【書籍】 日本語の「仮名」は古代百済人が作った〜ホン・ユンギ著『百済は大きい国』[04/21]
>>826 韓国では漢四郡は朝鮮半島ではなく、遼東半島にあった説が有力。
833 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2010/04/30(金) 23:50:03 ID:Px4MZ1Vf
834 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2010/04/30(金) 23:50:43 ID:G1/3GwwT
あいつら、ほんとに文字使ってたのか?w
使ってたならそれなりに資料が残ってるだろ
何も残ってないのに、よくもこんな馬鹿げたことを言えるよな
835 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2010/04/30(金) 23:58:51 ID:qGFiC/2T
>>823 前スレにも書いたけど
浄瑠璃の「仮名手本忠臣蔵」の「仮名手本」とは
討ち入りをした赤穂の浪人が当時の仮名の数と同じ
47人だったから。
つまり江戸時代中期でも「ん」は正式には仮名と意識されたなかった。
836 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2010/05/01(土) 00:06:34 ID:AnWZdbg+
しかしクソチョンが万葉仮名のことをあまり知らないのは確かだな。
記紀万葉の万葉仮名は清音仮名と濁音仮名が区別されていた。
しかし10世紀前半に出来た倭名抄では万葉仮名に清濁の区別がない。
濁点や半濁点が考案されたのはずっと後。
伊達政宗の手紙には3点の濁点が用いられている。
837 :
830:2010/05/01(土) 00:09:38 ID:pMth5R30
>>831 安心?
何言ってるのかよくわからないんだが?
838 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2010/05/01(土) 00:29:57 ID:k6X1DKhg
気にするな。 人物設定のミスだ。
839 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2010/05/01(土) 00:47:15 ID:mMiUqabR
世界中の文語の祖はハングルなんだろ?
性懲りもなく、こんなバカなことを次から次へと言うチョンというのは、
やっぱり頭がおかしいんじゃねえか。
これだと、日本が百済を作った可能性が出てきてしまうけど
そもそも、47文字しかないと思ってるんじゃないか?
今でいう変体仮名を知らないとか。
843 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2010/05/01(土) 08:09:40 ID:AnWZdbg+
>百済は‘大きい国(クンナラ)’を意味する」
とかってコジツケができるのは
記紀万葉風土記など日本の奈良時代の文献に百済=くだら
と書いてあるおかげだ。
記紀万葉風土記がなければ「大きい国(クンナラ)」などという
コジツケ、駄洒落も言えないような文化不毛の未開の国だ。
844 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2010/05/01(土) 08:37:23 ID:AnWZdbg+
くだら(百済)の「くだ」は「管くだ」だ。
日本に中国文化を運ぶパイプ役という意味で
「管」の役割をする国。
「ら」は
>>806が書いてるように「国」を表す古代半島語。
845 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2010/05/01(土) 08:58:41 ID:1ejUq7iw
>>1 俺の高校時代は暗黒だった。
特に日本史。
教師が日教組か何かで、何でも半島起源にして憚らなかった。
特に奈良時代。
奈良は「(ウリ)ナラ(国)」、騎馬民族征服説、万葉集は韓国語で読める、
日本語の原型は高句麗語で決まり、奈良時代の貴族は7割が半島系etcetc
今考えると、平城京は明らかに唐の都を模したもので、当時の皇族や貴族の衣装も
唐風なのだが、それらを「半島風」と教えられた為、“奈良=朝鮮”というイメージ
が出来上がってしまった。
その教師は、あまりにも電波なので、一部他教科の教師らと戦争状態だった。
最近犬HKが平城遷都1300年を盛り上げついでに、さりげなく中国起源をふんだんに
紹介しているが、こういうのを見ると、隔世の感がある。
当時は、明けても暮れても百済と新羅だったから…
自分でも何を言っているのかよく分からないが、いい世の中になったと思う。
846 :
さが半減 :2010/05/01(土) 09:22:55 ID:/w62krEP
>>1 >かなは古代百済人が作った
古代百済人は自分ところの文字も作れなかったのになんで「かな」なんて作れたの??
847 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2010/05/01(土) 10:49:45 ID:qgTm7iDU
日本人は、中国や朝鮮が「つまんない」と捨てたものの中に別な価値を
見出してきた。「捨てる」のは自国の文化的規範から外れたものだったからだ。
ところが、日本が捨てたものを育み、文化的な成熟で著名となると、
今度は惜しくて仕方なくなり、「起源はわが国」「日本がわが国の文化を残してくれた」
と言い出す。外国に養子に出しといてそいつが大成すると「実の親はワシ」と感涙する
韓国の親のように嫌らしい。
● :::: I二二二((二二二
/~ ̄~キ / ̄~キ .// ||
_] 田 [__] 田 [__ .// ∧||ヘ
// ( /⌒丶
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.// ∪ /ノ キコ
⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒//⌒ ||| キコ
XxXxXxXxXxXxXx.//Xx ∪∪
// ;
// -==-
まとめると、
1、王仁は伝説上の人物。
2、千字文を持って日本に渡っていない。
>王仁博士は5世紀末頃、日本王室に千字文を持って渡り、日本の漢字式字の
>‘万葉仮名’を作る。
というが、その当時に千字文は存在しない。
5世紀末には未だ千字文が存在しないからだ。
王仁は、漢字を初めて日本にもたらしたというのも矛盾する。
卑弥呼の時代には日本に持ち込まれていた銅鏡に漢字が存在したし、
建武中元2年(57年)、後漢の光武帝が漢委奴国王印を日本に贈っていた。
王仁の存在は、日本の記紀にしか記述がない。
任那日本府は否定するくせに、都合のよいことは拡大解釈してくる。
韓国病は分かるが、歴史を勝手に書き換える地味な作業には敬意、もとい嫌意を表する。
850 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2010/05/03(月) 13:16:24 ID:FBrpihNT
100万歩譲って、古代百済人が仮名を作ったとして
1000年前にそれを使ったエッセイだの大長編ロマンス小説を
女が書いて、今でも読み継がれてるのは日本だろ?
