★石仏発見 仏教弾圧期に破壊か
カンボジアのアンコール遺跡で、13世紀、仏教が弾圧されていた時代に破壊されたとみられる、
複数の石の仏像が見つかり、手厚く葬られるように埋められていたことから、
当時の人々が弾圧の中でも深く仏教を信仰していたことを裏付ける資料として、注目されています。
石仏が見つかったのは、世界遺産に登録されているアンコールワットの東にある、
寺院遺跡、バンテアイ・クデイの敷地内で、遺跡の保全などを進めている上智大学の調査団が
21日までに発見しました。
土の中から見つかった石仏は6体分で、いずれも破壊されて頭部や腕などに分かれた状態でしたが、
元の大きさは80センチほどだったとみられています。
調査団によりますと、仏像は、その様式などから、
アンコール王朝が最盛期を迎えた13世紀初頭ごろに作られ、
その後王位に就いたヒンズー教の王の下で、大量に破壊された石仏の一部とみられています。
調査団は、9年前にも同じ遺跡で、同様に破壊された大量の石仏を発見していますが、
今回見つかった石仏は、すべて、遺跡の本殿に正対した状態で、ていねいに埋められていたということです。
調査にあたった、上智大学アンコール調査団の田畑幸嗣さんは、
「仏教が弾圧されていた時代でも人々が仏教を陰ながら信仰していたことを示す、
きわめて貴重な資料だ」などと話しています。
ソース NHKニュース 8月22日 6時43分
http://www.nhk.or.jp/news/html/20100822/t10013491821000.html 李氏朝鮮時代の仏教弾圧
韓国では、骨董屋を覗くと首のない仏像が売られていることが多い。李朝の斥仏政策のもとで、
仏像の首が切り落とされたからである。それに今日でも韓国では、平地に仏教の寺がない。
寺をたずねようとしたら、山を奥深く分け入ってゆかねばならない。
李朝では代を重ねるごとに、儒教による仏教に対する締めつけが、いっそう強められるようになった。
儒教という怪物が時とともに大きく成長してゆき、儒教唯一絶対主義といわれる体制が固まっていった。
仏教は目の敵とされた。李朝三代目の国王となった太宗(在位1400年〜18年)の治世になると、
仏教にさらに苛酷な弾圧が加えられた。高麗朝が倒れたときには、全国に1万以上も寺があったという
のに、寺の数を242にまで減らし、寺が所有していた土地や、奴婢(ノビ)と呼ばれた奴隷を没収した。
その後も、仏教へのパンチが次々と繰り出された。仏教はよろめき続け、ついにマットに沈んだ。四代目
の国王の世宗(在位1418年〜50年)は、全宗派を禅教2宗に統合して、それぞれわずか18寺院だけを残
して、他の寺を廃した。世宗はハングルを創製した名君であったのに、仏教には好意をいだいていなかった。
儒教は、個人が自らを磨くことによって完成することを目指したので、宗教を軽蔑した。仏教の輪廻の教え
は、根拠がなく、天国や地獄は、人々の利己心や恐怖心から生まれた空想の産物であるとみなした。
九代目の成宗(在位1469年〜94年)は、出家することを全面的に禁じた。
李朝時代は、そのまま仏教を苛めた歴史であるといってよい。十一代目の中宗(在位1506年〜44年)は、
全国にわたって仏像を没収して、溶かしたうえで武器に鋳造した。また僧侶を土木工事に使うようになった。
僧侶は使役されるとき以外は、漢城(ソウル)に出入りを禁じられるようになった。仏教は、山のなかに逃げ
込んで細々と命脈を保った。僧侶は、奴婢と同じ賤民の範疇に組み入れられた。
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豊臣秀吉が仏教を破壊?
韓国を旅すると旅行ガイドに『わが国に古い寺院が少ないのは秀吉軍に破壊されたためです』と
説明されるらしい。日本人観光客は贖罪意識を感じて居たたまれなくなるようだ。しかしこれほど
明白な歴史歪曲があるだろうか。李氏朝鮮は仏教を大弾圧し、1万以上あったといわれる寺院は、
秀吉軍が朝鮮に入った時にはわずか36寺にまで減らされていたのだ。
http://photo.jijisama.org/buddhism.html