【中国】 米SNS「リンクトイン」が利用不能に。ツイッター利用の抜け道、米中間の新たな火種の可能性も [02/25]

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1夏髪φ ★
★米SNS「リンクトイン」、中国で利用不能に 当局が妨害か

【シリコンバレー=奥平和行】インターネット上の情報への監視が強まっている中国で、
米有力交流サイト(SNS)「リンクトイン」のサービスが利用できなくなっていることが24日、明らかになった。
米メディアが報じた。ビジネス向けのリンクトインは中国で利用できる数少ない米系のSNSだったが、
監視強化の一環として当局がアクセスを妨害しているとの見方が浮上している。

 北京などでリンクトインのサービスが使えない状態になっており、同社の広報担当者は米メディアの取材に対し、
「中国の一部でサービスが利用できなくなっているのは事実で、状況を調べている」と話した。
当局による妨害については言及していない。

 リンクトインは全世界で9000万人超が利用するサービスで、細かい職歴などを記入して共有するため
米国ではビジネス上の人脈構築や転職などに使われている。
SNS最大手のフェイスブックなど米系のサービスはこれまでも原則として中国で使えなかったが、
リンクトインは制限の対象になっていなかったという。

 ただ、ここへきて民主活動家とみられる人物が運動への参加などを呼びかける手段として
利用を始めていたもようだ。同社のサービスはツイッターと連動させて使うことができ、
ツイッター経由で書き込んだりツイッターに書き込まれた情報を閲覧したりすることが可能。
このため、ツイッター利用の“抜け道”になっており、当局が警戒しているとの見方もある。

 中国のネット規制を巡っては、2010年初めにインターネット検索最大手の米グーグルが
自主検閲の撤廃を求めたことに端を発し、米中両政府を巻き込む国際問題に発展した経緯がある。
中東の政変を契機に中国はネット監視を強める方針を打ち出しており、
両国間の新たな火種となる可能性もありそうだ。


ソース 日本経済新聞 電子版 2011/2/25 15:01
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C9381959FE0E7E2E08B8DE0E7E2E0E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2
2<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/02/25(金) 21:51:54.96 ID:iJVhzEQd
これからは伝書鳩の時代だ!
3<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/02/25(金) 21:53:32.49 ID:eHlfHhM/


 中国 = 中華人民共和国 = 中華共和国 = 中共 

 ようするに 【 中 共 】 のことですね?
4<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/02/25(金) 21:58:25.39 ID:N/ldAaT1
>>3
中国共産党 って知らない?
5<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/02/25(金) 22:01:05.57 ID:5qcWI25X
中国人専用SNSって作ったら儲かるんじゃね
6<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/02/25(金) 22:17:45.98 ID:ckfIn7S+
中国共産党 = 中華人民共和国共産党 = 中華共和国共産党 = 中共共産党 = 中共 
7<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/02/26(土) 23:00:00.53 ID:sX/KGHQa
>>2
中国国内だと食われる危険が高いな
8<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/03/02(水) 09:56:47.74 ID:j85ralUQ
サイパンで生き残った田中徳祐・元陸軍大尉(独立混成第47旅団)は次のような事実を自らの目で
目撃している。
 @「米軍は虐待しません」の呼びかけを信じて洞窟から出てきた婦女子全員が素っ裸にされ、数台
のトラックに積み込まれた。「殺して!」「殺して!」の絶叫を残してトラックは走り去った。
 滑走路に集った老人と子供の周りにガソリンがまかれ、火がつけられた。忽ち阿鼻叫喚の巷と化した
滑走路。我慢ならず我兵が小銃射撃をしたが、米軍は全く無頓着に蛮行を続ける。
 B火から逃れようとする老人や子供を、米兵はゲラゲラ笑いながら火の中へ蹴り飛ばしたり、銃で
突き飛ばして火の中へ投げ入れる。二人の米兵は、草むらで泣いていた赤ん坊を見つけると、両足を
持ってまっ二つに引き裂いて火中に投げ込んだ。「ギャッ!」といふ悲鳴を残して蛙のように股裂き
にされた日本の赤ん坊とそれを見て笑ふ鬼畜の米兵士。
 Cこんなに優勢な戦闘にも拘らず、米軍は毒ガス弾(赤筒弾)攻撃まで仕掛けてきた。
 Dマッピ岬にHり付いた田中大尉は、岩の間に一本の青竹を渡し、それに串さしにされた婦人を見た。
更に自分と同じ洞窟に居た兵士や住民が五体をバラバラに切り刻まれて倒れてゐるのを眼前に見た。
 米軍の残忍非道から名誉と身を守るために「天皇陛下万歳」を奉唱してマッピ岬から太平洋に見を
躍らせた老人、婦女子や、左腕に注射針を刺し、君が代と従軍歌「砲筒の響遠ざかる・・・」を斉唱
しつつ自らの命を断った十余名の従軍看護婦達の最期を田中は見てゐる。


田中徳祐 『今日の話題. 戦記版 第三十二集 サイパン玉砕記』 土曜通信社 (1956年)
田中徳祐 『我ら降服せず サイパン玉砕戦の狂気と真実』 立風書房 (1983年)
田中徳祐 「岡兵団 われサイパン戦に生きて」『丸・別冊 太平洋戦争証言シリーズ(6) 玉砕の島々 中部太平洋戦記』 潮書房 (1987年)

9<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
>>4
何が言いたいの?