【日中】中国、レアアース対日輸出停止を通告★2[09/24]

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40<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
X 中国政府
○ シナ共産党政治部  の 幹部は

髪を油で撫で付け、高額なスーツを着、高価な革靴を履いて いかにもだが
実は

歴代の王や皇帝が敵を食べたという記録も、枚挙にいとまがない。中国を最初に統一した
秦の始皇帝もその一人だった。次の漢を創設した劉邦は、臣下に敵の肉片を食べるように命じて、
その忠誠心をはかった。反逆者は、こま切れにされて塩漬けにされた。戦いの勝者が敗者に、
その息子や父親の肉や骨が入ったスープを食べるように命じることもあった。
死んで埋められた敵さえ、安心して眠ってはいられなかった。
 十九世紀まで、状況はほとんど変わらなかった。ジェイムズ・D・ボールは、
『中国の事物』(Things Chinese )で、一八九五年に広東省の村で起こった水争いを描いている。
武力衝突の後、捕虜が殺された。そして死体の心臓や肝臓が配られ、食べられた。子供も一緒になって食べた。
中国共産党と国民党との内戦でも、捕虜を殺し、復讐として食べた記録がある。
 共産党政権下でも、復讐のための人肉食は続いた。とくに中国最南部の広西自治区では、
文化大革命中に顕著だった。中国人作家鄭義が入手した公式記録によれば、
学生たちが校庭で校長を殺害し、料理して食べ、反革命主義者にたいする勝利を祝ったという。
公営食堂では、死体を肉かけフックにつるして、人肉を料理して出したと言われている。
次のような記録もある。「人肉食には、いろいろな楽しみ方があった。たとえば、殺して、
肉を薄切りにして大パーティーを開く、みんなで肉の厚切りを分けて家に持ち帰り、ゆでて食べる、
肝臓を焼いて薬として食べる、などである」。
 鄭義が手にした記録によれば、広西自治区では、少なくとも百三十七人は食べられた。
それより百人は多かったとも考えられている。人肉食は、党の地方役人が組織し、
民衆は革命の情熱を示すために参加した。殺した校長の体から最初の肉片を切りとったのは、
校長の息子の元女友だちだった。彼女は、校長にたいして何らの同情もないこと、
ほかのみんなと同じ「紅」であることを示したかった。ハリー・ウーの『労政−中国のグラーグ』には、
山西省の王荘炭坑での同じような出来事が記されている。囚人楊宝銀は、「毛主席を倒せ」と
書いた罪でただちに射撃班に銃殺され、公安部の幹部がその脳ミソを食べた


ジャスパーベッカー著 『餓鬼』- 秘密にされた毛沢東の飢饉 ジャスパー・ベッカー 中央公論社
p303-304