先月、政府の許可なしに無断で訪朝し、現在も北朝鮮に滞在している韓相烈(ハン・サンリョル)牧師(60)は、
平壌で自らの正体をついに明かした。韓国進歩連帯常任顧問でもある韓牧師は、「進歩」どころか時代錯誤も
はなはだしい、北朝鮮の盲従者だった。人権と自由を主張する自称「進歩主義者」が、地球上で最も守旧的かつ
暴圧的な北朝鮮政府を称賛し、韓国を「逆賊」呼ばわりしている。この信じられないブラックコメディーを目に
した多くの人たちは、韓牧師に「そこにずっととどまるように」と言いたい気分だろう。
韓国国民は、韓牧師のような守旧左派の正体を知っている。そのため、彼らがどんなに自主や統一を叫んで大韓
民国を攻撃しても、多くの国民は冷たくあしらってきた。マッカーサー銅像の撤去や平沢米軍基地移転反対など、
韓牧師が親北勢力と共に企画してきた社会に対する扇動行為は、その多くが大衆の支持を受けられず、自分たち
だけのお祭り騒ぎで終わった。しかし、ただ一つだけ例外がある。
それは、狂牛病(牛海綿状脳症〈BSE〉)問題に端を発したろうそくデモだ。2年前、国を大きく揺るがせた狂牛病
政局の隠れた主役は、韓牧師が中心となって結成した韓国進歩連帯の勢力だった。この騒動がMBCの報道番組
『PD手帳』の歪曲(わいきょく)報道をきっかけに始まったとすれば、都心をマヒさせた大規模集会を広めたのはまさに
進歩連帯だった。現在、平壌で北朝鮮を熱心に称賛している韓牧師とその仲間たちこそが、狂牛病騒ぎの中心に
いた人物なのだ。
2年前、50回以上にわたって行われた狂牛病関連のデモは、「狂牛病の危険のある米国産牛肉の全面輸入に反対する
国民対策会議(以下、対策会議)」によって組織され、扇動された。対策会議には1500以上の団体が名を連ね、数々の
進歩・左派のグループが網羅された形となった。しかしこれは外見にすぎず、実際の対策会議は左派の中で最も過激で、
反米親北の色彩が強い進歩連帯だった。韓牧師のグループによる進歩連帯が、狂牛病騒ぎを事実上、主導していたのだ。
組織を見ても、対策会議の政策、組織、宣伝、企画、財政など主な役職は、ほとんどが進歩連帯の関係者だった。
進歩連帯対外協力委員長が対策会議の共同状況室長を、また進歩連帯事務処長が対策会議の事務処長を、進歩連帯
組織委員長が対策会議の報道官を務めていた。進歩連帯の組織が、そのまま対策会議に移されたようなものだった。
当時の検察の控訴状を見ると、次のような内容が明記されている。対策会議の五つの口座はすべて、進歩連帯の関係者
名義となっており、対策会議の電子メールアドレスも韓牧師名義で開設されている。また、韓牧師が呉宗烈(オ・ジョンリョル)
進歩連帯常任代表と共に主な事業計画を承認し、指示する役割も果たしていた。つまり、「対策会議=親北進歩連帯」で、
韓牧師や呉宗烈氏、朴錫運(パク・ソクウン)氏ら進歩連帯の3人組がそのトップだったというわけだ。
韓牧師と進歩連帯が掌握していた対策会議は、2カ月以上にわたり、ほぼ毎日のように都心で組織的なデモを繰り広げた。
闘争戦略を設定し、街頭での舞台設営や集会のシナリオ設定や、デモのスローガンなども彼らが考案したほか、生卵を投げ
つけるなど数々のイベントも企画した。街頭での放送用車両やピケット、プラカード、印刷物、ステッカーなど、デモで
使用する道具を準備したのも対策会議だった。
このようにして大韓民国は、政府を「天安殺人の元凶」呼ばわりするグループの組織的な活動により、2カ月にもわたって
国内が大混乱した。反米・反政府闘争を行ってきた韓牧師とその仲間たちが、狂牛病を格好の材料として巧妙に利用したのだ。
そのため、狂牛病デモが起こった期間は、国民から無視され続けてきた韓牧師のグループが、大衆に最も近づいた時期でも
あった。
狂牛病を懸念し、あるいは政府による交渉に怒りを感じて街頭に繰り出した多くの市民は、その集会が韓牧師のような
親北勢力によって操られていたとは、思いもつかなかっただろう。自分たちの知らない間に、彼らが作り上げた舞台で
踊らされていたということを知れば、大きなショックを感じるに違いない。しかしこれが、大韓民国を揺るがせた狂牛病
問題の「不都合な真実」のごく一部なのだ。
朴正薫(パク・ジョンフン)社会政策部長
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版: 2010/07/29 17:03:15
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