝鮮通信使の残した日本紀行の記録)には、ざっくり要約す
ると『日本人が詠んだ漢詩をみると、四声がめちゃめちゃで韻を踏めておらず、朝鮮の子供でもや
らないような文法ミスが山のようにある。』と書いてある。これは逆に、朝鮮王朝時代の貴族(両班)
が、江戸時代の日本人に比べはるかに中国語に堪能だったことの証左でしょう。

貴族が庶民とまったくことなる言葉を用いる、二重言語国家だった国は世界中いたるところにある。
ノルマンコンケスト以降のイギリス(イングランド)だったら、貴族はフランス語、平民は古英語を話し
ている(英和辞典と仏和辞典、2冊並べて引いてみると、同じ単語は結構ある)し、ロマノフ王朝時代
のロシア帝国だと、貴族はフランス語(かドイツ語)、平民はロシア語を話している(トルストイもドスト
エフスキーも小説はフランス語の単語だらけです。)。
高麗・朝鮮王朝時代も、それと似たような状態だったのではないのでしょうか?
665<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/16(木) 23:26:49.77 ID:5znOtIGE
もう1回>>659の提示した「万葉集や万葉仮名で書かれた出土物が今でも十分意味が通じる国
と、古い文献がさっぱり読めない国」に戻ると、日本語と朝鮮語は音韻構造がちがいます。古代
と中世の朝鮮語が現代にまるで残らなかったのは、構造がちがうことに起因するので、そこん
ところはフェアにみないと駄目でしょう。

では、どのくらいちがうのか? 中央公論新社の『世界の歴史』第12巻『明清と李朝の時代』
から抜粋するとこう説明されている。

…ハングルの制定は、朝鮮の文化史上、画期的な出来事であったが、なぜこの時点で独自の
民族文字が制定されたのだろうか。この問題は、言語学的な面と、歴史的な面の、二つの側面
から考える必要がある。
 言語学的な面で言うと、朝鮮語の構造自体が、独自の表音文字を必要としたと考えられる。朝
鮮語の音節の特徴は、日本語と違って、子音で終わるものが極めて多いことである。すなわち、
ひとつの音節が、子音+母音+子音の形をとるものが多いのである。したがって日本語などより
も音節の数がはるかに多くなる。日本語だと100足らずの音節しかなく、一つの音節を一つの文
字で表すことが容易であるが、朝鮮語の場合、音節の数は1万近くになってしまうのである。
 音節の種類がこのように多いので、1音節に一つの文字をあてると、1万近くの文字が必要と
いうことになり、これでは漢字と同じく、その習得や使用がきわめて困難である。漢字を借用して
作られたヴェトナムの字喃(チュノム)などはこの方法によっているが、その繁雑さゆえに、広く普
及しなかった。
 この問題を解決するためには、子音と母音の種類だけ文字を作り、その文字を組み合わせて音
節を表すという方法がもっとも合理的である。ハングルが子音字と母音字から成る表音文字となら
ざるをえなかった理由は、ここに求められる。したがって日本語などよりも民族文字の制定がはる
かに困難だったのであり、その制定のためには、音声学的な緻密な研究を必要とした。
 歴史的な面から見ると、ハングル制定に先立って、さまざまな民族文字が成立していたことが重
要であろう。そのなかでもとくに注目されるのは、モンゴルのパスパ文字である。パスパ文字はア
ジアではじめての体系的な表音文字とされるが、こうした表音文字という発想法自体が、ハングル
の成立に大きな刺激を与えたと思われる。

また、朝鮮半島に未だ残る「モンゴル帝国の影」につきあたってしまいました。
666<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/17(金) 01:46:32.43 ID:4Yzf6M9y
>>663>>664
詳しい解説有難うございます。
「明代女真史の研究」だったか、詳しく書いていたような記憶があるのですが、
なにせ、所詮歴史については無知な素人ですので、図書館で借りてもう一度読んでみます。
モンゴル帝国の歴史を一番正確に伝えているのはペルシャ語で、
当時のユーラシア大陸のLingua Franca、つまり世界語がペルシャ語だったことが分かる、
って杉山さんが言っていました。集史の翻訳頑張って欲しいです。

