徳川吉宗が八代将軍に就任した際、第九回目の朝鮮通信使が1719年 (享保4年) に来日した。
この使節団の製述官 (書記官) 申維翰 (シンユハン) が 「海游録」 という日本紀行を残しており、
そこに、次のような一文がある。
「淫穢 (いんわい) の行はすなわち禽獣と同じく、家々では必ず浴室を設けて男女がともに裸で入浴し、
白昼から互いに狎 (な) れあう。夜には必ず燈を設けて淫をおこない、それぞれ興をかきたてる
具をそなえて、もって歓情を尽くす。すなわち人びとは懐中に両軸を貯え、華牋 (かせん) 数幅
のそれぞれには、百媚千嬌 (ひゃくびゃくせんきょう) の雲情雨態 (男女交情) を写す (浮世絵の
春画のこと)。また春薬 (媚薬) が数種あり、その荒惑 (心が狂いまどう) を助けるという」
申維翰 『海游録』 (1974) 東洋文庫 p.312
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