【書評】日本軍人と大陸浪人らが描いたアジアの夢はかくも壮大だった…『帝国陸軍、見果てぬ「防共回廊」』関岡英之著 [10/03/14]

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2星空φ ★
命がけの密偵等はなぜそうした危険を冒してまでも祖国に尽くしたのか。
密命の背景にある巨大な日本の構想とは「西北民族の包囲網を以てシナを攻略するという一大政策であり、蒙古族、チベット族を友として漢民族を包囲する体制を作り上げることこそシナ事変解決の鍵であった」からだ。
西川はやがてチベットへ潜入した。
そこで日本の敗戦を知る。ヒマラヤを越えてインドで初めて (八年間の密偵生活のなかで、初めて) 日本人と見破られた。相手は日本の支援で訓練を受けインド独立のためにチャンドラ・ボーズ軍で戦った親日派のインド人だった。
終戦を知らされても「草」の任務をまっとうするために帰国に及ばず各地に潜行した西川がようやく帰朝して『秘境西域八年の潜行』という本を書いた。それを高校時代に読んで感動したのが著者の関岡氏で、本書を執筆する原動力となったという。

▲シナの四周を親日政府で固めよ

「1933年一月、関東軍は陸軍きってのモンゴル通と言われた松室孝良大佐を (中略)、関東軍司令部付とし、熱河省の承徳特務機関長に任命した」。
かれは陸軍士官十九期「張家口を拠点に二年間、内モンゴルや西北各地を視察し、西の果ては甘粛省涼州 (現代の武威市) にまで到達した」と別の任務を背負った松村大佐の物語が平行する。
潜入した先で軍閥のボスと意気投合したり馬賊や山賊に捕縛され脱出したり、私たちが知る小説『夕日と拳銃』(壇一雄) の伊達順之助の世界だ。いや、このあたりを舞台にしたのは胡桃沢耕二だった。

しかし松室の任務は何だったか?
「当時、関東軍は満州帝国の四周を睨み、土肥原賢二少将率いるハルビン特務機関がシベリアでの諜報活動、板垣征四郎少将率いる奉天特務機関が華北分治工作、そしてこの松室孝良大佐率いる承徳特務機関が内蒙工作を展開するという三正面作戦を構えた」
密命の中味とは「満州帝国の姉妹国として、内モンゴル全域を領土とし、チベット仏教を国教とする独立国家『蒙古国』を樹立せよ」
さすれば、甘粛省から東トルキスタンへ至るイスラムの地域にも独立の気運が伝播し、チベットもモンゴルに呼応し「日本を中心とする満州国、モンゴル、回教国、チベットの環状同盟を形成」するという壮大無比「ついには全アジア民族の奮起を促し、アジア復興を達成しうる」
これが日本の戦略だったのである。
勇躍してかれらは敵地へ潜入する。軍事情報を集めながら日本の同盟軍となりそうな有力者や軍閥の発見にも努める。
しかも各地では反漢族感情が強く、日本への期待は強烈であった。

ウィグルでは東トルキスタンが独立し、やがて中ソの陰謀で木っ端みじんに解体されるのだが、日本の密偵が少数、現地にもぐった。しかし大半は敦煌、蘭州あたりで回民の軍閥に邪魔された。
だが回民軍閥も共産革命樹立以後は毛沢東によって粛正され、或いは少数が蒋介石について台湾まで逃れた。
日本軍は東ウィグルへ到達できなかった。

蒙古を独立させるために獅子奮迅の活躍をしたグループは、巧妙争い、セクト争いを繰り返しながらも徳王、粛親王を助け、一時的には政権を樹立した (このあたりの詳細は拙編『シナ人とは何か』(展転社を参照)。

▲熱血、流血、惨血、敗戦。そして革命

こうして著者の関岡氏は近代・現代史の空白を埋めるべく資料を丹念に読み込み、図書館へ通い、関係者にインタビューを繰り返し、ようやくその全貌を掴んだ。
あの時代、いまの若者が及びも付かない壮大な浪漫に命をかけた熱血の日本人がいた。

だが全ては太平洋戦線における作戦の齟齬、物量補給路の切断、兵站の維持不能などによって敗戦に追い込まれ、日本の夢ははかなく消えた。
満州族、蒙古族、ウィグル、チベットの民が、以後どれほどの苦しみに呻吟し、いまも中華帝国の圧政に苦しんでいるか。もし日本に責任があるとすれば、戦争に敗れたことである。

[以上です]