【韓国/コラム】見たくないものから目を背けたり、あっさり忘れてしまったりする韓国の姿[02/20]

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723発想の勝利じゅじゅwwwww
日本が米国の黒船により強制的に港を開かされたのは、1853年7月のことだった。
長崎にあったオランダの貿易事務所を通じ、米国艦隊が来るという情報を入手したのは、
その3年前の1850年。ペリー提督が日本に向け出港したという情報を入手したのも、1年前の1852年だった。
しかし1853年7月8日、黒船が浦賀沖に現れたとき、幕府が持っていた武器はわずかに大砲6門、砲弾15発にすぎなかった。
 
結果的に、この事件が日本の近代化を早める契機となったが、当時の日本人にとっては大変な挫折だった。
日本の代表的な歴史作家・半藤一利は、『幕末史』でこのように書いている。
「起こっては困ることは起こるはずがないと信じてしまうことこそ、日本人の悪弊ではないか」

太平洋戦争開戦直前の1939年9月、日本の軍部は「戦争経済研究班」を設けた。
当時の日本最高の経済専門家約20人からなるチームだった。
米国と開戦した場合、どれだけ耐えられるかを研究するのが任務。
1年6カ月にわたる研究の結論は「戦争不可」だった。
「日本の経済力を1とすると、米国の経済力は20.2。2年間は備蓄物資で耐えられるが、その後は到底…」。
しかし、軍部はこの研究結果を隠し、この事実が公開されたのは50年近くたった1988年のことだった。
今年初め、朝日新聞はこの例を紹介し「見たくないものは見なかった」と糾弾した。

こうした文章を読んで感じるのは「ああ、そうなのか」ではなかった。こんな例は日本だけのことなのか。
もしかすると、こうした例であふれているのが韓国の近・現代史といえるのではないだろうか。
日本はむしろ「見たくないことは見なかった、と今でも見ている国」だ。
                                                                            
                                                                            
韓国ではこのところ、「日本を低く見る」傾向がある。
国内総生産(GDP)の200%に達する国債、長期デフレに、限界に達した福祉財政、
米国と中国の間で右往左往する政治リーダーシップ、海外勤務すら避ける若者たち…。
低く見ても仕方がないような点があちこちに見られるのは事実だ。
先月27日には、米国の信用評価機関スタンダード・アンド・プアーズが、日本国債の信用等級を1段階引き下げた。
                                                                            
しかし日本は、そう簡単に底が抜ける国ではない。
日本の政府・企業・個人が海外に保有している資産から、逆のケースを引いた総資産は、2009年末現在で266兆円。
19年連続でトップを占め、2位のドイツの2倍を超えている。ここから日本に流れ込む現金だけでも、年間12兆円ほどになる。
1000兆円に迫る長期債務も、その95%を日本の金融機関や日本人が持っており、他国とは事情が異なる。
1兆ドル(約82兆円)を超えるドル保有高には言及する必要もない。
                                                                            
リーマン・ショック直後の08年末、韓国政府は日本政府に頼み込み、それまで130億ドル(現在のレートで約1兆686億円、以下同)
程度だった通貨スワップ(必要に応じ融通できる資金)の規模を300億ドル(約2兆4660億円)に拡大してもらった。
わずか2年前のことだ。見たくないものから目を背けたり、あっさり忘れてしまったりするのは、韓国の姿なのかもしれない。
                                                                            
                                                                            
記事入力 : 2011/02/20 13:22:24
http://www.chosunonline.com/news/20110220000026