韓国:外交文書公開 米軍撤退凍結を要請 政治犯釈放、カーター政権動かす
【ソウル西脇真一】
韓国政府は22日、1979年を中心とする外交文書を公開した。
米国のカーター政権が当初進めようとした在韓米軍撤退に関する文書には、北朝鮮の軍備拡大を背景に韓国の
朴正熙(パクチョンヒ)政権が米政府に撤退凍結を働きかける様子が記されていた。
一方、人権重視の外交政策をとったカーター氏が朴氏へ送った親書は、韓国による大量の政治犯釈放が
カーター氏を動かし、撤退凍結に至った可能性を示唆している。
公開された文書によると、韓国は74年の段階で米国から
「撤退や削減はない。(削減等を行うなら)6カ月から1年かけて韓国と協議する」
との言質を得ていた。
だが、75年のベトナム戦争終結後、最初の米大統領として77年に就任したカーター氏は在韓米軍の段階的撤退を発表し、
78年に3400人を撤退させた。
さらに、追加撤退計画を立て、82年までに地上軍を韓国から撤退させようとした。
一方で、78年末から米政府が行った北朝鮮軍事力の再評価で、兵力が韓国の1・1倍、戦車や砲の数などが
2倍を超えるなど、急速に軍備が増強されていることが判明した。
こうした中、79年4月のワシントン発の公電によると、韓国の駐米大使は
「北朝鮮が(韓国侵攻用の)新しいトンネルを掘っている」
などと米中央情報局(CIA)から入手した情報を米国務省幹部にぶつけて北朝鮮の脅威を強調。
「今のところ北朝鮮は侵攻しそうにない」とする米側に、大使は
「(北朝鮮が)冒険する可能性を過小評価してはいけない」と反論した。
撤退は元々、カーター氏の選挙公約だったが、米国は結局、米韓首脳会談後の79年7月に撤退凍結を発表した。
カーター氏は、感謝を伝える朴氏の親書への返書で、韓国が同月に86人の政治犯を釈放したことを
「大いに喜んだ」と記し、撤退凍結という決定に人権状況に関する判断が影響した可能性をうかがわせた。
公開されたのは、30年を経過した文書など約18万ページ。79年10月の朴大統領暗殺事件に対する各国の反応
▽同事件の捜査責任者だった全斗煥(チョンドゥファン)・国軍保安司令官(後に大統領)らが、
軍最高責任者の鄭昇和(チョンスンファ)・戒厳司令官兼陸軍参謀総長を同年12月12日に逮捕
(粛軍クーデター)した時の調査結果
▽68年に静岡県で起きた「金嬉老事件」で、熊本刑務所に服役していた在日韓国人が刑務所での処遇改善を訴えた資料
−−なども含まれた。
http://mainichi.jp/select/world/news/20100223ddm007030113000c.html