仮名は日本人の血となり肉となったが、韓国には定着しなかった
その差は何?
851 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2010/05/03(月) 13:23:11 ID:7lfIiWTo
素朴な疑問
なんで百済の人は仮名文字を使わないんですか?
>>851 秀吉の朝鮮侵略で仮名文字が書かれた書物を全部焼かれたニダw
853 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2010/05/03(月) 13:54:14 ID:MoqUF3sj
百済時代の石碑にカナ文字がのこっていて古代朝鮮語がわかるはず。
なんでないの?
854 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2010/05/03(月) 13:55:52 ID:c8JRrwDb
憲法の日に百済に感謝して、百済からもらったひらがなを
再確認すべきだな、全部朝鮮から来たんだな
堪忍してくれ〜〜〜〜
857 :
また御得意の捏造ですか:2010/05/03(月) 15:09:24 ID:l3YSCeYb
朴赫居世=瓠公=日本人=朝鮮人の朴姓は倭人系
859 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2010/05/03(月) 17:26:26 ID:BbSqudgl
ああ、日本はどこまで朝鮮の文化的属国なんだらう・・・
バカチョンは、早く祖国に帰れ
>>859 何時になったら具体的な朝鮮文化を語ってくれるんだろうか。
返事が無い。
やはり朝鮮文化とは朝鮮人には感知しえないものらしい。
863 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2010/05/03(月) 18:48:34 ID:avw7Qz29
>>849 しかし千字文とは少ないな。教育漢字表程度のものだったんだな。
せめて常用漢字程度の2,000字は持ってきて欲しかったな。
864 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2010/05/03(月) 19:28:31 ID:avw7Qz29
>>862 シナの植民地だった古代朝鮮に無理なことを要求するなよ。
865 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2010/05/03(月) 19:43:44 ID:l3YSCeYb
>>849 あんたのいう「千字文」って、
ーwikipediaより引用ー
南朝・梁(502 - 549年)の武帝が、文章家として有名な文官の周興嗣(470 - 521年)に文章を
作らせたものである。
ー引用終わりー
のことだろう?
他にも「千字文」がいくつかあったという説があるんだよ。
867 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2010/05/04(火) 08:12:30 ID:dZfRdqeo
クソチョンを初めとするDQNはよくそういう証明不可能な
妄想を書くキモヨナ。
論拠となる証拠を挙げて欲しいもんだ。
証拠捏造はお手の物だろう?
李氏朝鮮時代は染色の染料も作れなくて白い服しか着れなかった民族。
優秀な遺伝子は、とっくの昔に日本とか中国に移住して
李氏朝鮮時代に半島に残ったのはカス遺伝子ばかりという事。
そんな遺伝子ばかりだからノーベル賞も取れないんだよ。
>>868 現在でも若年層と専門職を中心に年間10万人も海外に逃げ出してるのが韓国の実情です。
>>868 半島南を作ってたのは日本から渡った倭人で、日本に来たのは里帰りしてきたその倭人なわけ。
倭人に居なくなられてダメになったというほうが正しい
ローマ字も韓国発祥ニダ
>>868 上海万博に合わせて、NHKアーカイブで「日本万博博覧会」いわゆる大阪万博の
映像を放映してたんだけどな、韓国館のホステスの制服が真っ白のチョゴリだった
のさ。全部、真っ白。輝くような白じゃなくて木綿か何かのくすんだ白だけどな。
これこそ、伝統衣裳というべきだったんだろうなと思う。
>>872 最近は朝鮮人自身も忘れてるんじゃないの?
