【韓国/歴史】日本軍艦隊を撃破し大勝利を収めた413年前の鳴梁海戦、勝利のカギは「潮流」 当日の潮の流れを再現することに成功[10/31]

このエントリーをはてなブックマークに追加
1はるさめ前線φ ★
413年前の鳴梁海戦、勝利のカギは「潮流」

戦闘当日の正午、満ち潮から引き潮に変わったのを機に一斉攻撃
朝方の満ち潮時には接近を防ぐため砲撃、夕刻の満ち潮時には後退…戦列を整備

 413年前の1597年9月16日(陰暦)、忠武公・李舜臣(イ・スンシン)将軍は鳴梁海戦で、
わずか13隻の船で133隻の日本軍艦隊を撃破し、世界の海戦史に残る大勝利を収めた。
李舜臣の卓越した不退転の姿勢が奇跡のような勝利につながったと評価されるが、
鳴梁海峡の複雑な潮流を正確に読み切った洞察力も、重要なポイントだった。

 国立海洋調査院は21日、鳴梁海戦当日の全羅南道珍島・鳴梁海峡の潮の流れを
再現することに成功したと発表した。鳴梁海峡では、もともと潮の流れが速いため長期観測が難しく、
資料が不正確だった。しかし今回、水平超音波流速計という新しい方法を活用し、
昨年11月から6カ月にわたり長期観測を実施、その結果を基に、およそ400年前の潮の流れを推定した。
李舜臣の『乱中日記』には、潮の流れや戦闘の詳細な時間に関する記録はない。

 鳴梁海戦当日の午前6時30分ごろ、潮の流れが北西向きの満ち潮に変わった。
日本の水軍は於蘭鎮を出発し、この満ち潮を利用して右水営に進撃した。
探望軍からの報告を受けた李舜臣は、11時ごろに鳴梁海峡で日本の水軍を迎え撃った。
しかし、潮流の面で不利な状況にあったため、積極的な攻撃はせず、銃や矢を放ち、
日本軍の接近を防ぐことに力を注いだ、と海軍士官学校の李敏雄(イ・ミンウン)教授は語った。
李教授は、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)史の専門家だ。

 正午を前後して、満ち潮が急に引き潮へと変わり、朝鮮水軍に有利になった。
そこで李舜臣は、午後1時から2時の間に、すべての戦船を一挙に前進させ、日本艦隊を攻撃した。
こうして日本の軍船約30隻を撃破すると、日本艦隊は後退し、二度と接近してこなかった。
この海戦の敗北で、日本軍は西海(黄海)進出の夢を断たれた。

 午後2時40分ごろ、引き潮の速度は最も速い秒速2.7メートルに達したが、6時56分ごろには
再び満ち潮に変わった。李舜臣は、この満ち潮に乗って唐沙島(全羅南道新安郡岩泰面)に後退し、
戦列を整備することができた。李舜臣は当時、鳴梁海峡一帯の潮の流れを正確に把握し、
これを機敏に利用することで、鳴梁海戦を大勝利に導いたというわけだ。

http://file.chosunonline.com//article/2010/10/31/889107971337367521.jpg

キム・ミンチョル記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 記事入力 : 2010/10/31 10:30:20
http://www.chosunonline.com/news/20101031000012