ところであなたなら、>>651の疑問に答えることができるのでは?
667<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/17(金) 13:54:25.40 ID:JQYBTt9U
>>665
表音文字なんて古代エジプトとか昔からあるから言い訳にならない。
668<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/17(金) 14:08:23.76 ID:OH6LZ0kb
>>665
> 朝鮮語の音節の特徴は、日本語と違って、子音で終わるものが極めて多いことである。
と、
> ひとつの音節が、子音+母音+子音の形をとるものが多いのである。
朝鮮語の説明によくそう書いてありますが、固有語もそうなんですか?
ウリとかナラとか固有語の山にしても子音で終わらない感じなのですが。

> 朝鮮語の場合、音節の数は1万近くになってしまうのである。
ハングルの表記の多くは発音できなかったり、実際には使用されていないという話も聞いたのですが?
669665:2011/06/17(金) 19:40:42.22 ID:WI8UiKsM
>>667
>表音文字なんて古代エジプトとか昔からあるから言い訳にならない。
しかし、ないものはなかったのだから仕方がない。東アジアでは表意文字の漢字が全盛で
それとまったくちがう原理で自国語を表記しようとするモチベーションが沸き起こるためには、
「中国人の中国」(南宋)の滅亡と、イスラム・ヨーロッパのような表音文字圏とダイレクトに
交易し、文化的影響を受けた元朝の出現が不可欠だったということさ。
(少なくとも高麗・朝鮮にとっては)
670<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/17(金) 21:20:37.99 ID:WI8UiKsM
>>668
Q1:「ハングルの表記の多くは発音できなかったり、実際には使用されていない」
書き言葉と話し言葉の乖離は、大なり小なりどこの言語でも発生してます。生まれてから130
年程度しか経っていない口語日本語文体でも、そういう面はある。まして、ハングルが制定さ
れたのは1443年です。600年近く経てば、どんな言語でも多少は変化する。簡単に思いつく
単語だと、「李」が「Lee」とならず、「Ee」と発音したりとか。

手元にある本のまる写しだが、訓民正音制定時に用いられていた字母は初声39字、中声25字、
終声36字。制定当時に表現しうる音節数は39×25×37=3万6075種類!だったそうだ。
(終声が「ない」というケースを1加えるため)
でも現在使用されている字母は初声19字、中声21字、終声27字だそうです。(つまり、19×
21×28=1万1172種類表現できるようです。600年で総音節数が3分の1に減った?)

『なお訓民正音制定時は発音通りに表記することを原則としたが、以後しだいに単語の独立性を
重視する方向に変わってきた。したがって現在の韓国語・朝鮮語では、文字と発音の間の乖離
が相当に大きくなっている。外国人が習得しようとする場合も、この問題で苦労させられる。』と、
但し書きが付いている。筆者自身の苦労が行間から透けてみえます。
たとえば「リエゾン」なんかその典型だろう。朝鮮語のリエゾンは、ハングル表示できない2ちゃん
では説明不能なので↓を見てね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%82%BE%E3%83%B3#.E6.9C.9D.E9.AE.AE.E8.AA.9E

Q2:子音+母音+子音の形をとる固有語は多いか?
申し訳ないけど、詳しいことは知りません。それに「固有語」で指しているのが「古代・中世朝鮮語」
だとしたら、それは>>660>>665で述べたとおり、YESともNOともいえない。残存する歴史史料
が少なすぎるからです。
ただ、一般的に「日本で受け入れられた朝鮮語」は、「和製英語」と同じように、日本語を母語とし
て使う者にとって発音しやすい単語や、原語から音韻を変化させて発音しやすくなるように加工し
てから受容した単語が多いように感じる。空港で聞き流した「韓国人の話すネイティブ韓国語」は
子音がきわめて明瞭かつパワフルでした。
671<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/18(土) 00:19:05.64 ID:4kiDNQi1
>>668
山の朝鮮固有語って?(メッ)だろ。思いっきり子音でおわっとるが。
月(タル)星(ピョル)天(ハヌル)も全部子音リウルで終わってる。
辞書持ってるわけじゃないから固有語がどうのとか断言はできんが。
672<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/18(土) 02:44:54.48 ID:px72txyv
>>670
変化するのはわかりますし、朝鮮語の文化の過程がいやに早いこともわかるんですが、どうも机上の空論みたいな感じなので。
まあ、文字の作り方が1音節で1字という形で作ったので種類は増えますわな。
朝鮮語は漢熟語が多いから、聞いただけだと漢語に影響されるでしょうね。
それも日本語からの借用語が大半だったり。

