“好き嫌い”は何からできているのだろうか?
食べ物を好きになる。人を嫌いになる。音楽を好きか嫌いか判断する。それは一体どこからやってくるのだろうか?
(中略)
■2つの好きの構造の法則
TwitterやFacebook、mixiで友人を集めるコツは、プロフィールに自分の好きなことをたくさん挙げておくことだ。誰かがあなたを
見つけて、要素にひかれたらフォローしようか、友だちになろうかと思う。人は接点を求める生き物なのだ。
「趣味が同じだから」「話していて似た価値観があるから」「出身が同じだから」など、好きなことや相性の一致を求める。要素は
多い方が好きが強固になる。
ところがひかれあっていても、ささいな“イヤなこと”で、好きの構造がひっくり返ることがある。実例を挙げよう。リエさん(仮名)が
カレとデートに初めて出かけた時のことだ。
「お昼、どうする?」、リエがカレに聞いた。
「何にしようか」とカレ。
「●●ビルに、うどんのお店と韓国料理のお店があるの。どっちにする?」
「う〜ん(しばし考えて)、うどんにしようか」
リエはその日カレを振った。なぜか。ワケはこの短い会話に凝縮されている。
まず、初デートなのにランチの場所さえアテがない。これは“無思考・無計画なオトコ”というシグナルを送った。次に彼女の提示
した選択肢で、うどんを選ぶという愚かさを露呈した。うどんは悪くないし、うどんを責めるわけじゃない。だが初デートでうどんか
コリアなら、コリアしかない。これは普遍的な鉄則である。キミ、空気を読めよ。
そこで彼女は「カレは人のことを考えないオトコ」という結論に達した。蛇足だが、そのうどんが割り勘だったことがダメ押しになった。
ここで第二法則「嫌いが許容範囲を超えると、好きなものは見えなくなる」が展開される。
もう1つ例を挙げておこう。サラさん(仮名)は有能でジェントルマンな上司Kさんを尊敬していた。ところがある日の飲食店での
出来事で、尊敬の念が粉々になった。サラさんの説明。
「もちろんお店の人が悪いの。お汁をドーンとこぼして、それがKさんのズボンにドッとかかっちゃって。でもね、その後が……
『店長呼べ!』『クリーニング代全額出せ!』『ひざをついて謝れ!』と言うの。Kさんてそんな人だったの……と引きました」
(以下略。ざっくり抜粋しています。全文はソース元でどうぞ)
ソース(Business Media 誠、郷好文の“うふふ”マーケティング)
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1010/14/news008.html 前スレッド (★1が立った日時 2010/10/15(金) 03:35:07)
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1287139218/