ときどきは「白衣の民族」のスローガンも思い出してるみたいだけど。
>>826 漢字は朝鮮から渡って無いでしょ。
日本語には、朝鮮語と共通の語彙が驚くほど無いのが特徴だけど、
音読み(中国語読み)は呉音、漢音、唐音、宋音、と4セットも残っていて、
しかも日本の音読みで古い漢詩を読むと韻が合ってる。
この韻も、朝鮮語では全然違う。
日本人は、昔から中国語(漢語)を外来語と言った事が無いし、かなり日本語に
入ってるけど、朝鮮語は全然日本には入ってない。
・・・多分、朝鮮人に対しては、異民族で外国だって言う意識が、昔からすごくあって、
絶対日本語に入れないようにしてたんじゃないのかな。
>>868 優秀な遺伝子の奴なんて、当時から、
日本から来た人と、中国から亡命してきた人だけでしょ、朝鮮半島では。
撤退したから、今カスしか残ってないと、普通に思うけど。
>>874 外来語という言葉がなかっただけで、外国の言葉扱いです。
>>866 >
>>849 > あんたのいう「千字文」の
> 他にも「千字文」がいくつかあったという説があるんだよ。
説だけで日本に伝えたっていっている韓国人と同じじゃないか。
878 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2010/05/10(月) 23:10:12 ID:D4JQucfJ
李氏朝鮮って満州人国家なんだね
ウィキペディア- 李成桂
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%88%90%E6%A1%82 女真人説 [編集]
池内宏[8]や山内弘一[4]らは李成桂が女真人或いは女真人の血を引いている可能性を指摘している。
状況証拠としては次のことが挙げられる。
李一族の出身地の咸鏡道は15世紀までは女真人の地だったこと。
李一族は女真人の配下を多数抱え李一族が頭角を現したのはかれらの助けが大きかったこと。
のちに15世紀になって編纂された王朝創建の偉業を称えた『龍飛御天歌』によると、李一族は全羅道の全州出身で古くは新羅に仕えたがやがて咸鏡道に移住した、と書かれているが、後世に潤色されて書かれているため信憑性が疑わしいこと。
モンゴル語で書かれた李家の家系図から、李一族の女直名は完全に記載されているが朝鮮名は不完全にしか書かれいないこと。
ダルガチは原則としてモンゴル人であり、稀に女真人や色目人が任命される事があるが、被支配民族の漢人、ましてや漢人の子分の高麗人が任命されることは非常に不自然であること。
千戸として女真人の統治を行っていたこと。
姓を李氏と言ってはいるが、祖先が元朝の家来で、元の開元路出身であることは明らかであり、モンゴル名を持っていること。(ただし、当時は高麗人貴族もモンゴル名を持っているから、これだけでは女真人とはいえない)
879 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2010/05/10(月) 23:11:41 ID:D4JQucfJ
岡田英弘と宮脇淳子は13世紀モンゴル時代の朝鮮半島と大陸の関係と李氏朝鮮勃興を概説し、
朝鮮の太祖李成桂女真人説について次のように論証している[9]。
その上で史料証拠として『李朝実録』の冒頭『太祖実録』の内容[10]を用いて次のことを挙げている[9]。
『李朝太祖実録』冒頭には「太祖康獻至仁啓運聖文神武大王、姓李氏、諱旦、字君晋、古諱成桂、號松軒、全州大姓也」とあり、本貫が全州李氏であること、新羅の司空李翰を始祖として、以下21代を経て李成桂に至ったとするが、
第16代まではほとんど名だけが知られるにすぎず、第17代(李成桂4代の祖)からやや詳しい伝記がある。その第17代以後の祖先の活動舞台と居住地を通観すると、
前16代につなげるために全羅北道全州(完山)を出発点として、東海岸の三陟から豆満江畔にわたり、
そのほぼ中央に位置する咸興をもって活動の根拠地としたように書いてある。すなわち、全州李氏の出身だというのは後世の捏造で、その証拠に、李氏朝鮮王室で、全州李氏の誰一人として祖先として祀られた人はいない[9]。
『李朝太祖実録』巻一、九頁下、には次のような記事がある。「初三海陽(今吉州)達魯花赤金方卦、娶度祖女、生三善三介、於太祖、為外兄弟也。生長女真、膂力過人、善騎射、聚悪少、横行北邊、畏太祖、不敢肆。」
これを訳すると、「三海陽(咸鏡北道の吉州)にいた元のダルガチだった金方卦(女真人と思われる)が、度祖(モンゴル名ブヤンテムル、三頁下、李子春の父)の娘を娶って生まれたのが三善三介で、太祖の外兄弟(姓が違う兄弟)である。
彼は女真で育ち(女真の族長になった)、腕の力が人並み外れて強く、騎射をよくし、悪い奴らを集めて、北辺に横行したが、太祖を畏れて、敢えてほしいままにしなかった」というのである。
これによると、太祖も女真族としか考えられない。なぜなら、遊牧民や狩猟民は族外婚制をとり、姓の違う集団と結婚関係を結ぶのを習慣とする。
女真族の族長である三善三介が太祖李成桂の外兄弟であるというならば、太祖自身も女真族であったと考えるのが自然である。
『李朝実録』は、朝鮮時代になってからの正史であるから、朝鮮王の家系について、なるべく高麗との関係を重んじるような書き方をしているが、どうしても書き残さざるを得なかったのが、この「三善三介」についての記事である[9]。
880 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2010/05/18(火) 11:35:19 ID:z3PrtdYq
妄想妄想
NHK「その時歴史が動いた」という番組で「ひらがな革命」とかやってたぞ。
馬鹿チョソにこういう番組観せて黙らせろよ。