>>671
山の固有語ってmoiとかじゃないの?
しかし、ネット見てもハングルと片仮名表記ばっかり…
日本語とは音韻体系が全く違うのに、なんで皆片仮名で書くんだろう?
ハングルも表記と発音と違ってるんだから、国際的な発音記号でも使って欲しいわ。
673<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/18(土) 05:16:21.21 ID:jNZYnHDn
>>665
>中央公論新社の『世界の歴史』第12巻『明清と李朝の時代』
の李朝のパートの著者って宮嶋博史だよね。
ハッキリ覚えていないけど、宮崎市定の「宣祖時代の科挙恩栄宴図について」
をそのなかで取り上げて、宮崎の李朝の「科挙」についての考証の鋭さに
感じ入っていたような記憶がある。
この人も確か今、韓国の大学で教えているんだよね。
674<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/06/18(土) 16:04:56.69 ID:DONJZkUT
>>673
その宮嶋博史と宮崎市定の本をいま目の前に広げて、>>666のじつにやっかいな質問をどう
さばいていこうかと思案している最中。宮嶋さんの論考は最終的には>>666の答案から脱落
する見通し。宮嶋博史教授の現在の活動拠点は韓国成均館大。京大東洋史学科卒だから
宮崎市定の孫弟子にあたる。

>>672
韓国は独りわが道を往くというか、一種の「社会実験の国」なんだと見なしている。中国からも
日本からもアメリカからも文物を受け入れてミキサーにかけるとどうなるか?という社会実験。
あの国のあの道(漢字文化圏からの退場脱落)で成果が挙がるかどうかは、数百年後に歴史
家が評価を下してくれる。わたしは、漢字という道具は抽象的概念を簡潔に操作するのに実に
便利な道具だと思っているけど。では韓国と同様の表音文字圏で何の文化も育たなかったか?
そんなことはないわけで、いまは、評価保留だな。
675ペーター ◆4lNzU7j4a. :2011/06/24(金) 01:18:45.64 ID:A8T4x3/R
>>666
もういいかげんに書き出さねばならん。スレがDAT落ちしてしまう。
このスレには「迷える子羊」さんが一人さまよいこんでおられて、畏れ多くも、日本が世界に
誇る中国学の碩学、宮崎市定先生を批判せよ、とリクエストを出してきた。
こんなコメントがプロフェッサーとか現役ドクター・マスターに見つかってしまったら、わたしゃ
まじでぶっ殺されてしまいます(生物学的でなく、社会的にね)。

ほかに誰一人として、こういうコメントにレスをつけようとする者はいなさそうだ。では、浅学
非才を省みず、「迷える子羊」氏と一緒になって、険しい山麓のふもとをさまよう、「牧童」役
を買って出てみましょう。コテハンもつくったことだし(「ペーター」とは、もちろん「アルプスの
少女ハイジ」に出てくる山羊飼の牧童からとりました。原作同様、私も地はガラが悪い)。

あらためて宮崎市定の論文をいくつか読んで、すごい学者がいたもんだと驚嘆した。いま
目の前に置いているのは国書刊行会の『史記列伝抄』(宮崎市定の絶筆のひとつ。中央
公論で井上光貞監訳の『日本書紀』と対になるべく企画されたもの。列伝第一から第十八
まで。初版第一刷2011年3月23日発行)だけど、これがまたすごい。
訳書で新訳が出てこりゃあすごいと思った本はいくつもあるけど(たとえば、亀山郁夫訳の
『カラマーゾフの兄弟』とか村上春樹訳の『キャッチャーインザライ』とか)それに匹敵するな。
1995年に95歳で亡くなったかたが書いたと思えないくらい文体がみずみずしい。(伯夷列伝
など。)没後15年以上経っても、まったく古びてないね。むかし別の訳で読んだ列伝はすり
ガラス越しにボヤッとしたものを見させられたなあ、という感覚だったが、宮崎市定版史記
列伝はクリスタルガラスみたいな透明感があります。

