【韓国】韓国はノーベル賞分野ではノーメダル 先を走る日本が憎いし羨ましい! [12/19]

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1 [―{}@{}@{}-] Korean Monkeys (韓国猿)@動物園φ ★
日本常識問答 <26>科学技術研究者比率は日本が世界1位だ?
チョ・ヤンウク日本文化研究所長

 本格的な大学入試レースが始まる頃ならばいつも感じることだが、私たちの青少年らは特定学科を唯一好む。
もしかしたらそれは青少年らの自らの選択というよりは両親の意かもしれない。人文系は法学科、自然界は
医学科が断然人気を呼ぶことだ。結局、判事検事になって社会的な地位を享受するという出世指向と
医師として豊かな生活を送るという安定指向の表れであろう。

 日本も明らかにそのような傾向はある。しかし私たちとは違って家業を尊く思って、科学分野を決して
疎かにしないという点が大きく異なる。 家業に関してはときおり「日本では何百年受け継がれてきた
ウドン店があるそうだ」という形式の話を聞いたことがあるだろう。(中略)

 本論に入ろう。 日本の科学はノーベル賞受賞者の数字がその水準を語る。100年が流れたノーベル賞の歴史で
日本人初めての受賞者は半世紀が過ぎた後の1949年に出てきた。湯川秀樹という科学者が陽子と中性子の間に
ある中間子の存在を明らかにすることによって物理学賞を受けたのだ。

 しかし初めての受賞以来16年の間日本人受賞者は出てこなかった。 多分敗戦の痕(あと)を洗い落として国を
また立てるのに心の余裕がなかったせいなのかもしれない。以後日本は産業発展と好況で経済大国へ背伸び
したが1970年代末までノーベル賞受賞者はただ2人(文学賞と平和賞は除外)しかさらに出てこなかった。
そうするとすぐに「日本は西洋のアイディアを書き写して物を作る模倣の天才だけのことだ」という皮肉があふれた。

 こっそりとかんしゃくが高まった日本政府と企業らは着実に科学分野に対する投資を継続した。彼らが
前に出したスローガンもまた「科学技術創造立国」、すなわち新しい科学技術で国は起こそうということ
だった。まず科学技術基本法を制定した(1995年)。そしてあたかも経済開発計画のように5年単位で科学発展
計画を立てた。第一次、第二次の10年の間に38兆7千億円を投資した。2006年から始めた第3次科学発展
プログラムでは5年間で約25兆円を一度に注ぐといった。

 世界主要先進国の科学技術研究費を備えた資料もある。米国が断然先頭であった。33兆8千億円。日本は
17兆8千億円で3位であった。ただ2位は単一国家でなくEUであった(以上2006年度統計、日本文部科学省発刊
<科学技術白書(2007年版)> から引用)。だが、科学技術研究者の数字では日本が人口1万人当り64.2人、
労働人口1万人当り122.0人で世界1位という。

ソース:ニューデイリー
http://www.newdaily.co.kr/news/article.html?no=65440
>>2につづく)
2 [―{}@{}@{}-] Korean Monkeys (韓国猿)@動物園φ ★:2010/12/19(日) 20:17:19 ID:???
 全体研究費の10パーセント以上が大学に配当された。大学ではその中の半分ほどを基礎研究分野に、
残りは応用研究分野と開発研究分野に使っていた。これに比べて民間企業らは開発研究分野に全体研究費の
相当部分を使うことが明らかになった。それは大学と企業が互いに調和を作り出して合理的に研究費を使う
という事実を証明してくれた。

 そのように精魂を込めた結果は徐々に現れた。2000年に9番目のノーベル賞を握った日本は2001年、2002年に
三年連続のノーベル賞受賞者を誕生させた。さらに2003年には一度に二人が化学賞と物理学賞をそれぞれ受ける
ことによって長い間の景気低迷で憂鬱だった日本人たちの表情を明るく輝かせた。

 このようになるとすぐに計算早い日本マスコミらはいち早く頭を働かせた。すなわち去る100年のノーベル賞
歴史上特にノーベル賞中のノーベル賞だと呼ばれる自然科学分野の受賞者は米国が200人以上を一人占めし、
相次いで英国とドイツの順だった。だが、2000年以後だけ別に離して計算すれば15人の受賞者を出した米国の
次に日本が4人で英国と一緒に同率2位という自慢だった。その上日本政府は2002年4月に「第2期科学技術基本計画」
というものを発表して「今後50年以内に30人のノーベル賞受賞者を輩出する」という野心に満ちた目標をすでに
立てていてそれこそ夢が現実に目の前に近づいた格好だった。(驚くべきことに計画を立てて10年目となる前の
2008年に3人の日本科学者らが一度にノーベル賞を受けた。本当に妄言ではなかったのか?)

 日本人たちがいばっていながら口にする話題も多かった。化学賞を受賞した国立東京大学の名誉教授は大学
卒業の時成績がびりだったと自ら明らかにして人々を楽しくさせた。かろうじて卒業証書を受けたがその後の努力で
光栄なノーベル賞受賞者になったというひそやかな自画自讃に値した。

 すぐに翌日の物理学賞受賞者に選ばれた人はより大きい話題をばらまいた。たった年齢43才であったその男は
有名大学を卒業して外国留学を経験した‘博士様’でもなかったし、関連学界で名をはせる著名な学者でもなかった。
彼は地方に位置した小さい企業の平凡な研究員に過ぎなかった。ところがノーベル賞受賞理由は決して普通ではなかった。

 “生体内の蛋白質分析法開発で細胞の中で蛋白質がどんな役割をするのか糾明することによって生命工学発展に
寄与した。 彼の研究結果は食品検査と癌診断などに応用されている。”

 その頃我が国では一流企業を中心に海外の有能な博士学位所持者を迎える競争が繰り広げられているという
ニュースが聞こえてきた。社会では博士だけ探して、当事者はひとまず学位を取ったらすべての勉強に蹴りが
ついたかのように本を閉じてしまう風土、それでノーベル賞の 「ノー」の字も取り出すことができないということの
自明さをなぜ皆分からないのだろうか?

 技能工らが手並みを競う国際技能オリンピックがある。かなり長い歴史を持ったこの大会で韓国はメダルをさらいながら
1位の席を守ってきた。それでもノーベル科学賞分野では‘ノー(NO)’メダルの理由があるようだ。何より技術で科学へ
渡る障壁が相変らず厚いという点、そして優秀な人材らが法学科や医学科など目の前の実利も取りまとめる所に
だけ集まるせいという遺憾を振り切ることができない。

 これだから先を走る隣国が憎らしくて羨ましい。