(※以下は抜粋です。全文はソース元にてご確認下さい)
■「在日特権」とは何か
「行動する保守」の“最大手”が、桜井率いる在特会だ。同会が設立されたのは07年。
「もともとは『2ちゃんねる』などのネット掲示板で、保守的な意識をもって“活動”してきた人たちが集まってできた組織なのです」
そう話すのは同会広報局長の米田隆司(48歳)だ。私は10月半ばに、同会本部のある東京・秋葉原の雑居ビルで米田を
取材した。いまは私に「在特会への出入り禁止」を通告しているが、その頃の米田は、クッキーを手土産に部屋を訪ねた私に対し、
終始人懐っこい笑顔で接してくれた。
6畳一間ほどの質素な事務所である。すでに夜の10時を過ぎていた。米田は「会社の仕事を終えて急いで来た」と話しながら、
額にうっすらと浮かぶ汗を拭った。仕事で疲れているだろうに、無理して取材に応じてくれた米田に、私はいまでも感謝している。
「ウチは専従なんていませんからね、取材を受けるのも、活動するのも、みんな仕事の合間を縫って、やりくりしてるんです。
日当を払ってデモ要員をかき集める労組のような左翼団体とは、そのへんが大きく違うんですよ」
手弁当の活動こそ強いのだと、米田は何度か強調した。「嫌韓(朝)」「反中」といった点については、ある意味、米田は筋金入りだ。
「韓国料理の店には絶対に行きません。中華料理も、シナ人の店員がいない店を選びます」
その後、話はネット上の“有志”による「在特会設立」の経緯へと移った。
「中心となって動いたのが現会長の桜井です。彼はその前から東亜細亜問題研究会という勉強会を主宰し、やはりネット上で
活躍していました。それまで日本の近現代史の主流であった“自虐史観”“謝罪史観”といった考え方に異を唱え、歴史の真実に
ついて研究を重ねていたんです」
歴史教科書に記された従軍慰安婦の「悲惨な境遇」など、まったくのデタラメであること。「南京大虐殺」など、虚構そのもので
あること。さらに、「虐げられた存在」として語られる在日韓国・朝鮮人は、実は弱者を装った特権人種であること―これら「歴史の
真実」を桜井は訴え、保守系ネットユーザーを糾合していく。
しかし当初から現在のような「デモ・集会」を中心とする路線を取っていたわけではない。「当初はどちらかといえば、勉強会みたいな
雰囲気だった」と米田も指摘する。その穏健路線を一変する出来事が、その年の夏に起きた。「行動する保守」の先駆者ともいえる
西村修平(61歳)との出会いである。
「桜井はその西村と出会ったことで豹変するんです」とは、ある在特会関係者の言葉である。
「要するに西村から“街宣テクニック”を学び取ったのですよ」(同)
その頃の貴重な動画が、まだネット上に残されている。「河野談話の白紙撤回を求める署名運動」と題された動画だ。これは
1993年に従軍慰安婦への謝罪を表明した当時の河野洋平官房長官の「談話」に対する抗議活動の一環として07年7月8日に
東京・銀座で実施されたものだ。このなかに、署名活動を中止しろと迫る警察官に対し西村が猛然と抗議するシーンがあるが、
そこには、まだサスペンダーも蝶ネクタイもない桜井の姿が映り込んでいる。いまであれば「キミたちは朝鮮人の味方か!」と
怒鳴りまくっているはずの桜井だが、このときの彼はまるで助手のように西村のそばへ張り付き、注意深い視線を向けている。
先の関係者は「桜井はこのときを境に、まるで西村が乗り移ったかのようなアジテーションをするようになった。おそらくは西村の
“激しさ”に感化され、必死になってその話法を学んだのでしょう」と語る。
その後、桜井は日増しに西村ばりの“激しさ”を身につけていく。そして在特会もまた、桜井の変貌に合わせるかのように、勉強会から
行動団体への脱皮を図っていく。
ソース(Yahoo!・G2、ジャーナリスト・安田浩一氏)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110105-00000301-gtwo-soci 前スレッド(★1が立った日時 2011/01/05(水) 20:38:57)
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1294234525/