【韓国】右手に日本刀の李舜臣将軍の銅像、日本海軍発祥の地記念碑とよく似ている 影響を受けた可能性 [12/22]

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163<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/23(木) 20:06:12 ID:kOTR7eCw
わかんないんなら自国の伝統衣装でいいじゃん
164<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/23(木) 21:02:28 ID:esVJNcFr
嫌だ!!!
見た目が格好良い日本の侍や、宗主様の鎧みたいなのが好き好き好き!!!!!

 ↑
まぁ、こういう意見が多かったんだろうなw
165<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/23(木) 21:24:47 ID:bCFiuafO
>>155
それはウソ。戦国時代に来た宣教師があらゆる階層の成年男子が刀を大切に扱うことを
証言している。ヴァリニャーノとかフロイスその他の著書を読めばわかる。
以下参考。

藤木久志氏「刀狩り」
一人前になると同時に、若者たちが自前の刀をもち、共同体を守る責務を自覚するのは、
ごく当たり前のことであったらしい。「刀は武士の魂」などというのは後世の偏見で、もともと刀・脇差は、
自立した男達のシンボルだ、というのが「農民を初めとしてすべての者」に共通の意識であった。

>>156
刀と槍には拳銃と重火器ほどの差はないね。九尺や一丈程度の槍ならば
長めの刀とは相打ちになってしまうという。

『武具要説』
鑓之事
一 横田備中守申分
・長刀など持たる敵を九尺一丈の鑓にて突事は。相打に罷成候。三尺二三寸の刀にても
相打になり候。
166<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/23(木) 21:41:17 ID:B2fA0cXP
公式記録に残る李舜臣は日本と戦うまで主に北方で女真族と対峙する陸戦専門の経歴だが、

日本と戦う時には潮流などの地の利を存分に活用して善戦している事から前半生の不明な期間は倭寇の一員だったとする説がある

倭寇なら日本刀を装備していても全く不思議は無い
167<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/23(木) 21:41:37 ID:2PPvd3dv
右手に刀を持つというのは降伏なのかね。
剣道では非戦闘状態を指すだけなのだが。
168<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/23(木) 21:58:48 ID:A+A1cOEd
異国の着物ったって、日本人だって和服なんてめったに着ないし
銅像は背広でつくったら負けなのか
わけわかんねーな
169<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/23(木) 22:17:53 ID:2+mirw9K
>>165
それはマチガイ。
155では、正確に読んでもらえればわかりますが、もちろん刀は当時もある意味
特別視されていたと言っています。
刀は貴重だったからです。
でも今のような価値観とは違います。
それと、刀と9尺の槍で戦ってとありますが、そんなことは戦場ではありません。
当時でも槍は4から6メートルくらいはあったでしょう。
そんな長めの刀と短い槍なんて条件つけるのはナンセンス。
大体長めの刀ってなんだよ(笑)


170<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/23(木) 22:39:37 ID:LYDNMHp2
そこの「長刀」は「薙刀」じゃないの?
どっちも変換出るだろ
171<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/23(木) 22:41:30 ID:LYDNMHp2
と、ちゃんと読んでなかった
すまん
172<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/23(木) 22:49:31 ID:zkJs5RlC
10年後には、李将軍の朝鮮刀を日本海軍がパクったって歴史になってるだろう。
173<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/24(金) 00:33:57 ID:jZO8N1s6
>>166
あ〜なるほど、元倭寇なら色々と辻褄合いますね。

豊臣秀吉の朝鮮出兵の折に明に近づいて、李朝の連中より有能で重く用いられた
から服装や鎧が明のもので、でも道具は使い慣れた日本刀というわけですね。

そんな人を李朝の連中が快く思うはずもなく、投獄されて殺されかかったのも
ありうる話ですね。

日本と明が和睦した後も戦闘をやめなかったのも、戦後の李朝に居場所はないのを
知っていたから死に場所を求めていたのか知れませんね。
174<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/24(金) 12:36:10 ID:napJ548q
日本だって、天草四郎の銅像つくるとなったらいろいろとわかんないことが多いんじゃないのかね。
首の周りにシャンプーハットつければいいってもんじゃなかろうし。
175<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/24(金) 13:21:28 ID:x7TeY2iL
右手に石斧
左手に猿酒
176<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/24(金) 13:23:22 ID:pMdENTi5
>>174
残念だが天草四郎は絵巻がたくさん残っている。
177<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/24(金) 13:27:13 ID:pMdENTi5
でなぜ>>1がこういう事になるかというと
あまりに小物だった為に誰も記録していないから、
文章にちょこっと出てくるのみ。
日本海軍がのちに引っ張り出してきて英雄化させるけど、
それは創られた英雄だからね。

