【北方領土】スターリン、毛沢東と協議の際、千島列島の主権について強い懸念、「北方領土」に固執 中ソ外交関係文書で明らかに[11/04]
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はるさめ前線φ ★:
スターリン、千島主権に懸念=「北方領土」に固執−毛沢東に伝える・中ソ外交文書
【北京時事】旧ソ連のスターリン書記長が1949年に中国共産党の毛沢東主席との間で
新条約締結について協議した際、千島列島の主権について強い懸念を伝えたことが、
北京で3日に公表された中ソ外交関係文書で明らかになった。
同年の新中国建国により45年にソ連と国民党政府の間で結ばれた中ソ友好同盟条約が破棄されれば、
千島列島の帰属を決めたヤルタ協定の合法性に影響すると見ていたという。
4日付の北京青年報が報じた。
ソ連は、千島列島に北方領土が含まれていると主張しており、
今回公表された文書はスターリンがこれら領土に固執していた証拠と言えそうだ。
中ソ友好同盟条約はヤルタ協定に基づいたものだが、毛は同条約を破棄し、新条約を結ぶため、
49年12月にモスクワを訪問。毛が同月18日、劉少奇副主席に送った電報によると、
スターリンが毛との会談で「中ソ友好同盟条約を変えれば、(ヤルタ協定で決められた)
千島列島の問題に及び、米国が千島を持って行ってしまう。条約は改めなければならないが、
2年後なら可能だ」と語ったという。中国社会科学院の陳之◆(馬ヘンに華)教授は、
同条約がヤルタ会談でソ連の対日参戦の見返りとして、米英が認めた条項を形にしたものだったことから、
同条約を改定すれば、米英に対して千島列島条項修正への口実を与えてしまうことを懸念した
と解説している。
ところが、翌50年1月22日の会談で、スターリンは毛に「ヤルタ協定は放っておけ。
条約を改める立場を取ったからには、最後までやらなければならない」と指摘。
同条約に代わる中ソ友好同盟相互援助条約は同2月14日に調印された。
結局、中ソの新条約調印後、米英はヤルタ協定の改定を言い出さず、
ソ連が千島列島の主権を失うかどうかという問題には波及しなかった。
日本政府は北方4島が日本固有の領土で、千島列島には含まれないという立場を取っている。
時事通信 (2010/11/04-19:42)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010110400866 ※依頼ありました(依頼スレ132、
>>566)
2 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2010/11/05(金) 07:00:09 ID:fyCqpojz
太平洋への出口確保のためだろ
ロシアにはロシアのヘゲモニーがあるってコトだけ
しかし、これ、ニュースなのかい
まぁ、風説流布機関のジジツーじゃしょうがねぇが
シナチョン露助は地球のゴミw
国民が出せ出せ言ってるから一番マシなように編集して体裁を整えるために流出させたんじゃね?
5 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2010/11/05(金) 07:25:33 ID:k7aeyQTo
冬の砲声。「国を守る」とは何? 2010/11/02 20:52
ttp://nari1967.iza.ne.jp/blog/entry/1872923/ 1939年11月26日 この日、タス通信はこんな記事を伝える。
15時45分にフィンランド から7発の発砲があった。
マイニラ付近の砲撃で4名の死者と9名の 負傷者が出た。
これに対し1917年にロシア帝国から独立を果たしたフィンランドはこう反論する。
「国境付近で活動する砲兵部隊は無かった」
この砲撃、実はソ連軍が自軍へ砲撃し、この事件を国際紛争に仕立てたのだ。
ソ連・フィンランド不可侵条約 - Wikipediaは一方的に破棄される。
更に決定的だったのは12月1日 夕方、ソ連内部に
オットー・クーシネン(サインするモロトフの後ろ、スターリンの右)を首班とする
フィンランド民主共和国が樹立される。
無論、傀儡政権だ。
ソ連はフィンランド侵攻の大義名分を得た。
「ドイツ軍は15日でポーランドを占領した。我々は12日でフィンランドを 片付けよう。」
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1266608762/ ソ連軍高級将校はそう言ってこの戦争を開戦当初から楽観視していた。
無理もない。
この時の兵力は歩兵だけで4対1、戦車に至っては200対1だった。
だが、この時、ソ連軍の暗号は解読され、大粛清で数多くの同胞を殺されたフィンランドの共産・社会主義達は
ソ連に味方しなかった。
そして、低脳な指揮、劣悪な補給。マイナス40度の寒波がソ連軍に襲い掛かる。
後に「雪中の奇跡」で知られる第一次ソ芬戦争 - Wikipedia(
冬戦争 - Wikipedia)、継続戦争 - Wikipediaでこの小国は現在の確固たる地位を築いた。
この戦争の経過と史実を日本の学校で教えないのは何故なのだろうか?
