「できの悪い人たちは顔を見るだけでも楽しい/散髪屋の前でマクワウリの皮をむき/縁台に座ってマッコリ
(韓国式濁り酒)で一杯やれば/皆な友達のように思える」
これは、詩人の申庚林(シン・ギョンリム)氏が、1970年代に田舎の市場で目にした庶民の様子を詩に描写した
ものだ。同氏が詩で詠った庶民は、「久しぶりに市場に行って親しい顔ぶれと一杯交わし、日が沈むころには白い
ゴム靴1足と魚1匹を手に、酒に酔った赤ら顔で家に帰る。しかし、心の片隅は、日照りや借金の返済に対する
心配事で気が重い」というものだ。
「庶民」という言葉の「庶」という漢字を見ると、下の方で何かがうごめくような光景を想像する。数が多い
ことから、おそらく貴重なものではないだろう。一説では、飢饉(ききん)のときに食べられていた「黍(キビ)」
と発音が同じ(どちらも韓国語で「ソ」)なため、庶民という言葉に「黍や粟で何とか腹を満たし、春の端境期を
乗り越えようとする人たち」という意味が込められているともいわれる。
「庶民」も「中産層」も普通の人を指す言葉だが、はっきりとした違いもある。ある人は中産層について、
「月収300万ウォン(約21万円)以上で、30坪(約99平方メートル)程度のマンションに住み、2000ccほどの
車を所有する人たち」と定義した。だが庶民は一般的に、この中産層以下だ。ただし、このような数字上での
違い以上に実感することがある。それは、二つの言葉を聞いたときの感覚の違いだ。中産層には何となく「夢」
という言葉が似合うように感じられるが、庶民には「悲しみや喜び」「悩み」といった言葉がしっくりくる。
食べるものや着るもの、あるいは住む環境も今ほど良くはなかったが、それでも国民の70−80%が「わたしは
中産層」と考えていた時期があった。「今はまだ中産層の仲間入りはできていないが、もう少し努力すれば中産層に
なれる」という夢は、どんな人にも勇気を与えるものだ。しかし、1998年のアジア通貨危機からは事情が変わった。
盧武鉉(ノ・ムヒョン)前政権は国民を上位20%とそれ以外の80%に分けて対立をあおったため、「わたしは中産層」
という考えは持ちにくくなった。2006年に行われた調査では、「わたしは中産層」という回答は4人に1人にまで
減った。
韓国保険社会研究院が一昨日に発表した調査結果によると、19歳以上の86%が自らを庶民と考えていることが
分かった。韓国では以前に比べて中産層が大幅に減ったといわれるが、それでも09年の時点では56%だった。
つまり、多くの人が自らの立場を実際よりも低く考えているということだ。要するに中産層の崩壊よりも、中産層
としての意識の崩壊の方が深刻なのだ。きょうよりもあすの方が良くなるという希望のない社会は、不安な社会
だからだ。
http://file.chosunonline.com//article/2010/09/08/697229500429815046.jpg 金泰翼(キム・テイク)論説委員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
http://www.chosunonline.com/news/20100908000045 韓国人の言う庶民って「白丁」の事ですか?
【韓国】日帝が朝鮮市民(白丁)に色服を推奨して民族精気を抹殺しようとした証拠を発見(中央日報)05/08/09
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=66469&servcode=200 >色付きの服を着るよう強いて「白衣民族の精気を抹殺」しようとする政策...
白衣しか許されなかった白丁を差別から開放してやったのに、『日帝による白衣民族抹殺政策』って...
酷い被害妄想だなww
つうか、この記事は「日帝様のおかげで白丁民族のウリナラが色服を着られるようになりました。」っていう感謝の表現なのか!?
それとも、「原色バリバリの派手で下品な現代のチマチョゴリは日帝の仕組んだ陰謀ニダ!」って言いたいのか?
「日本統治前の白丁に戻りたいニダ!」って本気で言ってるのなら、好きにしてくれw