なので記録がほとんどない。
朝鮮出兵の絵は腐るほど残っているのにね。
178<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/24(金) 13:35:37 ID:h39WRtuS
韓国には、マッカーサーと李の2体の銅像しかないのだろうか?
179<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/24(金) 13:47:56 ID:akwYA8hV
>>178

記紀にしかその存在が記されていない「王仁」もあるよw
180<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/24(金) 14:02:38 ID:Lt0a8ibQ
>>179
www
181<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/24(金) 14:44:20 ID:Fll3U2MT
182<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/24(金) 14:45:30 ID:Fll3U2MT
頭に鳩刺してるし
183<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/24(金) 14:46:38 ID:x7TeY2iL
頭がぽっぽだと・・・・
184<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/24(金) 15:35:46 ID:NGwOXJF8
>>175
嫌なジュリーだな
185<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/24(金) 16:29:53 ID:rfR9oR0z
日本海軍が引っ張り出したという程大袈裟な話でもない

日露戦争の頃には朝鮮ではすっかり忘れ去られていた李舜臣を祀る廟がウルサンにあると知った日本海軍の将校が、

ロシア艦隊との決戦を前に縁起担ぎで参拝したというエピソードを司馬遼太郎が坂の上の雲で書いたら例によって話に尾ひれをつける韓国人が飛び付いただけ

日本人なら敵将であった筈の李舜臣も日露戦争の頃になれば八百万の神様みたいな感覚で縁起担ぎがてら参拝するのは特に不自然でもない宗教観だが、

価値観が一元化している儒教社会で育った韓国人にはこの日本人の心理が全く理解できていない

韓国人にしてみれば自分たちですら忘れ去っていた李舜臣を日本人がしっかり覚えていて霊を祀る廟に参拝したりするのは、

日本海軍が李舜臣の戦術を参考にしたいと考えたからだという妄想にしかならないのだろう
186<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/24(金) 16:49:10 ID:XDFU4H00
元々は下級の武官から司令官までになった叩き上げの人物で、王が敗軍の将として明から援軍くるまでの時間稼ぎに利用されたんだけどな
187<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/24(金) 17:39:06 ID:Ypaskq1E
ちゃんとした研究がなされないと本人も浮かばれないね
188<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/24(金) 18:04:43 ID:94oiEQ4K
竹島泥棒のくせに
189<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/24(金) 18:14:30 ID:kIrMhJjU
まず、標準画像ってのが分からんのだが
190<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/24(金) 19:17:26 ID:rfR9oR0z
江戸時代の日本には朝鮮の役人を描いた絵が残っているから、

それを参考にするのが学術的には一番妥当な対策かもな
191<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/24(金) 19:33:06 ID:napJ548q
チャングムのドラマを参考にすればいいのに。軍人いっぱいでてくるぞ。
192<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/24(金) 19:36:38 ID:x7TeY2iL
>>184
心にトンスル
193<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/24(金) 19:54:21 ID:cxiq+R2J
何でこの像、頭に鳩刺してるの?
194<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/25(土) 11:37:47 ID:ns18uAt8
>>190
おいおい、さすがに李氏朝鮮時代の絵画なら韓国にたくさん残ってるよww
金弘道とか申潤福で検索してみ。
まあ、それらがなかったら日本の着物や鎧を着た両班たちが活躍するような
キチガイじみたドラマが作られてたらかもしれんがな。
195<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/28(火) 01:59:41 ID:KMwx/kK3
日本刀の起源は朝鮮刀だからケンチャナヨ!じゃないのか?
196<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/28(火) 08:11:04 ID:e+US6wG/
>>193
後の鳩山家である。
197<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/28(火) 10:24:23 ID:BK8NA1El
江戸時代に日本で描かれた朝鮮の役人の絵を参考にしたら、