と ふと考えることがある。
…
日本とは何の関係もないヤルタ協定など、日ソ間の領土問題・国境問題とは何の関係もない。
7 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2010/11/06(土) 02:16:20 ID:rEUV6n9U
第3インター国際共産主義コミンテルの目標は、世界の共産主義化であった。
ソヴィエトロシアの世界共産主義にとり西方には当事の文明の中心欧州各国があり、東方には
支那と日本があり拡大の障壁となっていた。第二次世界大戦により西方では欧州の東側半分を
奪取し、東方では朝鮮半島の北半分支配と支那の地での国共内戦での共産化に成功したのだが、
そこまでだった。ソヴィエトロシアは、直接的武力侵攻は南北朝鮮、南北ベトナムで当該地の
共産主義者にまかせ、直接的武力を行使しづらい地域では思想戦を展開した。西方では第二次
世界大戦の敗戦国であり、実際に国境を接する東西ドイツが軍事的前線かつ思想戦の前線でも
あった。東方でも第二次世界大戦の敗戦国である日本が支配していた南北朝鮮が軍事的前線で
あったが、思想戦を朝鮮半島で戦っても仕方なく、思想戦の前線は日本列島にあった。
思想戦は、サンフランシスコ講和条約に対して「単独講和」とかのレッテル貼り戦術や「憲法
9条の固持」を通じての日本の軍事的弱体維持と「安保反対」による米軍追い出しによる日本
非武装化=無血占領戦略などで展開された。そして、これら思想戦を補完したのが米国が東京
裁判で開陳した「日本悪玉論」であり、この東京裁判史観を左翼はおおいに利用したのである。
しかし、東西冷戦はソヴィエトの崩壊により終焉し、我が国左翼が展開していたソヴィエト軍
呼び込みによる政権奪取革命戦略も破綻した。もう終わりなのであるが、呼び込み戦略の下地
である「憲法9条固持」とか「日本悪玉論の流布」という手段と運動だけ命脈を保っている。
カタカナサヨク化である。本来のマルクス主義は、労働者である自国民の幸福を追求する思想
であったのだが、我が国サヨクは「ソヴィエト軍呼び込みによる政権奪取革命戦略」という、
他国頼りの考えであったために、自国を貶めることに躊躇がなく、世界的にも珍しい自国民を
蔑ろにするバカな考え方の集団となってしまったのだ。自国を悪し様に罵ることが手段であり
目的化してしまったのだ。
8 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2010/11/10(水) 15:53:09 ID:uKQKQLUz
>>6 ヤルタ密約は戦後、米国が否定、最近も欧州でブッシュが否定してる。
領土確定にヤルタ密約は何の関係も無いと。
ヤルタ会議に合法性なんかあるわけがない
10 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2010/11/10(水) 16:07:25 ID:uKQKQLUz
だが否定されているヤルタをロシアは日本との領土交渉で持ち出して来る矛盾。
11 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:
当時の毛は、スターリン及びソ連の完全な指揮下にあったはず。
懸念なんか言える立場にない。
対日戦もソ連から早くやれやれとせっつかれていたが、怪我したくないから
アメリカが日本を圧倒するまで国民党と小競り合いばかりしていた程度。
毛の立場もソ連内部に反毛の一派がおり、中共内部でも常に不穏な動きが絶えなかった。
それゆえ現在のような密告奨励・人民相互監視みたいな統治を編み出さざるを得なかった
というのが真相。
その状況でスターリンに懸念なんか示したら一発で首が飛んだだろう。