崔承喜
http://plaza.rakuten.co.jp/img/user/27/01/13702701/22.jpg 16歳のときソウル公演に来ていたモダンダンスの石井漠に師事し内地(日本本土)に渡った。後に独自のスタイルを築き、
日本はもとよりヨーロッパ、アメリカでも好評を博した。化粧品や百貨店の広告にモデルとして採用され、雑誌の企画で
日本を代表する美人の一人に選ばれるなど、当所の代表的なファッションリーダーであった。ピカソやジャン・コクトー、
川端康成等多くの文化人にも支持された。
戦後は夫と共に北朝鮮に移り、舞踊研究所を設立する。1951年、周恩来の支持で北京に舞踊訓練班を設立し、
多くの生徒を指導する。 しかし1967年「ブルジョワおよび修正主義分子」とし粛清され、同年以降夫の安漠・娘の安聖姫
とともに消息不明となった。ところが2003年2月9日に、1969年に亡くなったこと、遺体が愛国烈士陵に葬られ墓碑に「舞踊
家同盟中央委員会委員長、人民俳優」と刻まれていることが公式筋より公表され、「人民俳優」として名誉回復されたこ
とが明らかとなった。しかし、失脚理由や死因は公式発表されておらず、公式発表の没年月日ですら正確な物なのかどうか、
未だに疑問がもたれている。
2008年4月29日に韓国の市民団体民族問題研究所、ならびにその傘下の親日人名辞典編纂委員会より発表された
親日人名辞典の第2回リストに名前が掲載されており、彼らによって親日派であると認定されている。