鶏抱えて走る姿が銅像になるのを期待できるよ
198<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/28(火) 15:26:19 ID:9DGrxFGj
李舜臣ってのは南北共通の英雄かい?
今ん所北朝鮮の方が海戦では勝ちまくってる印象だけど、
南朝鮮は銅像の呪いでもかかってるんじゃねーの?
199<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/28(火) 15:31:22 ID:p5eI/VaF
これは完全に日帝が悪いな
生粋の日本人として情けなさすぎる
日本は韓国に対して即刻謝罪と賠償をするべきです
200<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/28(火) 15:33:31 ID:730Hfev5
こいつなんて韓国人最近まで知らなかっただろ、東郷が名前出したって伝承からだろ、それも聞いたのが朝鮮人っていう信用度ゼロの話だしな。
201<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/28(火) 15:40:02 ID:by4uE+PO
東海軍ニダ
202<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/28(火) 15:45:19 ID:V1/13dLh
>>1の兜に付いてるのは鳥でなく房のような飾り
竜鳳門冑でググるべし
203<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/28(火) 15:49:21 ID:Jfc1iZ94
話に尾ひれ付いて雪だるま式に膨らんで実像とはかけ離れた超英雄に祭り上げられてんだろ。
204<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/28(火) 15:51:14 ID:WBnrGa8R
>>197
で、ラグビーとすり替わってフットボールの起源主張に繋がるのか
205<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/28(火) 16:57:46 ID:Or+s3fw5
>>169
おまえさんのカキコにはソースがまったくないなw
しかも武将の持ち槍と足軽の数槍の区別もついてないようだし。
206<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/28(火) 17:03:00 ID:Or+s3fw5
長めの刀ってのは三尺以上だな。以下は長い刀は槍に当てて用いるためだと家康が若い侍に教えている逸話。


『東照宮御実紀附録』
・汝(※注:三尺五寸の大太刀を帯びた伏見彦太夫某)は尺の延べたる刀の利を知るかとあれば。
ただのべかけて敵を一討ちに仕るばかりにて。外に心得候はずと申せば。いやとよ寸の延べたる刀は。
鎗にあてて用ひんが為なり。向後忘れまじと教へ給ひしなり。

あと、それくらいの太刀が使われていたことは朝鮮人も記録しているね。

柳成竜『懲録』(朴鐘鳴・訳 平凡社)

・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。
207<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/28(火) 17:07:41 ID:Or+s3fw5
島津勢が長い刀で竜造寺勢の長い槍を切り払ったという宣教師の報告。

フロイス『日本史』
・彼我の戦備は極度にちぐはぐであった。すなわち隆信勢は多数の鉄砲を
有していたが弓の数は少なく、長槍と短い太刀を持っていたのに反し、
薩摩勢は鉄砲の数が少なかったが多くの弓を持ち、短い槍と非常に
長い太刀を備えていた。
・そして戦闘が開始された。それは熾烈をきわめ、両軍とも槍を構える暇もなく、
手当たり次第に刀で相手の槍を切り払った。薩摩勢は、敵の槍など
眼中にないかのように、その真只中に身を投じ、鉄砲も弾を込める
間がないので射つのをやめてしまった。
208<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/29(水) 07:58:20 ID:iRmxd/QQ
>それと、刀と9尺の槍で戦ってとありますが、そんなことは戦場ではありません。
当時でも槍は4から6メートルくらいはあったでしょう。

宝蔵院の十文字槍は2.7メートル(九尺)
http://www4.kcn.ne.jp/~hozoin/yari.htm

佐分利流槍術も九尺の槍
http://www.nihonkobudokyoukai.org/martialarts/053/
209<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/29(水) 12:06:15 ID:41jH8iBJ
一応北にとっても英雄なのだがあそこは金日成の個人崇拝が最も重要視されるので
過去の人物の比重は低く抑えられているよ
210<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/30(木) 18:38:47 ID:3oNz4T3P
>>202
なんかえらいことになってるw
また、キムチどもが大韓コソ泥精神を発揮してる。
http://blogs.yahoo.co.jp/x_men_go_go/28140954.html
211<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/12/30(木) 19:06:36 ID:pfdDCHbX
>>208
武芸者の話されても
212<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
>>211
だったらソースつきで何か書いてよ。