【正論】「現在の価値観で過去断罪するな」〜拓殖大学学長・渡辺利夫[08/27]

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(写真)
http://sankei.jp.msn.com/photos/politics/policy/100827/plc1008270318000-p1.jpg

韓国併合(日韓併合)条約は1910年8月22日に調印され、同29日に発効した。併合100年を
機に菅直人氏の首相談話が、過日発表された。往時の日韓関係についての事情を顧みることなく、
謝罪自体を自己目的としているがごとき談話であった。

 ≪謙虚で率直で勇気あることか≫

「当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族
の誇りを深く傷付けられました。…この植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに
改めて痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明いたします」

ここまで踏み込んでいいのか。談話はさらにこういう。「私は、歴史に対して誠実に向き合いたいと
思います。歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みること
に率直でありたいと思います」

現在の価値観をもって往時の日韓関係を眺め、“そういうことはあるべきではなかった”と考える
ことが、どうして謙虚で率直で勇気のあることなのだろうか。併合条約を有効だとする日本が、
条約自体を無効だと言い張る韓国に謝罪の言葉をいくら積み上げたところで、相手を満足させる
ことなどできはしない。道義において自国がいかに劣っていたかを強調すればするほど、姑息
(こそく)と卑屈にみずからを深く貶(おとし)めるだけである。現在の価値観で過去を論じることの
いかがわしさに、もうこのあたりで気づかねばならない。

 ≪各国との合意による合法統治≫

李朝時代末期の韓国は、時に清国、時にロシア、時に日本と、周辺の大国に依存しようという
「事大主義」の傾向を強め、自立と近代化への展望を欠いて政争に明け暮れた。当時の韓国は
清国と君臣関係(清韓宗属関係)にあり、韓国内で内乱が起こるたびに清国に派兵を要請した。
日本がこれを脅威と見立てたのは当然であり、清韓宗属関係を断ち切るための戦争が日清戦争
であった。

シベリア鉄道が完成してしまえば、ロシアが朝鮮半島の占領へと向かう可能性は十分にあった。
当時、ロシアは満州(中国東北部)に強大な軍勢を張っており、日本人の多くがロシアを「北の
脅威」とみていた。ロシアによる朝鮮半島の占領は、すなわち日本の亡国の危機である。そうで
あれば併合によって韓国の近代化を図り、半島の守りを固めることは日本にとってどうしても
避けられない安全保障上の戦略であった。

日露戦争とは、ロシアの南下政策に抗して、日本が韓国の「自由裁量権」を獲得しようとして
戦った戦争である。自由裁量権とはいかにも“あけすけな”表現だが、弱者に「安住の地」が
なかった帝国主義時代の用語法である。

日本の韓国における自由裁量権は、ポーツマス条約でロシアにより、また日英同盟下のイギリス
により認められた。さらには日本は米国との間でも、日本が米国のフィリピン領有を承認し、米国
が日本の韓国統治を承認するという桂・タフト協定を結んでいた。日本の韓国統治は幾重にも
国際的に承認され、併合への道を阻止するものはなかった。各国との合法的な条約や協定に
則って日本の韓国統治が展開されたのである。

ソース:MSN/産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100827/plc1008270318000-n1.htm

>>2以降につづく