(もともと史記列伝とは、古代中華世界の伸びやかさを後世によく伝える作品で、史記列伝
が球速150キロの剛速球だとしたら、後世の四六駢儷体とか唐宋八家文とかは110−120
キロくらいのふにゃっとした変化球みたいな文体、という関係です。)

言い訳が長くなった。先に進もう。
676ペーター ◆4lNzU7j4a. :2011/06/24(金) 02:38:32.10 ID:A8T4x3/R
宮崎市定の『古代大和朝廷』は、「本業」の中国研究に比べれば、もうしわけないけど余芸
のようものです。軽妙洒脱ともいえるし、思いついたことをパッパと書いちゃった感がする。
(「思いついたことをパッパと」書いてそれが一定以上の水準をクリアできる学者なぞ、いま
ではほとんどいませんね。論文の書き方自体が変わっちゃったので。)

そのなかで、「七支刀銘文試釈」と「天皇なる称号の由来について」だけに批判の対象を絞り
込むことにします。どちらも、いまでは歴史学でほぼ引用されることのなくなった論文だから。

学説史の簡潔なまとめは、>>447の稗田朝臣無礼氏がすでにされていて、稗田朝臣無礼氏
の書かれていることで特に問題ないと私も思う。もっとシンプルに書き直すと「わからん。学者
に聞け」ということです。

歴史学と切っても切れない関係である考古学的説明は、>>82>>86の海賊光氏がすでに
されていて、これもまた海賊光氏と同意見です。文字文献を主に扱う歴史学が、考古学的
発見によって旧学説が覆されたことは、過去に何度もあって、このケースでは「非破壊検査」
という文明の利器の進歩によってそれが起こった。どれだけすぐれた大学者の説であっても、
「大王」という文字の刻まれた象眼をもつ刀がみつかってしまった以上は、それを新たな土台
にした、新しい別の学説を組み立てていかざるを得ない、ということ。

最後に残った「宮崎市定説の一番おかしい(と思われている)点はどこでしょうか」の答えは
思いっきりどシンプルに答えれば、

中国での漢字の使われかたと、日本での漢字の使われかたは、ちがう。「ちがうものを同じ
だと仮定したこと」が、この説の弱点です。

中国はたしかに漢字という文字が生まれた母国だ。ただし、日本に伝来したあと、日本では
独自の用法が広まり、独自の進化を遂げた。それは、なぜか?
中国と日本は、異なる社会、異なる文化をもつ国だからです。同じ種子をまいたとしても、育つ
土壌や気候が異なれば、同じ種から別の作柄や色や姿の植物となることがある。
つまり、中国の『説文解字』や『康熙字典』と、日本の白川静三部作(『字統』『字訓』『字通』)や
『新潮日本語漢字辞典』とが、似て非なる関係であるのと同じです。
677ペーター ◆4lNzU7j4a.
付け加えれば、宮崎市定の「天皇なる称号の由来について」の説が「正しい」と仮定すると、
非常に都合の悪い事態が派生してしまう。隋書と日本書紀との記述の間に齟齬がある問題
を解決できない。これは古代日本史マニアの間ではたぶん有名なミステリーのひとつです。

これは、ジェームズ・キャメロン監督が撮った『トゥルーライズ』(True Lies)みたいなお話で
最初のうちは、平々凡々たるセールスマン一家の物語だったはずなのに、それがどんどん
脱線していって、最後にはハリアー戦闘機で橋から人を吊り上げるとか、高層ビルにミサイル
をぶっ放すとか、とんでもない方向に連れて行かれてしまう、そういう類のミステリーです。
(DAT落ちしなければ)機会があれば、ご紹介しましょう。



しかし「迷える子羊」氏は、この程度の説明では、納得してくれないんだなあ。
さあ困った。さあこれからが難所の本番だ。